2009年12月21日 (月)

腹を括る

ムスコの粗相不始末にて、世間様に謝りっぱなしDAYS。

遊びに行った先のお宅の隣人の「命の次に」級の大事な外車のボンネットに乗り、近くにいながら眼を放していた父親もろとも大目玉。その場で謝るも、先様の怒り収まらず、隣人である来訪先の夫婦が3度にわたって詫びてなんとか収束したが、そちらのご夫婦にも足を向けて眠れず。

こんどは保育園で。4~5歳の男女が入り混じってのおままごと遊びから、なぜかお祭り騒ぎにエスカレートしたらしく、テンションの上がったムスコは、プラスチックのおままごと道具=ナイフで、女の子の手を刺した(突いた)ために傷がつき、その件で先方のパパが激怒。保育園に抗議した件。保育園から個別に我が家が呼び出され、「おもちゃとはいえ、刃物を友達に向けたことは看過しがたい」と注意喚起。

もちろん、その場に保育士がいなかったために事態を制止できなかったことについてはお詫びされたが、これまでも、テンションが上がったり、ダダコネが始まると、大人の話が聞けないことがあるので、今後は家庭と強調連携して、育ちを見守っていきたい、とのこと。

今回、相手となった女の子は、2~3歳の頃にも、新聞紙を丸めたチャンバラの「刀」で遊んでいるときに、眼を突いたことがあったために、先方としてはもう、「衝動性や暴力性をもった男の子にまたやられた」という思いが強まったこともあるらしく、先方のパパは「相手の親と直談判する!」と怒り心頭だったらしい。それはママが必死で制止して、なんとか保育園に仲立ちしてもらって、という流れだそうだ。

先方のパパの言い分としては、「これが初めてではない。いくら保育園での、子どもの遊びのなかでのこととはいえ、このまま放置しておいて、今後もっと(うちのムスコが大きくなったころに)取り返しのつかない重大な被害を生んだら、うちだけの問題ではなくなる。誰かがきちんと言って、対処しなければ!」ということなのだそうだ。

本人や園の話を総合すると、「つい悪乗りしてやってしまったが、相手が泣いたのを見てびっくりしてすぐに謝った」そうなので、「キレたとか、攻撃性があるとか、善悪や人の痛みがわからないということではない」そうだが、「5歳の割には感情のコントロール能力が幼く、自分の意志が通らないと手が出たり、強い口調でなじったりする」とのこと。

専門家への相談が必要だとか、発達や器質の面での心配があるわけでないが、情操の面で幼稚な面が目立ち、今後年長の1年間も見通しながら、適切な言葉や態度で仲間との関わりができるように促していきたい、というのが園の意向。そのために、家庭の様子との情報共有や協調を大事にしていきたい、と主任から話があり。

以前うちも、ムスメが年長の時に、同じクラスにいた発達障害のある女の子の暴力に悩み、園に相談と要望をもちかけたことがあったので、先方の親御さんの気持ちは痛いほどわかる。また、自分たちが謝罪する側に回るとは思っていなかった(認識が甘かった)ので、非常に気持ちが沈む。

正直、おもちゃとはいえ、ナイフで友達の手を刺す真似をするなんて、私たちだってショック。もともと自我が強く、家族のなかでもすごく甘やかされて大目に見られて育ってきたところは否めないし、気に入らないことがあると渾身の力を込めてダダをこねることもあったから、園での様子や苦労はわかる。ただしそれは「きかんぼう」「癇癪持ち」の範疇のことで、まさか人様から「野放しにしておくと将来何をされるかわからなくて心配」と言われるほど「異常」であることとは思っていなかった。もちろん、今だって思っていない。

ただ、自分の子どもがひとから「末恐ろしい」と目されるとは思っていなかったので、そのことがとても悲しく、重い。

わらべうたや素話の会に講師で来て下さっている先生には以前から、「とても繊細な子。言葉のちょっとしたニュアンスや、表情の機微を感じとるし、たくさん感じているのに、うまく表出できないから、自分でもまどろっこしかったりするのだけど、成長とともにだんだん調整能力が出てくるから大丈夫。年上と一緒に過ごすことが多いから、自分だけがうまくやれていない、と思わないように気をつけてあげれば大丈夫。お話の世界への集中力も、想像力もあるし、眼を見てきちんとお話ができてるから何も心配ない」とは言われていた。

でも、やっぱり、他人からそのように言われるのは、(実際にやったことは、それくらい、相手のパパに衝撃を与えたことだったとは思っている。まだママには理解してもらっていることが救いだけど)、本当に心が沈む。

今度のことはオットのほうがめずらしく凹んでしまって、かなり立ち直れずにいたみたい。これが本当に性別のせいなのか、先方が言うように、うちの子どもが「現代社会でよく見られる闇=病みを抱えた子どもの兆し」を見せているからなのか、それは今の立場では断言できない。私たちは、彼にいらだちや衝動性があるとするならば、それはこれまでの彼を取り囲む環境要因によるもの、特に親の養育態度によるものが大きいと思っているから、その点について真摯に向き合わなければならないと思っているが、「異常児」視されることについては、やはりひそかに否定する。(園もそれは否定していたが)

ただね。

やっぱり、親の問題だよね。とは思っている。

ムスメの学童保育の面談があった時に、男児育児の大先輩でもある職員にポロっとため息交じりの愚痴をこぼしたら、その人はカラカラっと笑って、こう言ってくれた。

「そんなのね、よくあること! うちなんていまムスコは15歳だけど、保育園の時からずっとずっと、10年間謝りっぱなしよー。本人にはそんな気がなくても、ちょっと気がせいて女の子を後ろから押しただけで、先方からねじ込まれたことだってあるし、年頃になってくると、ちょっと気になる女の子には意図的に意地悪やいたずらをすることもあるし。それが行き過ぎて痛い目に会わせちゃうこともあったわね。

そうやって、相手の反応や、引き起こした結果に対する親の対処や態度をみながら、だんだん自分のやっていることの程度を自覚していくんだと思うから、よほど悪意や意図的なもの、陰湿なことでなければ、男の子はある程度は仕方ないと思うよ。ジェンダーフリーとかで、男女の区別なく、という人は多いからあんまりおおっぴらにはいえないけど、20年近く子どもをみてきて、自分も子どもを育ててみて思うのは、やっぱり男の子は、多かれ少なかれ衝動的だから。自分のしたことの結果とか、因果関係への想像力は低い傾向がある。」

「謝って謝って謝るのが親の仕事だから。相手の言うことが理不尽だと思っても、相手の気持ちをなだめて、受け入れて、そのうえで自分の子どものことは必要以上に責めない、ということが大事ね。やったことが引き越したことは知らせるべきだけど、”けじめ”として謝る。でも、あんたの言い分もわかる。もうするなよ。それだけでいいじゃない。母親が揺れると、子どもも揺れるわよね。母子は共鳴しやすいからね。だから、おおらかにね。」

「私も子育ての先輩だった職場の同僚から教わったんだけど、お詫びには菓子折りよりも図書カードがいいらしいわよ。菓子折りだと突き返される確率が高いけれど、図書カードだと大仰にならないし、受け取ってくれる確率が高いんですって!賞味期限もないしね。1~2式、常備しておくと気がらくなんじゃない?すぐにお詫びにいけて(笑)」

学童の先生、ふだんは必要なことしか話さない間柄だから、何を考えているのかわからないところもあって、こんなに腹を割って話したことがなかったんだけど、すごく肩の荷がおりたのだった。相談するつもりじゃなかったけど、話してよかった。オットもすごく喜んでいた。気が楽になったみたい。

それでふと思い出したのが、河合雅雄さんの「少年動物誌」という本。

かの故・河合隼雄さんの兄弟で、京大霊長類研究所の所長でもあった著者が、少年時代に、ふるさとの自然を相手に「悪道」の限りをつくしながらも、感受性と冒険心を惜しみなくはたらかせて、人として成長していくかということが描かれている。河合隼雄さんが「自分の兄弟の本で恐縮だが」といいながらも、「少子化で男の子を本質に触れる経験の少ない母親が増えているなかで、男の子の持っている性のようなものについて、理解する手助けになるだろう」と推薦していた本だ。

ずいぶん前に買ったが、読まずに放置していた。

ここに出てくる主役級の子は、おそろしいほど残酷で、嗜虐的で、傲慢で、しかしやさしくて、繊細で、怖がり。命知らずなほどの冒険に引き込まれていき(本人たちはそう思っていない)ながらも、最後は痛い目に会い、たたりや罰があたり(と本人たちは思っている)、己の小ささや愚かさを体験して怖れを抱いたり、興味を失ったりして、だんだんと自然(やひと)との関わり方の按配を知っていくようだ。

となれば、いま私たちが直面しているのも、そういう「痛い目」なのだろう。それにいちいちビクビクしたり、同様するのは、オットや私が親として、大人として、自分の体面や不都合のために不安定な状態に置かれることが嫌なだけなのかもしれない。でーんと構え切れていない。ムスコの「不始末」に対する責任や非難を負わされることに腹が括れていない、ということなんだろう。

やったことを正当化することはできないから、そこは自分たちの、ムスコに対する接し方も含めて見直していかなければいけないし、園の言うように、一緒に見守って育てていく姿勢が必要だと思う。

だけど、変に「お天道様に顔向けできない」気分に陥るのはやめよう、と思った。私たちも、それなりに一生懸命やってはいる。頓珍漢だけど。これでいいとは思っていない。なんとかしたいとは思っている。だから、うつむくのはやめようと思った。

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2009年11月24日 (火)

5歳でござる。の巻

3連休と仕事で、すっかりオンするのが遅れてしまって、当日ログができなかった…。

21日はムスコの5回目のお誕生日だった。ようやく5歳。

この5年は、ほんとうに激動の年月だった。

眼がくりっとしていて、食べてしまいたいほど可愛らしくて、甘ったれで。

何度寝顔にぶちゅーっとキスをしたかわからないくらい、べたべたに溺愛していた3歳くらいまでが、一転。

口は達者、体格は立派、体力も満々の「男子」化にこちらはついていくのが精いっぱい。

そうかと思うと「ニヤッ」「にこっ」でごまかされて、手を緩めた隙に一本取られたり。

「あいつは大丈夫」「あいつなら問題ない」という感じで接してきたけれど、ここにきて本当はとっても繊細で傷つきやすい心をもった、優しい子であることが分かり(もともと思っていはいたけれど、こちらの想像以上に、という意味で)。

高いところを見れば上りたがり、低いところをみれば飛び降りたがり、水を見れば覗きたくなり、動くものをみれば追いかけていく。甘いものをみれば両手でわしづかみにして口にほおばり、眠くなればぐずる。刀剣ものを見れば振り回し、時代劇や歌舞伎が目に入れば釘づけになる。

気持ちの赴くまま、目につくままに、自由奔放に生きる彼のために、私たちは何度肝を冷やし、赤面し、平身低頭世間様に謝ったことだろうか。かの河合隼雄先生は、「親は謝るのが仕事。謝って謝って、謝り尽くせばそれでいい」というようなことを仰ったが、もはや、謝る以外にどんな選択肢が私たちにはあるっていうのでしょう? ないよ。

#先月末、あそびの会を主宰するお宅に遊びに行って。子ども同士で鬼ごっこをしていて、エキサイトしすぎて、そのお宅の隣家の「命の次に大事」な高級外車のボンネットに乗って(実はオットが側にいたけれど気づかなかったために親子ともども)逆鱗に触れ。そのご近所さんはもちろん主宰者にも謝りまくり…。う゛ー肩身が狭い。ということもあった。

それでも、彼自身はほんとうは「しっかりしたい」「父や母の感情を刺激したり、落胆させたりしたくない」という思いを心の底にはしっかり持っていて、けれどもやはり「つい、やっちゃう」(自分が嫌だ)と思っていることがだんだんとわかってきたので、いまはあまりぶつかる必要がなくなっている。というか、気づくのが遅い未熟な親なので。

「もう、5歳だね。おにいさんだね」と水を向けると、とってもいい笑顔ではにかんで、「うん」とうなづくムスコ。変わるきっかけがほしいのは、大人も子どもも一緒なのかもしれない。

中世の騎士もの(アーサー王と円卓の騎士とか)にハマっているため、本人はレプリカの甲冑と盾と剣をほしがったが、切りつけられ振り回されても困るので、それはなしに。

オットと喧々諤々「プレゼント会議」を開いて、LEGOの青バケツ+CASTLEシリーズを選ぶ。

娘は、本当は手づくりをするつもりだったのだが、当日は学芸会があって、心身のゆとりがなかったので、ケーキと一緒に、ちょっとしたものを買うことに。「ナッキーファーム」というメーカーの、手のひらサイズのぬいぐるみで、おなかを押すと泣き声がする、というもの。ムスコは、保育園の「Myマーク」が牛なので、牛さんを選んでやった。それと、500円のプチブーケとね。お花をもらえるのも、大人気分で喜ぶ、という娘のナイス判断。

これまで割と「手を抜かれてる」感を強く抱いてきたらしいムスコのために、家族3名一致団結して、盛大な(?)お祝いパーティーを企画。あっさり淡白な我が家にしては、かなり濃厚めな演出つきで。(クラッカーとか、サプライズとかね)

本人からは、「骨付きチキンがいい」とか「生ハムがいい」とか、いろいろ御馳走のリクエストもあったけれど、要は、もてなしVIP感があればよいのだと思い、あまり必要のないナイフとフォークなどもテーブルにセッティング。

ケーキは、ムスコの保育園で送迎の車の交通整理をしてくださっているシニアボランティアの方が、なんと、わざわざ買って最寄駅まで届けてくださった!本当は、保育園的には、個別のこどもにそういう心付けをしてはいけないのだけれど、ムスコのことを特に可愛がってくださっている(たぶん、お孫さんがいらっしゃらない)のと、実は、心臓の病気が見つかったそうで、その手術入院のために今月いっぱいでお辞めになることもあって、いろんな思いを込めてくださったのではないかと思う。

ホールケーキではなくて、かわいらしい顔のかたちのピースケーキを年齢分くださったが、これがとってもおいしかった(ユーハイムの、兵隊の顔をしたチョコとフランボワの味の!)。いつもは思い通りでないとケチをつけるムスコも大よろこびだった。

#Wさん、ありがとうございます。最後の日には、快復祈願のお守りをお送りしようと思っています。手術が無事に終わって元気になられますように。

LEGOは、とてもいいプレゼントになった。なにせよくできていて、城塞もあれば跳ね橋もある。死神も甲冑の騎士もちゃんといる。何度もつくっては壊せるし、つくった後からも、自分でストーリーを作って遊びに没頭している。組み立てが難しいところは、おねえちゃんにやってもらって、ムスメも楽しんでいる。私自身はこれまであんまり興味がなかった(子ども時代も遊んだ経験がない)けれど、今時期のムスコたちには合っていたみたい。

そして思いました。

ちょっとした演出で、こんなに喜んでくれるなら、これからはもっともっと工夫を凝らして、年に一度のお誕生日を家族で祝ってあげよう、と。家族とのバースデーパーティが待ち遠しい!なんて時期は、本当に限られているはずだから。あと何年もないだろう。次は娘の誕生日(あ、その前にオットの誕生日)だ。

そして。やっぱり、誕生日は特別なのだ。これも、いままであまり重視せずに、淡々と、素っ気なく済ませてきたオットと私だが、今はちょっと心境に変化が起こっていて。

「ひとが一人、じぶんたちのもとに生まれてきてくれて、こんにちまで元気でいてくれること」は、当たり前のことなんかではなくて、とっても希有なことなのだということを実感するようになったからなのかも。ひとが一人、いなくなることが大変なことのように。

心配をかけさせられても、毎日どなってくたびれたり、自己嫌悪になった日があっても、やっぱり今日まで元気に育ってくれたことは、何よりもありがたい。

だから、お誕生日おめでとう。生まれてきてくれて、元気に育ってくれて、ありがとう。

と思ってふと眼を見やると、脱ぎっぱなしで丸まったままのパジャマとパンツがベッドの下に…。やっぱり、ムスコはムスコ、元気ですくすくでありがたいけど、もうちょっとアレをナニしてほしい、という欲が出る。

親というものは、欲深だ。

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2009年11月15日 (日)

七五三の陣でござる

本日は、どんぴしゃ七五三でござった。

我が家の「若」さまも、「姫」さまも、一緒に氏神詣。姫は7歳、若は5歳。一生に一度の、一緒の行事だ。

平均睡眠時間1.5時間という、死ぬほど忙しかった先週の怒涛に呑まれて、何の準備もしておらず。1か月前に予約した美容院の着付と、近所の氏神様へのお参りでせいいっぱい。寿司の出前と、とらやの紅白饅頭が関の山、といったにわか誂えぶりであった。

それでも晴天+爽風の秋の日曜日は、こどもの行事にはうってつけ。のはずだった。

しかし。オットの両親、私の父と妹を招いて、ささやかに内祝しようと思ったけれど、父は体調不良で前日にキャンセル(これは想定内)。今日はムスコの謀反で、スラップスティック顔負けのドタバタな七五三となった。

ムスコの名誉のために書いておくと、ムスコはほとんど悪くない。

元呉服屋のオットの父(祖父)が、知り合いから借り受けた「お孫さんにあつらえた大変立派な和服(うちと年回りが同じだったらしい)」を、「立派なものだからぜひに」と勧めてくれ、お借りすることになった次第。そもそも、こうした年中行事にことのほか熱心(というか、孫系の行事は急にエンジンの回転数が上がるタイプの家系)なので、覚悟はしていたが、やはり「一生に一度の晴れ舞台」ということで、かなりのテンション↑ぶりでした。

それはそれで、まあ、ありがたいことだし、気の済むようにすることも親孝行のうち、と思っていたのだけれど、私も見込みが甘かった。

「ものがよくて立派」な和装を、腕白盛りのこどもにあてがって、無事に済むわけがない。

貸衣装ならまだ割り切りもきくし、そもそも織り込み済みのリスクでしょう。

ところが、とにかく気が気でないのか、一挙手一投足に口やかましい祖父。都度「こっち向いて~♪」とカメラを向けて何度も何度もポーズを取らせる祖母。とうとう若はキレた。

神社のお参りが済む前に、「記念写真のやる気ストック」が枯渇してしまった。また、「手はここ、顔はこっち。そこはナニしない、アレはこうする」と、方々から注文がつくのに辟易したらしく、祖父母と一緒の写真はかろうじて撮れたものの、肝心の家族の記念写真に至る前に「もう金輪際撮らねえ」とストライキ。

そのストライキ状態の若に、追い打ちをかける祖父母からのなだめすかしor着物の不始末への小言…。もう、完全な悪循環どすえ。

それでもオットのトライでなんとか家族写真にこぎつけたものの、またもや外野からのポーズ注文に、テンション↓の若。(なんでわかんねーかなー…shockと、私もかなりムスコに同調&同乗ムード)ちょっとした行き違いで、再び暗雲が立ち込め。

最後は、抗議の意思表示として脱走してダッシュしたものの、袴の裾を踏みつけて転倒。起き上がって再び転倒。転んだ痛さ悔しさ恥ずかしさと、「ほら!袴がびりっていったぞ!annoy」という祖父のひとことに、さすがのムスコも号泣さ。

最後は羽織袴と白足袋(ダッシュしたときに、足跡のように地面に残された草履はオットが先に持って行ってくれたので、履物なし状態)のムスコを、ヒールとワンピースの私が抱っこして、ヘトヘトのご帰還さ。

途中数十メートルの間に、近所のお年寄りが「今日はお天気がよくてよかったですねー。ほんとうに可愛いわー」と、声をかけてくださるのに、ムスコときたら「あっち行けー!」だって…sweat01 とんだ失礼ばかりで、本当に申しわけありません >ご近所の皆様

でも、返る道すがら、抱っこしたムスコの言い分を聞いてみればごもっともなことばかり。

「ぼくはさー。今日はちっちゃいじじ(私の父)も来られなかったし、ちっちゃいばば(私の母)にも(和装姿を)見せてあげられなかったから、ちゃんと写真撮って見せてあげようと思ってたのに。ぼくだってさー。ちゃんとカッコよく撮ってもらえるのに、みんなあっちこっちで、ここがちがうとか、あそこをもっとこうして、とかさ!もう!みんな帰ってほしいよ!」とご立腹。

殿、御意にござりまする。

でもね。こうも言ってくれたんだよね。

「(神社の社殿のなかで)おまいり(祈祷のことです)のとき、かぜがいっぱい通ったのは、ババ(私の母)が来てくれたんでしょ?」と。

今日は本当に日差しも柔らかく、あたたかく爽やかな風が吹いていた。祈祷の最中、開け放した社殿には、梢を抜けて吹き入ってくる風が心地よく、それは本当に、母が一瞬顔を出しに来てくれたように感じてしまうほど、自然でさりげなく、でも存在感のある風だったのだった。

ムスコは、祈祷の最中「ねー、このお経(お経じゃねーってsweat01)いつになったら終わるの?」

「ねー、あのおじさん(神主さんだって!)、寝てんの?(祈祷してるんだってsweat02)」

と、爆弾寸前の発言連発だったが、しかしその合間にも、ちゃんとムスコなりに想ったり感じていることがあったのだと思うと、うれしくもあり、切なくもあった。なのに。大人ってばデリカシーないね。ムスコも、そんなことを怒っていたんじゃなかろうか。

帰宅して和装を解いてみれば、袴のまつり糸が切れていたわ、裾に土がついてるわ、涙で正絹の羽織にシミはできるわで、何が大変って、祖父のご機嫌がむちゃくちゃ悪くて大変。ひとことも口をきかず黙々と着物を畳んで仕分けるなり。いつもは強気の祖母も、さすがに気を使っているもよう。

数日前に、アフリカ(地中海沿岸)の「アクティブシニア旅」から帰ったばかりで、ちょっと疲れもあったのかもしれない。もう御年だし。

みな無言で一式を片付け、なんとか会食の準備をととのえたところでやっとムードも回復。しかしわたしゃ疲れたよ。「一生に一度」と奮起するなら、もうちょっとゆとりをもって準備したかったし、そうでないならもっとライトに、もっと略式ですべきだった。

ムスコにしてみても、「人生で初めての羽織袴体験(時代劇好きのムスコには、胸躍る和装だったのに)」は、涙と土の味がしたことだろう。

おねえちゃん姫のほうは、クラシックな顔立ちとクラシックな召し物にあわせて、結髪も日本髪にしてもらい、それはそれで舞妓ハーンみたいでなかなか乙どした。彼女はなんの心配もなし。和装を解いて、パンツ一丁になった自分の、日本髪とパンツ一丁な姿のギャップをみて「おもしろいー」とげらげら笑いながら、妙なダンスを踊って、ドリフのようで。

祖父母は、ムスコの心など知る由もなく「よく頑張ったよ、ね!ね!楽しかったでしょ?いい経験だね!」「でも、もっとお父さんたちの言うことを聞かないとだめだぞ?あれじゃあ、だめだ」なんていってたけど、大人は子どもの本当のきもちなんて、ちっともわかってはいないのだな、と思った。

いや、これは親もおんなじことで、今日はたまたま、身近な大人が彼の心のデリカシーを理解しなかったことを、第三者的な立場で見聞きできる機会だったたので、こういうことに気づけただけなんだけど。ふだんは私たちこそが、彼の真意を見誤り、心のなかに土足で入り込んでいるのだろうね。

彼も来週は5歳。もう、というかとっくに、きちんと、ひととしての心がある。それを忘れちゃいけない。

オットが、労作となった、微妙に光の調整がおかしい(慌ててタイマーで撮ったけど、アングルもポーズも光の加減も、ビミョーな)家族写真を見ながら、ふと。

「ほんとに、こんな時期って一瞬で、もうこんな機会は二度とないんだなと思うと、寂しいな」なんていうので、「あらま、意外な」とまた思う私でありました。でも、その通りだよね。

今日という日は、二度と戻らない。だから今日を大切に、というのは、言うは易し、行うは…なのですが。 でも、実は一日、ずっと思っていたことがあった。孫のこととなると、ちょっと行きすぎるけど、でも楽しそうで元気そうなオットの父母をみて、ちょっと寂しく思ったきもち。

本当は、二人の七五三は数えなら、去年もできたのであった。

去年なら、母もいっしょに祝えるはずだった。

不穏が強くなりつつはあったけれど、まだ、元気だった。入院の日々に焦り、怒っていた頃だ。毎日のように、病院に駆けつけていた頃だ。

いまさらだけれど、去年、無理をしてでもやっていればよかった。

今年はみんなは浮かれ気分だったかもしれないが、父も母も写っていない記念写真を見ると、やっぱり悔やむ気持ちも浮かぶ。去年の今日も、「今日という日は二度とない」と思って生きていればよかったな、と。

1年って、速い。成長も、老いるのも速いということだね。

この子たちが大きくなるまで、私たちも頑張らねばね。

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2009年10月 5日 (月)

私という畑は

このところ訳あって、さまざまな教育論(哲学)の本に眼を通す機会が増えた。

シュタイナー、モンテッソーリ、コダーイ、ニキーチン、フレーベル…etc., etc.

どれも、それぞれにみな、私には素晴らしい。

どの説もみな、基本は「こどもの生きる力、伸びる力を信頼し、尊重すること」に対して誠実であり、確固とした信念をもっているから。子どもが表出するサインや、好ましい成育環境の解釈、それを実現しサポートするための手法は、それぞれの大切にするところが強調されているのかもしれないが、やっぱり、いずれの本質も「子どもを信頼し尊重する」ということに尽きると思う。

だからか。いまの私には、どの説も論も、素直に耳を傾け感じ入ることができる。

でも、こうした子育て理論とか教育哲学というものに対して、今までの私は、なんというか、心も体もスル―して、なんの影響も余韻も残さずに流してきたように思う。抵抗というほどの強さもなく。「理屈」に関心がなかったのか。あるいは「自信」があったから他には眼もくれなかったのか。今となってはよくわからない。

乳児期の蜜月が過ぎて、子どもの自我が芽生えるとともに、子どもと自分との関係がしっくりいかなくなったような気がして。途中では、違和感も薄れて「こんなもんだな」と思いながら、なんとか子どもの自立を促し、羽ばたけるような方向によかれと思ってエネルギーを注いできたものの、子ども自身を見ていると、もっと違う何かを求められているようで。

お互いに、相思相愛だったはずなのに、いつの間にか「私の思いが通じていない気がする」「私の思いをわかってもらっていない気がする」といった、気持ちの行き違いをうっすらと感じるようになったのは、やはりここ2~3年だろう。

愛しているはずなのに、それを精いっぱい表現して伝えているはずなのに、何かが足りない。何かがパイプ詰まりを起こしている。

そんな感覚がますます強まってきたのも、ここ2~3年。その都度、必死に問題のありかを探したり、悩んだり、取り組んだりして、その都度それなりに解消してきたことは確かだけれど。

まるでお日様が照らすように。雨が降って地面にしみ込むように。なんのてらいもなく、自然に愛情を注ぎ、注がれという関係がちゃんとあるのだろうか、とどうしようもなく不安になることがある。子どもの気持ちは、子どもにしかわからないけど、多分、私自身のなかに漠然とした「自然に愛せていない」という不安があるんだろう。

いままでも、たまーに、教育関係の本を手にしたことはある。でも、その時は「どれも当たり前のことしか書いてないよね」「ここに書いてあるようなことなら、とっくにやってるよね」という感覚しか持てなかった。

確かに、「方法論」として読めば、その通りなのだった。親として当たり前のことばかり。

だけど、その当たり前が「身」についていないのが私なのだった。頭では理解できる。理屈ではその通り。わかってる。やってるつもり。

ところが、そういう当たり前のことは、私の体の奥底からふつうにわき出るものではなくて、なんとなく考え考えしながら「これがよい振る舞い」「よい行い」という風にしてやってきたことのようにも思える。(こうやって書くと、自分のことを責めてばかりいるように見えるけれど、どちらかというと、やっと認められるようになった感じだ)

「知っている」「わかる」ということと、「やっている」「できる」ということの間には、天と地ほどの差がある。"Kwoing - Doing Gap"という企業コンサル系の本を昔持っていたけれど、まさにそれに近い。私は、頭とからだ(心)が、乖離したまま40歳になったのかも。

教育理論は、「理論」だから、頭ではすぐに理解できるものだ。というか、頭での理解のほうが格段に楽なのかもしれない。

人とはこういうもの。子どもとはこういうもの。親とは、子育てとはこういうもの…。

公式化して理詰めで考えているつもりはなかったけれど、知らず知らずのうちに、観念的に考え、「取り組んで」きたんだな、と思う。

オットが、農業の次のステップとして、近所に新しい区画を借りて、自分で一から畑を始めてみることになった。これまで習ってきた有機農法は、それはそれで続けていて、そこで修得したことを、今度は自分で実践してみる場として借りたものらしい。

この、放置されて痩せた「地面」に鍬や鋤を入れ、肥しを撒いて、にわか作りの畑をこしらえて、今年は試験的に玉ねぎとニンニクだけを植えた。それでも、土を触れば、有機土壌の土との違いは素人でもすぐにわかる。

ここにどれだけの肥料や薬剤を入れても、有機土壌のあの柔らかくていい香りのする土から芽吹く野菜の味にはかなわないだろうな、と思う。土を作るのに、しばらく時間がかかって、やっといい具合に土壌ができてきたころには契約期間満了、とかにならないだろうか…とか心配してみる。

書いておきたいことがこんがらがってきた。あ、そうそう。

結局、どんなに優れた理論も進言も、受け入れる側の心の準備ができていなければ、ただの「理屈」や「説法」で終わってしまって、心に届くことも、身に着くこともないんだな、と土を触っていて思ったのだった。

それなりに読書家を自認して、知識欲も知的欲求もそれなりに旺盛だと思っていた私だったが、こと「教育」ということに関しては、自分の心の準備が整っていたとは言い難い。だから、これまでの教育論がどれほど栄養に満ちたものであっても、透過させるしかなくて、反応も影響も受けることがなかったんだろうと思う。

固い地盤層におおわれ、痩せた土壌の、あるいは保水力を持たない砂のような、私という畑では、どれだけ有効な「肥し=理論」を賜ろうと、まったく意味をなさなかったのであった。

「これじゃ根を張れない、芽吹けないよぅ」と訴えかけてくれたおかげで、なんとかせな、と親に思わせてくれたのは子どもたちの力によるところ大だが、7年近くもかけてようやく、ほんとにやっとのことで、ただの地面が畑になろうとしている途上。

耕起も不要、肥料も不要、自前の土壌力だけで育ててみせる!と根拠のない自信を持ち続けて、他からの影響に関心を持たなかった私(たち)という畑は、遅まきながら、やっと、先人の知恵から「心(からだ)で子どもをうけとめる」ということの意味を教わろうとしている。

そういう新しい目で眺める「先人の知恵」は、とても新鮮で、驚きに満ちた、刺激的な世界に満ちていた。だから、どの理論も学派?も、何もかもが本質的に素晴らしい。

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2009年10月 2日 (金)

牛鬼淵で…

40年生きてきたなかで最も怖かった昔話は?と聞かれたら、迷わず「牛鬼淵」と答える。

往年の名番組「まん日本昔ばなし」で見たのだけれど、とにかく、。細部は忘れてしまったにも関わらず、「怖かった」ということだけは覚えている。「今日は、鬼刃はないんじゃな?」というセリフと。

昔話好き、怪談好きのムスコにせがまれて、保育園の行き帰りに自転車の前と後ろでよく怪談をします。ええそうです、朝から「番町皿屋敷」とか「おいてけ濠」を、自転車こぎながら話しています。恥ずかしいです。

で、一番怖い話は?とムスコに尋ねられて、「絶対、なんといっても牛鬼!」と自信をもって答えたら、「怖いお母さんがそんなに怖がる話はどんな話か?」と食いついてきて、素話でいいから話せ話せとせがむ。で、あらすじしか憶えていなかったので、ネットでちょっと調べてみたら、YouTubeにあった!

30ン年ぶりに見てみたら、今でも十分恐怖した。戦慄した。でも、けっこう記憶違いもあったな。牛鬼の声は常田さんだと思っていたら、市原さんの方だった。これはちょっと意外。あれだけ怖かったので、絶対に男の人の声だと思い込んでいたけれど、大人になってから見るともっと怖い。それに、牛鬼としての実態はほとんど出てこなかったのね。なんであんなに怖かったんだろう?絵のトーンもおどろおどろしいわけではないし。

と思ってみていたら、映像演出の「間」というか「溜め」といういか、いろりで薪がはぜる音や、のこぎりを研ぐ音とか、「もうすぐあいつが覗くぞ」という待ち受けの緊張感とかがとにかく怖い。あと、老練の樵が顔色ひとつ変えず(にいるように装っているの)に、物の怪の予感をもっているだろう感じとか。とにかく怖さの気配横溢。子ども心に、忍び寄る恐怖を感じとっていたんだなーと。

どうしても見たがるムスコに「やめたほうがいいよ」といったものの、ムスメとともにせがむので一緒に見た。ムスコは3回くらいみたがったが、ムスメはクライマックスまで正視できず「音だけでいい」と。(それのほうが怖いと思うけど…?)ムスコも「怖い~」と言いながらも「もう一回!」と乗り気だった(と思った)。

が、夕食だったので「また今度」と中止しようとしたら、例の癇癪が勃発。やれやれ…と内心思いながらも「ご飯を食べて、ぜんぶやることをやったら、あとで一緒にね」と言おうと、彼の前にしゃがんで、目の高さを合わせようとした途端、鼻にパンチが飛んできた。あまりの痛さに、もう少しで正拳突きをくらわせるところだったが(嘘です)、なんとか堪えて「痛いよ?それでいいの?謝るなら今だよ?」と何度か通告。彼も悪いとは思いながらも、素直に謝ることができず、「いいの!」と意地を張って強がることしばし。

これ以上「対話」すると、本気で怒っちゃいそう、と思って、ムスコの腕を握って玄関のお外へ黙ってご案内。ムスコも暴れることなく「出すなら出せよ」という感じで素直に誘導され、静かな反抗とともに外へ。どこにも行くことなく、玄関の外でストライキに入るつもりだった。と、思う。

ところが、5分もしないうちに「ぎゃ~!typhoon」という絶叫めいた泣き声が。「お話する~、ちゃんとお父さん御母さんとお話するよ~crying」と叫ぶので、こちらも慌ててドアを開けると、ズボンがびっちょりのムスコが駆け込んできた。「牛鬼見た後だし、うす暗くなってきたから、怖くなったのかな?」と、心配になったが、まずは粗相の後始末。

大急ぎでお風呂場へ連れて行き、下半身をシャワーで流して着替えさせ、事情聴取。

私「誰か通った?」

彼「うん」

私「知ってる人?」(マンションの内廊下だから知り合いにきまってる)

彼「うん」

私「誰?」

彼「××××さん」(マンション住人で町内会活動でも一緒の優しいエリートサラリーマン)

私「じゃあ平気でしょ?」「何か言われたの?」(お嬢さんしかいない方なのでジュースを買ってもらったり、遊んでもらったりしてる仲)

彼「どうしてそんなとこに立ってるの?って言われた」

私「心配してくれたんだね。なんで泣いちゃったの?」

彼「だって××××さん、眼が牛鬼に似てた…」

私「…………。」

××××さんは、たしかに、眼とお顔が大きい。髭も眉も濃い。例えて言うなら、銭形警部に似ている。

しかし、エリートサラリーマンなので、いつもパリッとした出でたちだし、気さくで、息子さんがおられない分うちのムスコや近所の男の子にも寛容だ。日曜朝の町内清掃に来る子どもたちにご褒美のジュースも買ってくれたりする。ムスコも「××××さ~ん、おはよー!」と挨拶するような仲だ。

が、薄暗がりでぱっと眼が合うと、「眼力」が強い分だけ、確かにちょっと怖いかも。しかも、牛鬼淵をみたすぐ後だから。

それで、ちびっちゃったみたい。可哀そうに。

奴の行いは許せないが、強がって出た廊下で見てしまった「牛鬼」は、ものすごい恐怖体験だったに違いない。間が悪かったね。ごめんなさい。抱っこしてなだめて、話して気を取り直したムスコに「今度やったら、もう許さないよ、お父さんもお母さんもお姉ちゃんでも、誰のことを殴っても、こんど痛いことしたら、お尻ペンするからね(多分しないけど)」と諭して、和解して終わった。

「これからは毅然とした態度で臨む」と宣言し、この時の狼藉にも断固「反省するまで許すな」と傍観していたオットであったが、上記の会話内容と、ムスコのちびっちゃった理由を耳打ちすると、おなかを抱えて笑っていた。

ムスコの可愛さに。あと、感覚の鋭さ(「たしかに言えてる」ということです)に。

それから「××××さんには、口が裂けても言えないな」という申し訳なさとともに。

だって、絶対傷つくもの。いつも可愛がっている近所の男児が、怪談に出てくる物の怪と見紛うて失禁した、なんて聞いたら。「眼が牛鬼に…」なんて言われたら…。

ムスメにも内緒。何かのはずみで絶対に本人にばらしちゃうだろうから。極秘の爆笑。

しかし、翌日も怖いものみたさか、ムスコは「牛鬼見せて」という。もうやめておいたほうがイイってば、とたしなめる。日が短くなる冬場、「眼力」の強い被害者が増えては困る。

ともかく、××××さんに、合掌。

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2009年7月13日 (月)

「愛情不足です」

先週水曜、ムスメの小学校のスクールカウンセラーと面談してきた。はじめての、スクールカウンセラー体験。

ムスメはいま、いわゆる「保健室登校」というか、「行き渋り」というか。学校に行く時間になると、あるいは学校に行くと、心身症的な症状が出てくるらしい。

発端は、6月のリンゴ病。家族全員持ち回りで移し移され、アンカーが娘(と私)だった。それぞれに症状のバリエーションが違ったため、病状の正確な把握が遅れたり、あらぬ疑いをかけたり、と後味の悪い体験だったのだが、どうもそのあたりから保健室登校が目立つようになったらしい。

とはいえ、登校停止になる病気でも泣く、かといって辛いものを無理やり登校させるのもどうかと思うし、詰まってきた仕事のスケジュールが脳裏にあったものだから、「ほんとに具合悪いの?」という視線や態度を暗に投げかけてしまっていたのはこちらの責任。

そういうことに敏なタイプだから、ごまかすことはできないし、「迷惑顔」の私たちの真意はお見通しだったと思う。どうも、そのあたりから、ムスメのコンディションが不安定になってきた。考えてみれば、GW前に母が亡くなって、連休は葬儀だなんだと行きつく暇もなく、連休明けは運動会の練習で心身ともにくたくたになる毎日(ムスメはリレーの選手なので、特別練習も連日あった)。そして直後に遠足。やっと日常に戻れる、と思ったら、6月からは学習指導要領改定の移行措置として、連日6時間授業に。このあたりで、疲れもあってりんご病勃発。あとは、坂を転がり落ちるように、がたがたと崩れ始めた。

ちょうどそのころ、実家の父の容体が急変したということで、父本人からと、救急隊、そして自治体の包括支援センターのケアマネ(訪問看護ステーションのナース経由)から、私の携帯に緊急通報が入り、とるものもとりあえず家を飛び出した。その時も、ものわかりのよいムスメにしては珍しく、大泣きしながら「お母さん、いかないで!」とダダこねられたっけ。

それからしばらくは、父や妹にも事情を話して、しばらくは子どもたちのメンタルケアを優先したい、と断りを入れておいたのに…。

7月に入って、楽しみにしていたプールが始まって、少し持ち直したかに見えたが、週末に転んでひざを打撲しては「痛くて学校に行けない」と言い、整形外科を受診して遅刻登校させれば、「お母さんと離れたくない」と玄関で泣いて座り込み。

保健室の先生には「無理して登校させなくても」とか、「お母さんのことがとっても好きなんだけど、とても気を使ってますよね」「お母さんのことを思い出すと涙がこみ上げちゃうみたいですね」とか言われて、なんと答えてよいものか迷っていると、ムスメがその私を見て、あとから「ごめんね。お母さんが困るようなことになって…」という。

明らかな分離不安。それも、私との。自己嫌悪だ。子どもに二重三重に気を使わせて。

ETSの手術入院も、そんなことがあったから、「1泊2日の検査入院(人間ドック)」だと伝えて不安にさせないようにしていたつもりが、まったく効果なかった。ムスメは、ただの検査入院ではないことを察知していて、それでも何も問いたださずに、同じマンションのお友達のおうちへ、喜んで(居るように見えたが)お泊りに行った。

だけど、先日、夜入眠する際の読み聞かせのあとに、しくしく泣き始めるムスメに「学校が嫌なの?」と聞くと、「ちがう。お母さんも、病気なの?」と尋ねられた。予想もしない質問にぽかんとしていると、「ここのところ、お母さん、毎日、検査とか病院とか言っているから、悪い病気なんでしょ?」と。唖然。

4月で40歳になったために、区の40歳検診の受診表の数々が送られてきていて、時間のある今のうちに受けておこうと、乳がん(マンモも)、子宮がん、胃がん、大腸がん、その他ペプシノゲンがどうとか、肝炎がなんだとか(歯科も)、とにかくありとあらゆるオプションもつけて、検査を受けていたのだった。それは、前のエントリにも書いたとおり。

大人にとっては、ふつうの「検診」でも、感受性が高く(心は幼い)ムスメにとっては、大変な負担だったみたいだ。見込みが甘かったし、悪いことをした。配慮が足りなかった。

そんなことがあった矢先に、スクールカウンセラーと面談を申し込んでいたので、いろいろと状況を話し、ムスメの現状について進言を仰いだ。結果の要点は以下のとおり。

●3歳頃から「死」についての関心が高かったこと、7歳の現在でも、「死」についての観念的な話が、大人との間で成立していることを考えると、本来的な特質として、知能も感受性も高いのだけれど、実際には、感受した情報(感情や知識)を適切に処理できるまで、知的能力が成熟していない。

●3月生まれの子供には、一般論として、「INPUT勝ち」になりやすい傾向がある。自ら能動的に自信をもって動く遅生まれの子供たちに比べて、周囲の動向を観察し、安全を確認してから見よう見まねで倣う、という行動パターンが小学校3年生くらいまでは支配的。

●娘の場合は、生来的な感受性の高さと、生まれもった個性(生育環境など後天的なものも含め)のバランスから、「たくさん見聞きし、受け取っているけれど、いっぱいいっぱい」な状態が続いている。

●同じクラスの友達と親しく遊べず、年上の女の子とばかり遊びたがる傾向があることについては「同じ年の子には、意地やプライド、力関係もあって、甘えたり、大目に見てもらうことができないが、たとえ1学年で会っても、上級生なら安心してわがままが言え、”妹”に徹することができるのではないか。心が疲れている時には、同じ年の友達と拮抗するパワーが残っていないものなので、そうした逃避・安楽に傾くことが多い。

●祖母のこと、その祖母に向かう母の姿を具に見続けてきたこと。両親(私たち)が自宅で仕事をしているために、「大人の世界」の事情を肌で感じざるを得ないこと。自分の感情を抑え、わきまえることで認めてもらおうとするが、まだ心が幼いので無理が生じていること。弟は天真爛漫に両親に甘えや欲求を出せるが、先を越されると自制してしまう傾向があるのではないか。

などなど、指摘していただいたところで、とどめの一言。

「要するに、はっきりしていることは、お母さんの愛情不足ですね」。

これ、文字面にするとかなり厳しい一撃ではあるし、実際「やっぱ、そうだよね…。うすうすそうだとは思っていたんだけど、やっぱり面と向かって言われるとしんどいわ…」と、内心つぶやいてしまったんだけど、カウンセラーの方はとても真摯に、いたわりをもって言ってくれた。次のようなフォローとともに。

「誤解しないんでほしいんですけど、お母さんが愛情をかけてない、ということではなくて。お母さんが注いでいる愛情が、●●(ムスメ)ちゃんの欲求とかみ合っていない、双方向でない、という意味なんです。愛情不足、というのは、あくまでも●●ちゃんの側からみた場合に、お母さんの何かに対して渇望している、という意味です」と。

ありがたい配慮ではあったけれど、結局おなじことではある。とんちんかん、ってこと。

それで、そのあと、自分なりによーく考えてみた。正確には、ずっと、心のどこかにくすぶっていたこと。それは、「私はなぜ、ムスメのすべてを、ありのままに受け入れてやることができないのか」ということだ。

ムスコが、たいていのことを「にこっ」とか「にやっ」とか、バリエーション豊かな笑顔と、愛嬌のあるしぐさでいなす(大人はそれを許容する)のに対して、ムスメは、そもそもが愛嬌のあるタイプではないこともあるし、感情表出が「素直」ではないこともあるのかもしれないけれど、2歳以降、「ニコッ」で済ませた試しがない。どちらかというと、シリアスなんだ。

もって生まれた性格の違いもあるのかもしれないが、要は、こちらの許容度の問題でもあるように思う。その意味では、ムスメは非常に損をしているし、私のなかに、(ムスメをとても愛しているにも関わらず)どこかで「無条件に愛し受け入れる」ことを許さない、わだかまりというか、ひっかかりというか、何かがあるのではないか、と考えた。

はっきり言って、ムスメに原因があるのではなく、私の深層心理に「何か」があって、それがムスメと私との、スムースで自然な感情の交流を妨げているような気がしてならなくなってきた。だって、「どうすればいいか」「何が問題か」はわかっているのに、「自然にそれをできない」のだから。その障壁になっているのは、明らかに私の心の中の問題だと思う。

そう思うと、スクールカウンセラーの指摘はもっともなことばかりで、真摯に耳を傾けねばならないことばかりだったけれど、「知る」と「やる」の間のギャップを本質的に埋めるためには、自分自身と向き合わないと話にならない、と思った次第。

そういうことで、今週、心理相談室にカウンセリングを受けに行くことにした。

結局、ムスメがメンタルのコンディションを崩してしまう大きなきっかけを作ってしまったのは、私自身の「グリーフワーク」と称して、私が、こどものケアよりも、自分のエネルギーのやり場を確保することに躍起になってしまった結果ともいえるし。

子どもたちのことを何より優先して、子ども孝行をして、なんて行ってたくせに、結局利己的な悲嘆解消策に没頭してしまったということでもあり。そうやって、どこかで「こどものことを一番に考えている振りをしながら、自分かわいさナンバーワン」みたいなところに眼をそむけてきた結果ともいえるわけで。

「パンドラの箱」を開けることになるのかもしれないが、自分の本質を知る以外に、子どもと本当にどう向き合うのか、道筋をつけることができない気がしている。

「愛情不足です」なんて、自分が言われるとは思っていなかった。

だからよけいに、堪える。堪えると、ますます子供に対するゆとりがなくなるみたいで、いちいち動揺する。その動揺が、また子供にお見通しなんだろう。

あんまり悪循環がひどくならないうちに、きちんと自分と向き合わないと。

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2009年3月22日 (日)

食卓を囲む

後味の悪い誕生日の翌日、二度と自分の不安や苛立ちをちびたちには向けまい、と決心して仕事の整理に臨む。気が抜けたのか、ずっと体の不調が続いている。関節痛や全身の倦怠感、微熱。いやな予感。

やっとゆとりのできたところで、がっくりきたのかも。でもなるべく足しげく母のもとに行くつもりで気合を入れなおしていたら、ムスメの学校から電話が。給食後、不調を訴えて保健室で休んでいたムスメが37.5度の発熱。不調で泣いているので、迎えに来るように、とのことweep

迎えに行けば、目はトロンとし、ほっぺたが赤く、呼吸が浅い。インフルエンザか?と思うが、木曜日は小児科もやってない。翌日からは3連休…。困った。私のがうつったか、移されたか?とにかくいろんな予定をキャンセルして療養しないと。

当夜から40度近い熱が出て、しかも激しい腹痛を訴えるムスメ。20日の早朝を待ってもようすが変わらないのでかかりつけの小児救急を受診。とりあえず、インフルエンザでも、容連菌でも、ロタでもノロでもないらしいので、そのまま経過観察に。激しい痛みと高熱が続くようなら盲腸も想定しておいたほうがいいとのこと。困った。

前日の不機嫌も、衝突も、お互いの体調不良の予兆だったのかも。ますます反省。

20日は、ホームでオットの両親と私の両親とで(実質、今のうちに顔合わせをしておこうという意味も含めた)ムスメの誕生祝い会をする予定だったけれど、当然キャンセル。オットの両親だけをつれてホームへ見舞に。両家両親でゆっくり話合う機会なんて、久しくなかったので、小さい子に邪魔もされずに2時間弱語らう。互いの子(オットと私)を褒め、労う老親たちの言葉は、その場に居合わせる身には面映ゆいけれど、心から有り難く。

私の父も母も、オットの両親に、幾度となく頭を下げていた。迷惑をかけて申し訳ない。心配かけて申し訳ない。オットの心遣いに感謝の言葉もない。娘(私)には親らしいことを何一つしてやれないどころか、この25年間負担ばかりかけて親として不甲斐無い。しかし夫婦で力を合わせてよい家庭をもっていることが何よりありがたく、思い残すことはない。的なことを何度も何度も。オットの両親は首を横に振りながら、涙ぐんで聞いている。こうして、40歳に近いオットと私の身を案じて、行く末の幸せを願ってくれる親がいることに、あらためて感謝する。

母は、オットの母とずっと両手を握りあっていた。言いたいことがたくさんあるのに、うまく言えなくて…。と言うと、オットの母は「何も言わなくてもお気持ち十分わかります。大丈夫です」と言ってくれる。心の温かい人。それでも母はもうほとんど聞き取れないほどの言葉にも関わらず、言葉にならない思いを口にした。「この子をよろしくお願いします。何もできない親だから情けないけど」と、呂律の回らない口調で、一生懸命伝えていた。オットの母は「何を言いますか。こちらこそありがたい。そんなこと言わないでください」と泣いた。

ここ数日、一日一日悪くなっていく自分が不安でしかたなく、怯えてばかりの母は、小さな子供のように父や妹や私にしがみついて、声を上げて泣くことが増えた。一時たりとも握った手を話すことができず、床に就くときも、ナースコールを握りしめていないとどうにかなってしまいそうな。「お父さんがいてくれればいいの。お父さんは?」と訴える姿には、私たちの「母」はもううかがえないのだけれど、この時だけは「母」に戻っていた。

いずれにせよ、家庭文化が違いすぎて、オットの母を「母」と実感したことはなかったけれど、結婚をして「母」が二人になるのはありがたいことだと思いました。

帰り際、言葉の代わりに頬ずりして抱き合い「サヨナラ」する母と私を見て、帰途の車中でオットの母がぽつりと「母娘っていいわね。子どものかわいさは男女の差はないけれど、成人してからの絆は圧倒的に母娘が強いわ」とつぶやく。そういう思いを抱かせている当の本人(オット)のつれあいは私なので、ちょっと慰める言葉に詰まるけど、確かにそうかもしれないなぁ、とは思う。

家に戻って、この連休は自分自身の家族の心身の疲れを回復することに専念しようと決める。せっかくの好天だけれど、外遊びはできないし、カードゲームやボードゲーム、ビデオ観賞や本の読み聞かせなどでゆっくり過ごす。家族水入らず、4人でゆっくり過ごそうと決めて、そのとおりに過ごせたのは本当に、本当に、久しぶりな気がする。

思えば年末から、本当に心穏やかに休日を過ごしたことがなかった。お正月からこちら、父のSOSから始まって、ホーム入居、母の孤独への罪悪感、父との葛藤、癌の発覚、余命宣告、緩和ケアの算段、年度末の仕事ラッシュで忙殺…。

丈夫なはずのムスメはめずらしく何度も発熱を繰り返し、ムスコには一時的にせよチックのような症状があらわれ、どんなに協力的な夫婦関係であっても、オットと私との間にもとげとげしい言葉の応酬はあった。結果的に、一番負荷をかけ、しわ寄せを行かせてしまったのは、自分自身の家庭、幼いこどもたちであったわけで。

この連休にかけてのムスメと私の不調は「ゆっくり骨休めして、体と心を養生して、家族の絆のメンテをしておきなさいよ」という、天のはからいのような気もしました。

そんなわけで、今日は久しぶりに晩御飯をちゃんと作って、明日、明後日の分も作りおきして、携帯電話やPCメールに邪魔されずに、家族4人でゆっくりと食卓を囲むことができた。こんな当たり前のことが、こんなに心に染み入るものだなんて、しばらく忘れていた。

せっかくだから、少なくとも「心を亡くさない」ように、仕切りなおしたい。

今生きてこそ、という信念は、家族と自分自身の人生にこそ必要なものだから。

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2009年3月18日 (水)

後味の悪い誕生日

今日はムスメの7回目の誕生日。

「やっと7歳、みんなと一緒♪」と、この日を待ちわびて、ウキウキで迎えた誕生日。

それなのに、いろんなストレスが一気に重なって、ちょっとヘソを曲げたムスメを詰問して泣かせてしまった…。別に、こちらにゆとりがあれば、さらりと流せる程度の、大したことのないレベルの屁理屈であったのに。カチンときて、スイッチが入って、「その態度はなんなんだ?いい加減にせよ!」的ないいかたで責めちゃった。

妹が仲裁に入ってくれたら、気がゆるんで泣き出したムスメ。

気を取り直して、仕切りなおそうと思ったけど、まだへそを曲げているムスメを見ると、ムクムクと「こなくそ」という気持ちが首をもたげて、さらに追い討ちをかけてしまった。

せっかくの誕生日だったのに。1年生の1年間を過ごして、よく頑張ったね。いろいろ心配かけてごめんね、というねぎらいの言葉をたくさん用意していたのに。

結局、こんな程度のレベルの低い親。自己嫌悪。

いっしょにしかりつけたオットも「俺達怒りすぎだな」と反省しているけど。ムスメは疲れてことんと寝てしまった。相当疲れていたもよう。

本当はたくさんお礼を言いたかったのに。ほんとにごめんなさい。

後味の悪い7回目の誕生日。

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2009年3月13日 (金)

ムスコのチックと、働くということ。

たぶん、ムスコは軽いチック。入眠前の絵本の読み聞かせや、ベッドに入ってからが、「チックタイム」。

最初は「のどが苦しい」などと言いながら、軽い咳ばらいを繰り返し。ぜんそくかな?風邪かな?花粉症かな?なんて思って様子を見ていたけれど、どうも私が見る限りでは不随意運動に近い。プラス、本に集中していたり、うとうとし始める直前になると、かるい溜息というか、かすかな発生がある。「チックじゃないか」と言うと、オットは激しく狼狽していた(家のなかがこんな状況だし、母親不在や、自分の接し方の至らなさのせいだと思ったらしい)けれど、私はもうたいていのことでは驚かない体質になってしまった。

それに、チックって、もちろんメンタルな要因によるものも多いのかもしれないけれど、ほとんどは「体質」というか「脳のクセ」というか、もって生まれた個性みたいなもので、ストレスなどによって、悪化や発現頻度への影響はあるみたいだけど、母原病みたいなものではないみたいだから。娘のアレルギーのときにも、さんざんいろんな「説」を賜った経験からわかるけど、たいていは「そういう風に生まれたんだから仕方ない」ことばかり。

でも、親だから、やっぱり、「何か私たちに悪いところ、間違った接し方などがあったのだろうか」と自問するのはあたりまえのことなので、折にふれて、私たち親に「それでいいのか?何か大切なことを忘れていないか?」と言うために、こうしたエピソードを繰り出してくるんじゃないかと思うほど、抜群のタイミングで生じるものなんだ。これが。

母は、腫瘍が耳下腺へとさらに広がり、発熱。嚥下障害もひどくなり、今日はのどの痛みを訴えたという。明日は朝から提携医の往診があるので、私も立ち会って母の増薬と今後の治療方針を相談する予定。とにかく、進みが速くて恐ろしい。

仕事はまだ片付かず。コンパクトなタスクフォースだから仕方ないんだけど、お見合い落球みたいなことが多くて、その帳尻合わせをしなければならず、一向に切り上げられない。ずいぶん前から仕事を前倒しで畳んできてたのに、ペンディングのままにしていた人が今頃調整を要求。これまでいったい何してたんですか?と言いたくなる気持ちを抑えて、(いつ放り出して母のもとに駆けつけてもいいように)ひたすら処理、処理、処理。

それでも、あんまりにいろんなことがありすぎて、今日は、電話でやりとりしながら書類調整を行っているうちに、ひどく泣けてしまった。「こんなくだらないことに、いつまで手と時間をとられるんだろう」って思って。ふだんは絶対にそんなふうに思わないんだけれど、気持ちの張り詰め方が尋常じゃないし、それがずいぶん続いているから、かなり疲れている。

一緒に仕事をしている仲間も、私がいま抱えている事情を理解はしてくれているし、いざとなったら駆けつけろ、とは言ってくれているが、やはり日常業務においては、そういう個別事情はどこかへ行ってしまうもの。「あたりまえのように要求するな」「自分のことは自分でやれ」「自分の領域を勝手に線引きするな」なんていいたくなるようなことが次から次へと。

午前中は、確定申告の処理や、次年度の事業計画の相談をしに、オットと二人で都心にある公認会計士の先生のもとへ。お金の話は、いやでも現実を直視させられる。個別の私的な事情は重々承知のうえで、それでも今年稼がねばならない金額や、回避しなければいけない事態について具体的に示されると「仕事なんてやってる場合じゃない」とも言えなくなる。幸い今は困っていないけど、いつ事態が急転するかわからない水もの商売だから、しばらくは緊縮財政でいかなければならない、とか。2年赤字を出さないようにするためにどうするか、とか。

そんな話をした同じ一日に、仕事に没頭しづらいできごとが山積みになって、息苦しくなる。会計士の先生に何度も「倒れないように。無理しないように。景気の悪いときほど、下手に手を広げたり、成果のためにリスクをとらないように」と再三忠告される。いい先生だ。本当に私たちの会社(家庭)を維持するためにありとあらゆる秘策?を出してくれる。

でも、やっぱり重い。自分の家族と、会社と、両親と。日々重みを増すそれらが、肩に背中に食い込む。生きるって、大変だ。そして、働らくって大変だ。母もこういう思いをしながら、一生懸命自分の尊厳を守るために働き続けてきたんだっけな。だとすれば、私もめそめそ、ぐずぐずもしてられない。文句を言わずにいかなきゃ。しかし、しんどい。

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2009年1月23日 (金)

今度は溶連菌…

もう踏んだり蹴ったり。心を亡くすほど忙しい、切羽詰った状況のなか、糖尿疑惑が晴れたと思ったら、こんどは正真正銘の感染症(ムスメの話です)。溶連菌だって。泣きっ面に蜂っていうか、なんていうか。shock

おとといのこと。

いつも会議室代わりに使う渋谷のホテルのラウンジで。予定よりかなり早く15時半に終わったので、そのままコーヒーショップとかで一仕事してから帰ろうか、あるいは買い物を済ませてから子供の迎えに行こうかなーと思ったのだけど、なんとなーく、どことなーく嫌な予感が。coldsweats01

ここのところ忙しかったこともあるし、学童も保育園も、お迎えはほとんどオットに任せきり。月曜日は保護者会まで緊急代打してもらったくらいで、ほんと、1ヶ月以上ご無沙汰状態だったもんで、学童に連絡を入れて早めに迎えに行く旨伝えて、さっさと向かう。dash

16時すぎにはムスメを迎えに行けたが、なんだか顔色がさえない。本人いわく、喉が痛くて給食もおやつも進まなかったんだそうだ。それで、お腹がすいて、例の低血糖(不機嫌)状態。annoy

早々に帰宅して、宿題だという体育の縄跳びの課題に取り組み、かなり元気はあったのです。夜も微熱かな?とは思ったけど早く寝付いて。ところがその晩は珍しく2回も大量のおねしょ。かなり本格的なやつです。で、朝起きたら7度近く熱があり、喉も相当痛いらしく。weep

迷ったけど、いまこじらせても後が痛いし、昨日からの嫌な予感があったので小児科を受診してきてもらった(またもオットに)。そしたら予感的中。「溶連菌」だそうで、1週間の登校・外出停止wobbly

喉の痛みと、だるさ、頭痛、吐き気…。不快感のオンパレードらしい。気の毒だけど、薬を飲んで安静にしているしかないもんなぁ。

それにしても、去年の夏、手足口病で大騒ぎしたムスコと比べると、辛いなりに「我慢」「耐える」ということを知っているのか、ムスメは手がかからない。本人は辛いんだろうけれどね。むしろ退屈で困っているみたい。こちらは詰まりに詰まった仕事で、PCにかかりきりだったから、なおさら。「つまんない~pig」とぶーぶーはいうけれど、これまた手はかからないので、休まれても、仕事に響くことはないのが、せめても救い。

在宅で仕事ができて、子どもが大きくなると、(大人の手前勝手な都合でしかないけれど)手はかからなくなる。子供の病気もそれほど怖くなくなる。身分も収入も不安定で、代打がいない心細さはつきまとうけれど、それでもこの働き方、この生き方を選んでよかったんだろうな、と思うのは、こういうとき。子どもや親が病んだとき、そばに寄り添ってやりたい時に、公私(仕事か家族か)の二者択一をぎりぎりまでしないですむ、というのはありがたいことだ。

そうおもって、今日もがんばります。

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