2009年3月 2日 (月)

河合隼雄と大バッハ

苦しい時に頼める神は、私にはいない。でも、いまはとても「宗教的な何か(宗教ではない)」を求める心境にある。やはり、漠然とした死生観というか、人生観というか、そういうものを意識せざるを得なかったことの影響がいま、色濃く出てきていると感じる。

人はなぜ生きて、なぜ死ぬのか。どう生きて、どう死ぬのか。

前にも書いたけど、私にとってある種の宗教に近いものを授けてくれたのは、河合隼雄さんと手塚治虫さん、そしてV.E.フランクルさんの3人だ。それと、母と、子どもたちかな。タゴールもここに含めてもいいかもしれない。

苦しいとき、時々、本棚からこの人たちの本を引っ張り出して読んでみる。今日は河合先生の「子どもと学校」。その一節。

(前略)生涯教育について述べたい。生涯教育が望ましいことはだれしも異論がないであろう。(中略)老人になっても進歩すると言えば聞こえがいいが、老人になると多くの能力が失われてゆき、そして最後は死に至るのが実情ではなかろうか。(中略)人間の成熟とは何か、ということが考慮されなかったら、生涯教育は危ういものになる。言うなれば「いかに生きるか」だけではなく、「いかに死ぬか」ということについても考えてこそ、生涯教育と言えるのではなかろうか。(中略)そして「いかに死ぬか」という課題は、実のところ、人間の誕生以来つきまとっているものなのである。

だからなんだ、と言うとなんでもないのだけれど、人生の成熟とは、「いかに死ぬか」ということなんだ、というところに打たれた次第。そういう無意識のテーマが自分のなかにはあったのだろうと思った次第。

宗教としてのキリスト教にはとんと無縁だけれど、子供のころから宗教画や宗教音楽には心奪われてきた(仏教も神道も同じく)。そこにある厳粛な、切実なものに魅かれた。いまは、バッハが胸に響く。苦しいときに心が求める。聞くと気持ちが落ち着く。モーツァルトでもベートーベンでも、シューマンでもなく、大バッハでなければならない不思議。

こんな無信心な人間でも、精神を慰められる荘厳さを持っているからか。これまでも、これからも、特定の信仰をもつことはないだろうが、人間は古今東西「いかに生きるか。いかに死ぬか」というテーマからは決して逃れることのできない存在なんだな、と改めて思う。

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2009年2月 9日 (月)

シルヴィ・ギエムと肉芽

夢にまで見たシルヴィ・ギエムの「ボレロ」。ベジャールの追悼ガラ。8日15時@ゆうぽうとwithムスメ。感涙にむせびました。43歳とは思えない。奇跡のバレリーナと呼ばれた人。

私のなかでは、ジョルジュ・ドンのそれが一番なんだけど、それでも眼福・至福の15分間。

こんなときに、感動なんてできるのかしら、と思ったけれど素晴らしかったス。生きててよかった(くらいの)。2幕目の演目で眠ってしまったムスメも目を見開いてみていました。寝る子を起こすくらいの強さを持っている踊り。「生きている」って、こういうことなのかなーと思う。生きているからだ。二度と戻らない瞬間。

そうそう、「ギリシャの踊り」のソロを踊った中島周さんは、素晴らしかった。とんだ掘り出し物。体がきれい。ラインがきれい。音楽的で律動的。いうことナス。東バはあまり興味がなかったけれど、次は見当つけておこうと思った。千載一遇とはこのことなり。

そして今日、月曜日。

母の耳鼻科受診。昨年春から耳骨がむき出しになっていて、そこに肉芽ができて炎症を起こしているとのこと。滲出液と痛みがひどく、昨秋認知症で検査入院した際にも継続治療をしていた(はず)。苦痛に対する我慢強さでは、他の追随を許さない母だが、その母をして痛みで脂汗と涙が出るほどの、強烈な激痛に耐えなければならない処置(肉芽を切りとって、滲出液を吸引する)を繰りかえしたにもかかわらず、悪化する一方。

いまでは、綿球を2つ挿入しているにもかかわらず、枕に滲出液が染みるほどの量が毎日出るありさま。下顎関節や、耳介周辺の骨も痛いと言い出し、鎮痛剤を飲まなければいられないほどの痛みだという。絶対におかしいので、本日某(元)国立病院を受診。(近所の私立総合病院では困難と断られたため)

放射線障害の一部、といわれ続けて早ン年。「それはわかったけど、どうすればいいの?」と思い続け、セカンドオピニオンを、と言い続け。結局(まだはっきりはしないが)悪性腫瘍の可能性が高いと言われた。薄々そんな気はしていたが、あの猛烈な痛みに耐えて処置(治療ではない!)を受け続けた母がかわいそう。

来週正確な結果がわかるけれど、覚悟しておいたほうがいい、と自分にいいきかせる。

母は、妄想・作話、事実の混同が著しくなってきている。右半身の衰退も著しい。顔面痙攣頻繁。涙もろく、希死願望を口にすること多し(次の瞬間には忘れているけれど)。

何かが、どこかへ向かって流れ込み始めている気がする。

そういうなかにあって、母を施設においたまま、美しいものを求めて、美しいとか、儚いとか感じられる私は、酷薄なのだろうか。友達と気分転換に飲みに出かける妹は、酷薄なのだろうか。

考えている余裕がないので、そんなことだけ、ログ。

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2008年9月16日 (火)

ルグリ&マラーホフ。甘露甘露。

2008年は、私にとってはバレエの当たり年。

なぜならば、ルグリの来日公演を3回も見ることができたから。

最初は5月の「ル・パルク」(Bunkamura)。これはパリ・オペラ座の来日公演。最前列で見上げるルグリは、威風堂々、気品と風格にあふれ、どこまでもノーブルな、言葉の最良の意味において正統の舞踊家でありました。顔の表情や、情緒に転んだ内的表現に留まることなく、精緻でごまかしのない、端正で明晰な舞踊技術によってのみ可能なのが舞踊表現の本道なのだということを、思い知らされたわけで。これで私はすっかりマニュエル・ルグリという舞踊王の僕になってしまいましたです、はい。

次は、8月の「エトワール・ガラ2008」(Bunkamura)。これは偶然の産物。パリ・オペラ座のエトワールが集結するガラ・コンサートで、贔屓注目のエルヴェ・モロー目当てでもうしこんだが、故障で降板してしまった。落胆していたら、ほかにも数人降板が重なったことの担保として、ピンチヒッターとして出演してくれることになった。らしい。思わぬ幸運。これまたびっくり。ワールドクラスのトップダンサーが綺羅星のごとく技と華を競う、と謳われていたのにもかかわらず、眼は、ルグリ王に釘付けとなった。もう、ルックスとか体格とかではなく、踊り手としての技術と佇まいが、有無を言わせぬ風格。これで駄目押しのノックアウト。

そして9月のNBS主催の公演「ジゼル」(ゆうぽうと)。しかも、マラーホフとの競演デス。もう、それは大変な垂涎もの。特にマラーホフのファンというわけではないけれど、ジゼルの全幕ものを、現代バレエの最高峰に位置する、個性のまったく異なる2人が主演する舞台を、東京で、同時に観劇できるチャンスなんてもうたぶん二度とないと思い。

昨日はルグリ。今日はマラーホフ。オットにも見比べ体験をさせてあげたくて連日チケットを押さえたのに、いろいろあって、結局今日のマラーホフしか見られなかった、彼は。かわいそうに。

結果としては、VSにするつもりはなかったのだけど、個人的には、舞踊家としては、私はルグリ王に忠誠を誓いましたね。マラーホフは、2月に「マラーホフの贈り物2008」のガラを観にいって以来なのだけど、ちょっと私にはこってりすぎました。(こってり、っていうと、ファンからは反論が噴出しそうだけど、なんていうか、フランスとロシアのバレエ精神の違いとか、趣味の違いというか、そういうのが浮き彫りになった感じ)

マラーホフは、本当に叙情的で、流麗で、繊細で、優美で。ロマンティックで、メランコリックで、ステキで。本人になにか非があるわけではないと思う。アルブレヒトの純真で、ナイーブで、純愛悲恋な悲壮さと美しさも秀逸だったと思う。

だけど、だけど、だけど。

前日に観たルグリのアルブレヒトは、純愛とはまったく違う、厳然としたノーブルな貴族特有のリアリティ(別に貴族に知り合いはいないけど)。支配階級らしい立ち居振る舞いと、「偽りのないスマートな酷薄さ」、それゆえに、それと意識せずに踏みにじってしまった「純愛」の意味をあとで知るというリアリティに打たれた。

正直言って、相手役のプリンシパルはいただけなかった(マラーホフ組みのペアの方が素晴らしかった)けど。ある意味、身分の違いや、かりそめの恋愛、気まぐれの戯れという関係を表すにはちょうどよかったような。煌くスマートさと洗練を身に纏ったルグリと、のぼせやすいナイーブな村ムスメのジゼルと思ってみれば、これはこれですごくリアル。私には、どちらかというと、日本の東北地方の山村の、ちょっと純朴で可憐な田舎娘という感じに見えたけど。ちょっと演歌っぽい印象。

あのー。でも、舞踊家としては、圧倒的にルグリ王に屈服したな。心酔したなぁ。マラーホフのほうが、熱心なファンが殺到していたようだけど。とにかく、私はこれからルグリの信奉者になることを誓います。

端正で明晰、統制と知性、精緻と誠実から醸しだされる、真の叙情性。詩的世界。表現者かくあるべしという感じ。背筋が伸びます。

余談1:「のだめカンタービレ」のジャン・ドナデュウがマラーホフなら、ルグリは千秋センパイだよね。って、帰りにオットに説明したのだけれど、のだめをちゃんと読んでいないオットは「は…?」と解せない風。

余談2:「ブラボー!」と拍手の乱発には辟易した。もうちょっと鑑賞に浸らせて欲しいよ。曲芸を観に来てるんじゃないんだから。しかも、やたらと「ブラボー」ってたのは、関係者席に座っていた「仕込み」。幕間で照明点灯する前に席を立ってロビーに出、暗くなってから着席してブラボー連呼してるし。昨日も同じ人がいたし。みんなちゃんと心で感じていますし、拍手もスタンディングオベーションも、自分の意志でやるでしょ。興ざめします。

今季、オペラ座を定年退団する(延期したんだっけ?)ルグリ王は、これから各国各カンパニーに客演すると思われ。世界的なマーケットといっていい(はず)の東京にも、たびたび行幸すると思われ。齢42歳の舞踊王が現役に居続ける限り、財布と気力が許す限り参詣に行くことを誓います。

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2008年5月28日 (水)

あっという間に3週間…

ゼンゼン日記になってない。まったくオンできてません。

怒涛の4~5月が過ぎました。某官公庁のプロジェクトに、やっと目鼻がつき、安堵。先週なかばに無事、記者発表を終えて、いよいよこの夏からはスタートする。立ち上がりのプロジェクションという、いちばん重たいところが今回の私の仕事だったので、6月は基本、ふつうの業推のみ。

本当は、4月の入学直後は子供中心の生活リズムにしてやりたかったけど、まあ、仕方ないか。初めての仕事相手だと、仕事の流儀だとか呼吸だとか価値観だとかがかみ合わなくて、ストレスも大きいのだけど、まあ、それもしかたのないこと。汽水域は生態系豊か、と考えることにします。

ちょっと疲れたので、先週末はBunkamuraへ、パリ・オペラ座バレエの公演をオットと観に。敬愛するマニュエル・ルグリの、定年退団直前のお姿を拝みに。1F右側前から2列目。ルグリが眼の前に。感涙。

なんというか、端正で品格と音楽性あふれる踊り。立ってるだけ、歩くだけで美しい。(ルックスの問題ではない)一挙手一投足が、まるで歌っているようで、一緒に踊る若手ダンサーのほうが体躯的には勝っているのにもかかわらず、自然と眼がひきつけられる。「華がある」って、こういうことなんですねー、と感心しきり。

今回の演目は「Le Parc(ル・パルク)」。17世紀風、庭園を舞台にした男女の恋愛・情愛の機微が3部構成で展開するアンジェラン・プレルジョカージュ振付、1994年初演のコンテンポラリーバレエ(だそうです)。

私はモダンとかコンテンポラリーとかも好きなんだけど、オットは大の苦手らしく、今回も「え~?」という感じで観に行ったのだった。彼は、いわゆるロマンチック・バレエ好き。あるいは「白鳥の湖」や「ドンキ」みたいに、アクロバティックで明快な美しさがあるもの、コンテンポラリーでも「こうもり」とか「カルメン」みたいな題材が好きなんだと思う。

彼は完全にまいっていた。終わってからも「いやー、最悪。もっとも苦手なタイプ」と。私は、第3幕を見られただけで満足。あと、オーケストラも楽曲もよかったし。心から楽しみ、御礼の拍手をしたんだけどなぁ。ただ、カーテンコールとか、結構お義理っぽくて、出演者も「いつまでやるんだ?」みたいな表情していたりして、ちょっと残念だったかも。

なにより、Bunkamuraのオーチャドホールって、がっかりだった。

ホールもフォワイエも、サービスも。全体的にムードないし、残念。新国立劇場とかに慣れてしまうと興ざめかなぁ。だったら文化会館のほうが古いけど、まだいい。ま、文句はこれくらいにして。

あんまりルグリが神々しい感じだったので(言いすぎ)、躊躇していたNBSの9月公演「ジゼル」も買ってしまいました。(オットと、ムスメの分も。ムスコは年齢制限で入れず)しかも、ダブルキャストである、マラーホフのチケットも2枚(自分とムスメ)、買っちゃった。2巨頭の「ジゼル」競演見比べなんて、二度とないかもしれないし。

嗚呼。また散財。この日記、タイトルを「散財記」に変えようか。

来月はムスメと新国立に「白鳥の湖」を。8月もムスメとオットとBunkamuraで「エトワール・ガラ2008」を観にいきます。楽しみダ。命の洗濯(ちょっとちがうか)なんだから、安いもんだ。

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2008年2月25日 (月)

チョコケーキとマラーホフ。

2月があっという間に過ぎていく。

昔は2月は「厄月」だった。自分で勝手に呼んでいただけだが、とにかくツイてない。運気は落ち、気分が沈む。早く3月にならないかなぁ、とばかり考えていた。オットの誕生日は2月18日。本人には悪いが、結婚前はオットの誕生日より厄月の到来が気になって気もそぞろだった。

今年の2月は厄どころか、「ハレ月」というか「浮かれ月」というか。

まず前半は、娘のバレエの先生の公演を見に東京文化会館へ。

そして13日のポリス公演@東京ドーム♪

ついでのようで申し訳ないが、18日は夫の誕生日。

そしてそして22日は「マラーホフの贈り物2008」を観に東京国際フォーラムへ。

マラーホフの実公演を観たのは初めて(映像ではたくさん)。去年の8月にひざの手術をしたとかで、演目やら上演順やらの調整は二転三転したけれど、なかなかの見ものでした。世界各国の有力バレエカンパニーのプリンシパルが、マラーホフの好みを色濃く反映した演目(ハイライト)を踊るダイジェスト的なもの。

生オーケストラではないし、S席という割には「?」な席だったし、何より国際フォーラムのホールはなんともお粗末な設計だと思ったので、「トータルですごーく満足度が高い!」とはいえなかったけれど、でもさすがにステージはよかったと思う。マラーホフは40歳とは思えない幽玄な印象で、舞台に立つと後光が差しているようだった。月並みな言い方だけど、「華がある」ってこういうことなのね…という典型みたいな。

あと、すばらしかったのは、あまり日本では名が通っていないようなのだけど、ヤーナ・サレンコというベルリン国立バレエ(マラーホフが芸術監督を務めている)のプリンシパル。可憐で華やかなのに、ものすごーく技術が高いのが誰にでもわかる。鋭利で精緻な、完璧なパ。素敵。

あと、ボリショイ・バレエのプリンシパル、マリーヤ・アレクサンドロワと、パートナーのセルゲイ・フィーリン。この2人も生で観たのは初めてだったけれど、素晴らしかったデス。演目はエイフマン版の「ハムレット」とザハーロフ版「シンデレラ」。特にハムレットは、本当に短かったのに、鮮烈な印象を残して過ぎ去った。

こうやって、「また観たいもの、みたい人がふえちゃったよ」状態は、お財布的には苦しくても、精神的にはすごく幸せだ。特に観たいもの、興味がもてる何かがないよりは、ずっといい。

オマケのようで大変恐縮ですが、2月17日は、1日早いオットの誕生会。娘のたっての希望でチョコレートケーキ、といっても生協のパルシステムのカタログに載っていた「ブラウニー」を作ることに。ほんとうはバレンタイン用に材料を買い揃えたんだけど、タイミングを逸したので、急遽誕生日用に早変わり。

2008_0212diary200710200012 これが材料。

軽量して溶かし混ぜて焼くだけ、とほんとうに簡単で、5歳の娘がほぼ独りで作業できたくらい。本格的な味で美味しかった。

2008_0217diary200710200009 これが混ぜて焼いたところ。

チョコケーキとマラーホフを同列に扱うってのも乱暴な話だが、それくらい2月は充実してた、ということで…。

2008_0217diary200710200019 完成。30代なのでローソク3本。端数切捨て。

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2008年2月14日 (木)

ポリス東京ドーム公演!

行ってきました。THE POLICE、27年ぶり来日公演@東京ドーム。

スタジアム系のライブは、20年くらい行ってなかった。最後に行ったのはたしか、大学の頃。大手代理店の社員を父にもつ先輩から、アリーナ席のチケットを譲ってもらったんだけど、あまりの音響の酷さやら、胡麻みたいにしか見えないアーティストやらで懲りてしまって「二度とドームとかスタジアムでのライブにはいかない!」と心に決めたのだった。

今回は、特別だった。

だって、ポリス。しかも27年ぶり。「次」は二度とないかも。ライブとしては期待できなくても、記念程度でも構わない。ちょうど来週がオットの誕生日なので、プレゼントがわりに(ちゃっかり便乗して)先行予約の抽選に申し込んでみた。結果は11月に判明。S席は外れたけど、A席が当った。

正直、ここのところ心はすっかりクラシック音楽の方に傾いていて、ロックコンサートに心躍る感じはなく、しかも東京ドームのA席ときたら「話の種」くらいだなーなんて思っていた。内容に期待もしていなかった。

ところがどうしてどうしてどうして。しびれました。かっこよかった。もちろん音響は顔をしかめたくなるようなものだったし、遥かかなたのステージに豆粒のようなスティングとアンディ・サマーズが。(14歳の頃、ひそかにファンだった)スチュワート・コープランドに至ってはドラムセットの陰に隠れてよく見えない。ヘアバンドに軍手(グローブ)でスティックをバンバン折ってる姿は、焼き芋屋のおじさんみたいで、笑えた。

それでもステージプロダクションのかっこよさにはしびれた。ライティングも映像も、鮮烈でエッジー。50過ぎたオジサンバンドとは思えない。楽曲も改めて聴いたら新鮮で、十代の頃に口ずさんでいた歌詞が、自然と口をついて出てくるのが面白かった。若い頃の記憶ってなくならないんだなぁ、と。あと、客層はあきらかに高く、中年にさしかかった男女がなかば興奮気味に集結、みたいな。これもおもしろかった。

スティングは、犬に似ている。歌声もどこか牧歌的な声質で、マットだけど艶やかというか、伸びがよくて、遠吠えっぽい。オーディエンスにコールを呼びかけていた様子なんかは、かなり犬のリーダーっぽい感じでした。隣の列の人は、アンディ・サマーズのギターに酔いしれて、エアギターに没入していて面白かった。期待してなかった分だけ、しびれた。ふだんクールなオットも昨日は感動してたなー。

もう目の黒いうちに「次」はないだろうと思うけど、行ってヨカッタ。損しなかった。でもたぶんやっぱり、ドーム系のライブにはもう行かないかな。

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2008年1月 7日 (月)

バレエ三昧。

娘がバレエを初めてはや1年半。

最初の頃は、意気揚々と家を出るも、教室に着くととたんに尻込みしてメソメソ。レッスンの終了間際になんとか慣れて、教室を後にする時には「やってやったぜ!」的な、意味不明の自信にあふれていたあの頃。

演目・演技そのものよりも、オペラ劇場やオーケストラピットの雰囲気が大好きで、おめかししては出かけていたバレエ観劇。まだまだ小さな女の子らしい、幼い盛り上がり方だったっけ。

それが、昨夏の発表会ですっかり開眼してしまい、いまや完全なバレエ少女に。クラシックのCDをかければ、いきなりバレエ(大人の目からは「創作ダンス」だが)を踊り出し、ふと食卓の下を見るとバレエシューズを履いて食事をしていたりする。噴出すと機嫌を損ねるデリケートなお年頃なので、オットに目配せをして密かに楽しむ。

クリスマスイブは、娘と新国立劇場に「くるみ割人形」を観に。ヴィシニョーワとマトヴィエンコのパートナーシップを堪能。席は桟敷席でベストとはいえなかったけど華やかなステージが俯瞰でき、幼い子供にはストーリーも把握しやすくてよかったみたい。ヴィシニョーワのマーシャ、かわいかったなぁ。

晦日の晩は、なつかしのミハイル・バリシニコフ「ホワイト・ナイツ」をDVDで。高校生の頃、ABTの来日公演を友人と横浜まで見に行ったっけ。この映画もその頃のもの。私は故・グレゴリー・ハインズのファンだったのだけれど、20年以上経って改めて観てみると、バリシニコフの華やかで活力に満ちたダンスに驚かされる。すごいダンサーだったんだな、と。最近どうしているんだろうか。

21mbq2kpgzl__aa115_ザハロワ+ボッレ版「ジゼル」

お正月は、面白いテレビがまったくなかったので、一家でまたもやバレエのDVD。スヴェトラーナ・ザハロワとロベルト・ボッレがミラノ・スカラ座に客演した「ジゼル」。ジゼルは、娘が初めて生で観たバレエでもあり、彼女の一番のお気に入りの演目。長すぎず、幻想的。超人的な肢体と、お手本のような踊りを見せるザハロワは、もはや「少女漫画」から抜け出してきたような人間離れした佇まい。踊りそのものは「生硬すぎる」と賛否両論あるようだけど、私はそれはそれで持ち味だと思うし、舞台は生ものだからコンディションによるところ大だと思うので、さほど気にしない。特に子供がDVDで観る、と考えれば多少生真面目すぎなくらいの踊りと演出でもわかりやすいものを選ぶほうがいいと思っている。実際、娘はかなり気に入っていて、DVDを見ながら踊らずにはいられない感じだった。生の舞台の迫力や臨場感、瞬間的な美しさは劇場で体感してもらえばいいので、DVDは違う目的で観ればいいと思うのです。

31kwb1kncnl__aa192_ ヌレエフ+フォンテーン版「白鳥の湖」

DVDといえば、映像化された舞台芸術ものを購入するときの基準はもうひとつ。すでに過去のものとなった作品や出演者のアーカイブを選ぶこと。できれば生で観るのが理想だとすれば、もう絶対に適わないものは映像で観るしかないので。娘に請われて「白鳥の湖」も買うことになったが、散々迷った結果、ヌレエフ+フォンテーン版に決めた。ともに物故者の、正真正銘幻のパートナーシップということで所有の価値アリと思いました。もうすぐ届きます。(ついでにベジャール追悼ということで、二十世紀バレエ団のDVDも頼んじゃった♪オットの顔色が今から心配)

21ry678cknl__aa140_ パリ・オペラ座のドキュメンタリー「エトワール」

そして翌日は、パリ・オペラ座の舞台裏をリポートしたドキュメンタリー映画「エトワール」のDVDを観た。これ、ものすごーく感動しました。バレエに取材しているけれど、芸術を志すとは、職業を極めるとは、人生の幸せとは、文化の豊かさとは…といったことが濃縮されていて見ごたえがあった。吹き替えがなく、ストーリー映画でもないので、娘には厳しいかと思ったが、ものすごく集中して見入っていた。ダンサーがスタジオでリハーサルしているだけなのに眼を奪われる美しさ。40歳を定年とする国家公務員であり、叙勲対象ともなるオペラ座のトップダンサーたちの実像。完全な階級制度の頂点に君臨するスター=「エトワール」の姿とそれをとりまく人々のありようは、バレエに興味がなくても感銘を受けることと思う。

それにしても、「芸術立国」と標榜するどこかの国では、メジャーなオーケストラやバレエ団員であっても専業では食べていけないという。国家やパトロンの経済的庇護に甘えてばかりでは駄目、という考え方もわかるが、少なくとも優れた芸術家を支援し、後進の芽を育むためにも、国家予算のある程度は、アート関係の箱モノだけでなくソフトの方にも振り分けてほしいなぁと思っちゃった。(知り合いで、フランスに国費留学していた某国立劇場関係者も、「日本って国は芸術音痴、文化音痴ばっかりだから」と、予算確保の苦労と、日本全体の無理解を嘆いていたが、あながち大げさではないかも)

で、この「エトワール」に刺激され、年始早々バレエ公演を予約してしまいました。

●2月:東京国際フォーラムにて「マラーホフの贈り物2008

ベルリン国立バレエの、いや世界の至宝といわれるウラジミール・マラーホフの定例来日公演。今年はバランシンの「牧神の午後」などが観られます。これは一人で行っちゃう(オットには内緒だけど、S席で…ははは)。

●3月:新国立劇場「カルメン

目下の注目株&贔屓のソリスト、厚木三杏が主演する現代バレエ。これは酒豪のママ友と観劇します。その後、たぶん飲み。厚木三杏が主要キャストになっている演目は必ず足を運んでいます。思えば、娘と初めて観たジゼルが、初・厚木三杏体験でもありました。途中で尻餅をつく場面もあったけど、あまりに素晴らしくて涙が出た。まだ4歳だった娘も、厚木さんが登場すると前のめりに集中し、袖に引っ込むとだれる、という大変わかりやすい反応を示していた。私はバレエ評論ができるほど詳しくはないけど、とにかく華があり、目を引き付け、音楽とともに心に刻まれた舞台でした。今回は現代的な演出のカルメンだけど、すごく楽しみ。新国立劇場って、値段もリーズナブルだしさ。もしハズシても損した気はしない。

Ko_20000186_4 贔屓のソリスト・厚木三杏さん

●5月:Bunkamura Orchard Hall 「パリ・オペラ座バレエ ル・パルク

「エトワール」である、エマニュエル・ルグリの公演日を選択。これはオットと2人で。思い切ってS席行きました。ちょっと懐に響いた…。どうしても観ておきたくて。いつかは本拠地・ガルニエ宮で観劇するのが夢だけどチビがいるうちは無理。パリに行くと思えば安いもんだ(と自分に言い聞かせて)。どうか配役変更がありませんように!

●6月:新国立劇場「白鳥の湖」

先の「ジゼル」にも出ていたザハロワは、今期の新国立劇場シーズンソリスト。「白鳥の湖」は別の国内バレエ団のを見に行ったことがあるけれど、いまいちでした。娘のたっての希望でザハロワの出演日を申し込む予定。新国立はB席でも場所によってよい席が取れてリーズナブル、ハコにもムードがあるのがいい。子連れ観劇の場合は2階桟敷席を選びます。2席1列しかない場所を選んで。急にトイレに行きたくなったり、質問を耳打ちされても、ヒソヒソと説明して他のお客に迷惑がかからないから。

そして!8月にはBunkamuraに「エトワール・ガラ2008」がくるよ!まだ予約できないけど、これもぜひに。嗚呼。

来年はバレエの発表会イヤーなので、あまり観劇に贅沢ができない(発表会って、お金がかかるから)けれど、今年は「よい演目を見る」ということを惜しまずに楽しみたいなと思っている。

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2007年3月29日 (木)

オルフェオとエウリディーチェ

先週の金曜日、新国立劇場の中劇場に「オルフェオとエウリディーチェ」を観にいった。

バレエとオペラの融合によってギリシア悲劇を主題とした舞台、ということで興味津々。一緒に観にいったのは、例の酒豪仲間のママ。なんだか4人の仲間のなかでも、特に意気投合していて、このプログラムも相談して決めたもの。

彼女は自分自身が舞踏そのものに親しんでいるので、こうした試みには興味があったようだし、私は子どもの頃、天文というか、星座とかギリシア神話が大好きだったのと、親がずーっと歌劇のCDをかけっぱなしという家で育ったので、面白そうだなーと。

有名な「オルフェウスとエウリディケ」の悲劇を題材に、ダンサーがステージで舞い、オーケストラピットでの演奏と、舞台袖でのオペラの競演がすばらしかった。また、舞台演出がとても斬新かつクリエイティブで、視覚的にも濃密な時間をすごした気がする。目が離せなかった。

導入はややもったりとして、演出も説明的とうか、陳腐な感じがしたけれど、「いかんいかん、これはバレエではなく、統合舞台なんだ」と意識してみるようにした。すると、なんだか、それぞれの表現手法の持ち味がぎゅぎゅっと収斂されたように、味わい深くなってきて、すぐに入り込めた。

最初は目新しい演出手法のように感じたものが、どうにも既視感があるのは、なぜだろう?

幕間に、ホワイエでワインを飲みながらなんとなくぼーっと考えていたら、思いついた。

「能」みたいなんだわ。

ダンサーは、シテとワキ。能だとシテなんかは歌舞を披露するけど、オケピの華やかな演奏や、袖の声楽家の美声は、能の地謡(じうたい)や囃子(はやし)などを伴って構成される感じに近い。舞(まい)、謡(うたい)、囃子(はやし)といったものの調和が生み出す演劇的な、重層的な印象がそう思わせるんだな。

こういう演目って、偶然の産物みたいに、誰かと誘い合ったりしないと観にいく機会がないものなので、新鮮。自分と趣味や興味の違う人と、共通の演目を探してあえて観にいく、ということの意外な副産物です。

そもそも、新国立劇場にはまったのは、ホワイエでのシャンパンとか、「大人の遊興」という感じがいいのよね♪という、彼女との邪念からはじまったのであるが、これもまた一興。

だって、素敵な芝居と素敵な時間を興ざめさせないためには、ハコ(空間)の雰囲気って重要なんだもん。

次はカルメンを考え中。

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