リフォームの期日が1ヶ月を切った。
6月中はあまりに時間的精神的余裕がなくて、「後手後手だなぁ…」と思いながらもタスクの優先順位は一向に上がらず。ところが、こどもの夏休みが目前に迫って、設計をお願いしている知人(人間工学の研究と建築設計を専門に研究している方)からリマインダメールが来て、実際に逆算してやっと「時間がない!」と慌て始めた次第。
最初は、事務所機能を自宅に移す想定で、予算700万円くらいで考えていた。(外部との連携仕事は、クライアント先で仕事することが多いし、通信環境が整ってさえいれば、それ以外の仕事は在宅で十分仕事ができることがわかってきたから。オットも居室内スペースを必要とする仕事は少ない)
1)LDKに相当する3部屋と独立型キッチンを統合し広い1リビングに
2)生活導線を効率化するために収納を統廃合
3)異性の姉弟の成長を見越した拡張性のある間取りに変更
4)ウォークインクロゼットと主寝室を兼ねた機能的な夫婦居室
4)経年劣化がダメージならない質感重視の建材採用
※風呂・トイレ・脱衣所等の水周りはコストと構造上の問題で対象外
をすべて満たすつもりでいた。最初は。
ところがGW直前、会社のキャッシュフロー会議(要するに家族会議)で、今期の利益が思っていた以上にあり、課税額も大幅に増えてしまうことが判明(うちの期末は8月なので)。高級車1台分くらいの納税(キャッシュ)が必要になってしまうことがわかって、これまで税金分としてストックしておいたものでは到底足りないということになり…。
そこからはもう、税理士の先生に泣きつくわ、経営コンサルを探すわで、個人事業主に毛の生えた、会社とも呼べないようなレベルの会社が、いつの間にか自分たちの経営能力を超えた大木になっちゃってた。そんな感じ。それで、慌てて融資申請をすることになり、できるならリフォーム費用も含めて融資申請をせよ、ということになったのだった。
運転資金と設備投資という2つの項目で申請をするのであれば、設備投資(リフォーム費用)はトウゼン目減りする。金額にしておよそ半減
つまり400万円でできることを考えないといけなくなったわけです。これには設計者も「…
」。ただ、当初から2段階拡張でリフォームを完成させるつもりではいたので、要はイニシャルコスト(初期要件)をどこまでシェイプさせるか、ということなんだけど、時間がないのがネック。
400万円でどこまでできるか。
その「どこまで」の認識合わせに、実は一番時間と労力が要った。
オットは、実際にお金の流れを見ている立場なのでほとんど楽観しない畳み系。私はコンセプトありきでものごとを考える広げ系。設計者は(いい人なので)なるべく折り合いをつけて実現させてあげたい、と考えてくれるのだが、そこがオットと私の「希望」を刺激する。
結局、言いたいことを全部吐き出し、譲れるところはギリギリ譲って、最後、設計費用の調整になったところで、大工さんから設計者に
「この予算では、施主さんが想定しているイメージのまま実現できない。それをなるべく早く言ってあげたほうがいい」
という進言があったそうです。さすがプロ。っていうか、ほとんど非現実的な話だったんでしょうね。「寝言は寝て言え」くらいの
。途中まで一生懸命私の希望に沿うよう努力してくれて、決して「No」とは言わなかった設計者が、非常に申し訳なさそうにそれを伝えてきた表情を見るかぎりでは、私たちがどんだけ無理難題を言っていたか察しがつきました。恥ずかしさを通り越して、笑ってしまった。
でも、自分達も、人の頭のなかにあるイメージを具現化することを生業としているから言うのですが、結局どの分野においても「デザイン」というのは単なる意匠の提供ではなく、ソリューション(課題解決)であるべきなので、依頼者(クライアント)の課題意識とかものを見る視点がどこにあるのかは見切らないといけないんだと思う。それを見誤ると、どこまでいっても本質的な議論にならない。
だから、「いやな依頼者だろうな」とは内心思いながらも、その課題視点が共有(できていることが実感)できるまで、諦めてはいけないと思った。法人感覚だと400万円は決して高額とはいえない場合が多いけど、個人の生活資金としてはやっぱり相当に大金だから、それだけの投資をして生活環境の改善をはかるのであれば、最終的に使い道に責任を持つのは施主であり、生活主体である私たちなんだろうと思うし。
ということで、最終的には絶対に譲りたくない点を絞った。
1)空間の印象を左右する大きな面積(床・壁)は質感を重視
2)居室の間取りと印象を左右するキッチンもデザインと機能重視
3)空間の印象を左右する照明もダウンライトに
4)壁面書架は蔵書内容を考慮して端正さと機能性に徹する
5)持ち物を最小限に絞り、容量前提で収納する
まあ、カンタンにいうとそんな感じ。融資返済完了が6年後なので、6年後に二期工事を行う前提で、拡張性も考慮した構造整備だけしておくことも、今回の要件のうち。ちょうどその頃には、ムスメは中学1年生、ムスコは小学校5年生くらい。いいかげん固有スペースというか、自分の管理領域がほしくなる年頃だろうし、親も親でプライバシーが必要になってくるわけなので、その頃にすべて手を入れ終わるイメージか。(キットのその頃には、犬たちも2匹ともいないだろうけれど…)
そんなわけで、事前準備としてはまず不用品の整理が急務になった。一念発起して、これまで捨てられずにいたものの整理に着手。不思議と、「なんでいままでこんなものが捨てられなかったんだろう」「どうしてこれに未練や執着があったんだろう」というものがわんさか出てくる。10代の頃の手紙や、大学生時代のあれこれ、ひとりであちこちフラフラ旅したり遊んでいた頃の思い出の品とか、ムスメやムスコが生まれてからの雑多な書類とか工作(ともいえないような作品)とか…。
これまで8回の引越しを経験してきた身としては、こどものものを除いては何度も処分するチャンスがあったにもかかわらず、ここまで残存していることが不思議なモノばっかりだ。こどもの思い出の品も、これまで絶対に捨てられなかった。小さくてかわいい時代の思い出が凝縮しているようで。こども達の時間も一緒に捨ててしまうようで。でも今回はわりとアッサリと、さっぱりと見切れるものが多かった。
それで私は「ああ」と思いあたった。
私はずっと、思いを残して生きてきたのかも、と思って。若い頃の自分にも生活にもまったく未練はないけれど、こと30代になってから(結婚し、独立し、親になってから)は、思い出(の権化のような品物)を捨ててしまうことは、生きてきた証を捨ててしまうようで不安だったんだと思う。「いつか連絡するかもしれない人からの手紙」「いつか役立つかもしれない本」「いつか思い返して懐かしくなるだろう子供のもの」…。
でも10年、20年と同じように心を残してとっておいたこれらのものは、結局一度も役に立っていない。なくても何も遜色なく生きてきたし、存在も忘れていたくらいのものばかりだ。こうやって、記憶の贅肉を溜め込んで生きていくのは大いなるムダだなぁ、と思った。家のスペースのムダであり、私の心の中のムダ。ムダは嫌いじゃないけど、ちがうムダに割り当てたい。古い手紙やノート、洋服や雑貨を捨てるたびに、気持ちが軽くなる気がした。
そういえば、「捨てる技術!」って本が流行ったナァと思いながら。あの本には、タイトルとは反対に、なぜ人はものが捨てられないのか、が書いてあっておもしろかった。人は思いをモノに移し、残すもんだ。
こどもたちのモノを捨てられなかったのも、結局去年いろいろ立ち止まるまで、こどもたちと過ごしてきた自分自身のありかたに自信が持てなかったからなんだと思う。思いを残してきてしまったからだと思う。でも、ムスメが小学校に入り、ムスコが4歳になろうとしている今は、こどもたちがいつも前しかみていないように、私も前しかみていない。
過ぎた日々は、懐かしく、ちょいと切ないけれども、思いは残していない。だから、すっぱり「サヨナラ、アリガトサン」と思って、モノにはバイバイできるんだと思った。小さく、拙い工作たちも、重要なものいくつかを除いては、一点ずつカメラに収め、バイバイする。バイバイ、切羽詰って、的外れで、余裕がなくて、それでも一生懸命だった自分。バイバイ、不器用でなかなか気持ちがつながった感覚のもてなかった親子。バイバイ、後悔ばっかり、できなかったことばっかり振り返ること。ついでに、バイバイ、衝動買いで満たされない気持ちを埋めてきた時代の自分(結局着ない、使わないモノがどんだけあったことか!)。
あんまりガンガン捨てるんで、傍で「さすがにそこまでやるか?」的に横目でちらちら見ているオットの苦笑が気にならないでもないが。ネットで気になるものをチェックしていると、「捨ててるくせに、また何か買いたいの…?」的なムードも気にならないではないが。
しかし、とにかく私はリフォームを機に「捨てる!」技術を身につけたのだ。
どんな家になっていくのか、は次回に。
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