2007年9月20日 (木)

ずっと残っていてほしいもの

あんまり、固有名詞を出すとナンなんだな、と思って控えてきたけど、気になっていたお店や商品がどんどん消えていってしまうのが悲しくて、思い切って(というほどたいしたことじゃないけど)書いちゃおうかと。というのも、気にって社食のように通ってきたブラッスリー(一見カフェ)が、建物の老朽化でまもなく移転するらしい、と聞いて、俄然慌てたものだから。お店はなくならないのだが、なんとなく、突然「万物流転」なんて言葉を思い出したりしたのです。なので。

以下、10年後も20年後もあるといいな、なもの。

●ブラッスリー「Les liens(レ・リヤン)」(下北沢)

駅から少し外れた、茶沢通り沿いの古い家屋(露崎商店の一隅)を改造したカフェ。というよりは、もはや、やっぱり、ブラッスリー。料理もデザートも美味しい。オーナーシェフである同年代の女性の味覚のセンスがいいのだと思う。接客の程度も好き。いつ行っても親しみを込めて挨拶してくれるのに、他の顧客も含め、みなわきまえているというか。常連臭が立ち込めていないところがいい。美味しくて、適正価格。とにかく、好き。

●「piyoko(ピヨコ)」(駒場)

アンチモスキートスプレーハーバルマイルドシャンプーは、最高。虫除けのほうは保湿力とアロマの芳香がすばらしくて化粧水代わりに使えるくらい。シャンプーにはローズマリーとラベンダー、レモンのアロマオイルを落として使っているけれど、「これ以上で肌に優しく作ることは不可能」という自負はうそじゃない。植物由来の成分のみなのに、リンスいらず。でもいわゆる石鹸シャンプーは、私の肌にも髪にも合わなくて嫌いだったんだけど、本当に、本当に、本当につるつる、さらさらな髪になる。そして地肌が痒くならない。体も洗える。子供の全身シャンプーとして使っても、肌も髪も荒れなくて、むしろ感想肌・敏感肌の子供たちの肌はすこぶる快調。トニックシャンプー好きの夫も大のお気に入り。ついでに、ここのシフォンケーキは、ほんとうに最高。

●とらやの栗粉餅と栗蒸羊羹

秋だけの限定販売。とらやは基本、献上品として「上菓子」を旨としているんだけど、庶民的なはずの「粉もの」も最高においしい。なかでも、この季節の栗ものは最高(って、本当に語彙が貧困…最高しか言えてないよ)。栗粉餅なんて、下手なモンブランより美味しいと私は思う。和栗の香り、なめらかな食感。10月いっぱいしかいただけないと思えばなおさら希少感が。栗って、あんまり得意じゃなかったけれど、私は認識を改めさせられました。早く買いに行かなくちゃ。

●トコちゃんベルト

長女の出産があまりに過酷で「恥骨離開」(分娩時に産道がうまく開かず、恥骨=骨盤の接合部が開いてしまった状態)になり、しばらく歩けなかった私。あまりの痛みと予後の悪さで泣いていたときにネットで知った「トコちゃんベルト」。元国立大学付属病院の産婦人科婦長だった方が、安全で快適な周産期ケアを提唱して、自らカイロプラクティックを学び、妊産婦・産褥婦の整体指導のためのツールを開発したもの。品川など全国各地で生態院も主宰されていて、ずいぶんお世話になった。妊産婦だけでなく、骨盤や頭蓋骨のトータルケアということで、男性や未産婦の中年女性も通ってきていた。私のからだの恩人。また行きたいなー。

って、時間がなくなっちゃった。時間切れ…。

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2007年4月27日 (金)

ホームパーティのメニュー

連休は、我が家でホームパーティを2度開くことになった。

招く相手は、前半は恒例の酒豪連。後半は、去年の保育園年長さんグループ。

恒例のAチームのほうはもう、勝手も行く先もわかっているので、手も気も抜いて、適当に(食べ物と飲み物は抜かりなく)。

でも、後半の旧・年長さんによるBグチームは、うちでの飲み食いはもちろん、家に上がるのも初めての人ばかりなので、あんまりテキトーにするのもいかがなものか。寛げない、安らげない、というのではおいでいただく意味がないので、こちらはあまり気張って飲食に力を入れるよりも、水周りの掃除とか、スペースの調整とか、子供たちの遊び場の確保とか、ブッフェ方式で適当にやってもらうようにすることにした。

だって、Aチームはフルメンバーでも大人8人、子供7人がせいぜい。

ところがBチームは大人12人、子供9人。しかも子供はうち以外は全員小学生。遊ぶし、喋るし、食べる。

とりあえず、前日に仕込めるものは済ませておいて、当日は焼くだけ、温めるだけ、盛り付けるだけにしておこう。欠いてはいけないものは、とりあえず、氷とか子供のお茶。あと、チーズとか生ハムとかお漬物とか、「なんかつまみたい」時に、出せばいいだけのものかなー。

そんなわけでBチームのレシピは以下のように。

・豚耳(ミミガー)と胡瓜・葱のごま油和え

・小松菜のにんにく炒め

・ジャガイモのナムル

・セロリと牛蒡のきんぴら

・トマトとクレソンのサラダ

・炙り若布

・どじょういんげんの香味酢

・チーズ春巻のカレー塩

・豚モツのねぎ塩

・自家製スモークサーモン

・鳥そぼろの春雨煮

・豚ロースブロックのハーブロースト

・黒米と雑穀のおにぎり

うちも含めて、卵アレルギーの子が多いし、うちの子達みたいに体調が下り坂だと甲殻類に反応する場合もあるので、そういう「強い」ものは口に入れるまで管理しきれない時には出さないことにしている。特に初めて招く人には。

あ、Aチームのひとたちには

・鶏手羽と根菜の中華煮

・きのことベビーリーフのサラダ

・れんこんとアンチョビのきんぴら

・豚バラと大根の塩煮

・チーズ盛り合わせ

・自家製スモークサーモンとスモークハム

・とうふとトマトのカプレーゼ

・自家製ポップコーン

でいこう。あのひと達には、量と見た目の鮮やかさがあればいいのです。問題はお酒の量だからf(^_^;

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2007年4月25日 (水)

豚とマクロビ

GWの一番の楽しみは、畑仕事だ。

春先に種まきをした作物のうち、はやいものならかなり育っているはずとのこと。雨であろうが、雷であろうが、ひたすら自転車で通いつめて手入れをしている夫とはちがい、私も子供たちも初めて足を運ぶ。

子供たちの通う保育園は、小さいながらも園庭に畑をこしらえている。夏野菜や豆類を育て、収穫から調理のプロセスを経て口に入れるまでを体験させてくれているらしいので、子供たちにとっては「畑・野菜・収穫・ご飯」というひとつながりは身になっているようだ。それでも、広い畑で思う存分土をいじれる機会はなかなかないので、心待ちにしている。特に下の息子は、最近「みみず」に凝っている。雨上がりの公園や園庭でみつけては、指でつまんで「冷たい」「やわらかい」と感触を楽しんでいるらしく。

こういうときに、保育園に通わせていてよかったとつくづく思う。もし家庭で育てていたなら、狭量な私は「そんなの触らないくれ~」とおびえ、払い飛ばしていたことだろう。子供の手指は私の手指ではないが、生理的には許容しにくい。息子にとってはいい迷惑だし、子供の体験や興味を殺ぐことになるけれど、園で存分にいじくりまわして満足し、手を洗ってくれるのであれば、別に動物の糞でも虫でも気の済むまでやってもらっていいいわけだから。

さて、その畑では今年も子豚を手に入れ、畑仕事とともに秋口まで飼育するとのこと。秋を迎える頃、この豚はつぶされる。つまり、肉にすることを目的とした「食べるための豚」。そして、その肉は畑仕事にかかわるみんなでいただくことになる。昨年は旅行に行ってしまったので、夫はその現場には立ち会えなかった。(おそらく屠殺する瞬間への立会いは、本人の自由意志によって決められるものと思う。しかし、解体は基本的に手作業で行う)そのことで「何かを逸した(逃れた)」と感じていたらしい夫は、今年はこの課題に正面から取り組むことにしたらしい。

「できれば、名前なんかつけないでほしいんだけどね」とつぶやく夫。

名前をつければ愛着が沸く。情も移る。鶏一羽つぶすのだって、ひよこから見守ってくれば胸が痛むだろう。ましてや豚。(いま、小説「シャーロットの贈り物」を毎晩読み聞かせているが、読んでいる私や、聞いている娘にしてみれば…)それでも、私たちは命をつぶし、口にして生きてきたし、これからもそうしていかなければならない。もちろん、娘たちが「肉は食べない」という選択をするなら、それは本人の自由だけれど。それでも私たちの体や存在自体が、肉食・雑食の履歴の上に成り立っているということは事実だから。というのが私の考え。

知人に、マクロビオティックを基盤にした日常生活を営んでいる人が何人かいる。ストリクトな人から、ゆるやかにとらえている人までさまざまだけど、みな基本的には積極的に肉食をしないようだ。私自身は、食生活は生きていくうえで欠かせないものだと思うし、健康はもちろん、おいしく、大切にいただくことが何より重要だと考えている。マクロビは、その点では共感し、勉強する点も多いのだけれど、都会で日常生活を送る身としては「コンセプトには学び、手法は現実的に」というのがしっくりくる。肉を食え、魚を食え、という肉食奨励をするためではなく、「食べるものをえり好みしすぎない」ことの大切さといおうか。

一時より少し落ち着いてきた感があるが、「スローフード」というムーブメントが地産地消という、経済活動の視点を大切にしていたことを思うと、マクロビはより個人的で内省的な色合いが強い気がする。マクロビの「身土不二」という考え方には、その土地でできたものを、その土地のやりかたでいただくことが最善、という要素も入っていると思うので、その意味ではスローフードと重なるところがあるのかもしれないが、現代日本、それも東京という場所で暮らすことについて、根源的に見直さなければ、マクロビオティックの本質には到達できないのではないか、という気がする。

マクロビのオリジンが「日本における日本食」であるならば、菜食中心で、肉・乳などを口に入れないことも理解できるし、栄養学的にも理にかなうところは大なのかもしれないが、そこには「命をいただいて生きていく」ことへの厳しさや慎みぶかさみたいなものが少し足りないように思うのは私だけだろうか。マクロビの考え方の延長線上に、循環型社会の成熟だとか、大量生産・大量消費・大量廃棄といった構造への批評精神が含まれているのかもしれないが、マクロビを実践する人の多くのゴールは、自らの健康と暮らしの浄化という内的なものにセットされているように思う。少なくとも私の知る実践者や、指導者は。

…。ちょっと話が大きくなりすぎたので、またこんど個別に整理しよう。とにかく。私も今年は、この豚ちゃんの一生をできるかぎり見届け、大切に大切にしたいとおもう。ちょっと気は重いけど、私たちはそうして生きている、おいしく食べているということの本質に触れられるよい機会だと思うから。

さて、本日の晩御飯は、

豚バラと大根の塩煮。

そして新ごぼうとセロリのきんぴら。

トマトとクレソンとパルミジャーノのサラダ。

あとは蕪の葉っぱと油揚げ、しらす、しいたけの炒め物。

(なめこと豆腐の赤だしとご飯)

品数は多く、量は少しずつ。そして残さず、捨てず。おいしく、ありがたくいただければいいのだ。

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