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2011年9月11日 (日)

10年目と、半年。

8月は記憶のないままに終わりました。

親になって10年近く、公的保育の支援を受けながらフルタイム(の二乗)で働いて来た日々。
丸一日、母子だけで過ごした経験がほとんどなかった有職母だった私にとって、はじめての経験をした夏休みでした。

4年生になったムスメは、これまで学校の長期休みの間は学童保育サービスを利用していたので、9-17時は不在だったし、ムスコも去年まで保育園児だったもので、「夏休み」とは言っても、ほとんどふだんと同じペースで生活してきたのでした。

ところが今年は、ムスメは4年生。つまり、学童保育の対象外。ということは、日中は自宅でひとりで過ごさないといけない。少なくともお昼は自宅でお弁当(のはずだった)。

そしてムスコは学童にお世話に(なるはずだった)。

オットは母の死後、思うところあって福祉職を志すことに。これまでの仕事は細々と続けながらも、福祉事務所で福祉職の嘱託勤務&資格取得の日々に突入しており、日中も土曜もほぼ不在。

大げさだけど、母子だけでなんとか長い夏を乗り切るためにどうやりくりするか、初めての試練だったのでした。いってみれば、「ちゃんと(専任の)お母さんをした」初めての夏だったのだ。

そんなこと言ってると、外勤フルタイムで働き続け、子どもにも早くから生活自立させて、シッターサービスも利用しながら四苦八苦して乗り切って来た父母からはおしかりをうけそうだけど、「子どもを一夏家庭において過ごさせ、仕事もしつつ乗り切る」ことの大変さを、いまさらながらに痛感させられました。

これまでは、うちもいろいろ大変だったけど、オットとの交代で「どちらかは必ず、何かあったときに家にいられるように」体勢を整えてきたから、よほどのことがないかぎり子どもの在宅時間をどうするか、で苦慮することがなかった。(それを許すには、私が過剰に仕事をしたり、オットが仕事を絞ったりと、不均衡や歪みも伴ってしまったわけだけど)

きっといつもなら、「もう4年生だし、自宅で長時間ひとりでも大丈夫よね」と、ムスメも私もお互いに新生活のリズムをそれなりに楽しめていたかもしれない。

だけど、3.11があって、私とオットの「安全観」は揺らいだ。

あの日、たまたま近くの事務所に打ち合わせに出かける寸前だった私は自宅で地震に遭遇した。
ムスメは学校で授業中、ムスコは保育園の午睡明け、オットは自転車で15分の福祉事務所で勤務中だった。

後日談で、幕張や青物横丁からヒール&徒歩で夜通し歩いて帰って来たママ友の話、品川から横浜までスーツと革靴で夜通し歩いて帰ったら踵の骨を疲労骨折した男性の話などを聞いたし、たまたま短縮授業の日で、ひとりで帰宅した瞬間に地震が来て大きなショックを受けた子の話や、私学へ地下鉄で通学していて電車が緊急停止で、通信網不全で連絡もとれずに立ち往生した小学生の話なんかを聞くにつけ、徒歩圏で、お互いに目が届く範囲で生活ができていることのありがたさや、緊急時に子どもをひとりにしなくて済んだ安心感などが骨身に沁みた。

だから、この夏も、万が一のことを考えたときに、少なくとも自宅にムスメひとりで長時間、という状況はつくりたくなかった。どうしてもそれはできなかった。忙しかったにもかかわらず、終日長時間の会議や外出を余儀なくされる場合には、オットに時間休をとってもらうか、あるいは思い切って祖父母宅に預けるか、あるいは同じマンションの上階に済むご夫婦世帯の奥さんを頼るか、にした。

いろいろ腐心しているなか、ムスコも「オレだけ学童なんてやだし。オレも一緒に家にいるし!」と宣言。結局、日中のほとんどをムスコも一緒に在宅で過ごすことに。

いや、とにかく子ども2人とひがな一日(もちろんこちとらずっとPCに向かって仕事、仕事、仕事)一緒にいるというのが初めてなもので、いろんな意味でよい経験になった。

午前中はそれぞれ高学年と低学年のプール実習に。戻って来て午前中に自宅学習を終える。お昼を一緒員食べて、午後は自由時間。夕方帰宅したオットと、時間が合えばみんなで徒歩数分の室内プールで水泳。夕食と寛ぎタイムが終わって就寝したら、それからまた仕事。そんな感じ。

しかし、一緒にいると、とにかく集中力のないムスメ(ムスコの面倒をみるからしかたない)と、集中力も意欲もあるがつきっきりでないと何も進まない(1年生だからあたりまえか)ムスコに気と手をとられて、日中の仕事の効率は、少なく見積もっても40%はダウン。結果的に、夜更かしになってしまうという悪循環に。

そして、そういう子どもたちの挙動に目がいってしまって、気になって気になって仕方がなく、ついつい口やかましく小言を連発してしまい、親子ともにウンザリ…ということの繰り返し。

よく、夫の定年退職後、ずっと家に居られると気詰まりで、一挙手一投足が気になって落ち着かなく、メンタルに変調をきたす妻が多いと聞くが、そういうのに近かったのかも。ふだんは気にならない子どもたちのようすも、日がな一緒にいるといちいち目に留まるし気に障る。非常に、お互いにとってストレスの多い日々だったことも否定できない。もちろん、すごく新鮮な経験もたくさんしたわけで、「ふだんはこんなふうに過ごしているんだな」とか、「こういう一面があるのか」ということもわかって興味深かったんだけど。でも、ここまで忙しくもなく、気持ちにある程度ゆとりがあれば、もっと楽しめたのに、と思うと非常に残念。

親っていうやつは、本当に欲が深くて、ついつい子どもの実力以上の何かを求めてしまうし、達成度を高く見積もってしまうから、「なんでできないの?」「どうしてもっと〜しないの?」と問いつめてしまう。いつのまにか欲張りになってしまった自分の至らなさを、いろんな局面で知らされた夏だったともいえる。

今日は2011年9月11日。

10年前の今日、私のお腹にはやっと授かったムスメがおり、ちょうど4カ月目に入っていた。切迫流産で在宅勤務の許可をとりつけ、ひどい妊娠悪阻で苦しんだ夏をなんとか乗り切ったものの、なかなか寝付けずに、深夜、NHKで「アリー my love」の再放送を見ていた。突然緊急ニュースに切り替わり、そこから後は朝まで画面に釘付けだった。これから世の中に何が起こるのか、お腹のこの子はどういう世界を行きて行くのか、不安や気持ちの高ぶりで寝付けなかった。

あれから10年たち、ムスメは小学校4年生になり、第二次性徴期の兆候もみえて来た。反発心と甘え心がないまぜになった面倒くさい年齢でもあるが、ずいぶん「おねえさん」になった。この10年で、私たちは親になり、四十路に入り、ムスコも授かり、犬たちは老い、母は亡くなり、父は新しい後添えを得て、私と妹とは違う道を往った。光陰矢の如し、とは言いにくいくらい濃密で重厚な10年だった。

そして2011年3月11日。

翌日にムスコの卒園式を、1週間後にムスメの誕生日を控えて、私たち家族にとっては(父のことなどいろいろあったものの)前を向いて生きていこう!という気持ちになっていた矢先の地震。そして原発事故。今日までのあいだ、家族が無事でよかった。近くにいてよかった。生きて行く上で本当に必要なことってなんだろう。そういうことを嫌が応にも考えざるを得ない半年だった。

今日、偶然、秋の祭り着を新調しに浅草の専門店へ家族4人と妹とで物見遊山がてら出かけ、浅草寺で恒例の祈願をしたのだが、ちょうど15時少し前だった。手を合わせて、家内安全を祈ったときに、まっさきに頭に浮かんだのは、「こうしているだけでありがたい」という思いだった。

「生まれてきてくれるだけでありがたい」と真剣に思った10年前。「無事でみんな一緒に過ごせるだけでありがたい」と切実に思った半年前。

そういうことが、偶然にも一気にフラッシュバックしたのでした。つい忘れてしまう、つい高望みしてしまう日々のなかで本当に何かひとつを祈るとしたら、家族や大切な人の息災でしかないんだ、ということに、そんな簡単で大事なことに、あらためて気づかされた次第であります。

とりとめもないけど、そんなことを噛み締めている10年目、そして6カ月目の私です。

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