« 2011年5月 | トップページ | 2011年8月 »

2011年6月25日 (土)

代償性発汗の夏を乗り切るために…

しばらく、またもや更新していなくて。

5月からこちら、ほんとにいろいろありすぎて疲れちゃった。
そんなこんなのうちに、梅雨に入って「寒いなー」と思う日が続いて、「今年は冷夏かな」なんて思っていたら、いきなりの真夏日続き。ついに来ました。魔の夏が。

ETSについて一度は書いた者としては、その後についてもやっぱりちゃんと書いておかないと。

夏が終わると本当にほっとしたもの。1年のうち6〜9月の半袖シーズンは本当に憂鬱。もうすぐETSを受けてまる2年経つのだけれど、去年より今年のほうが、代償性発汗は厳しいように感じる。突然暑くなったので落差の問題なのかもしれないし、シーズン半ばになれば「慣れ」るのかもしれないけど。

今年、特にきついなと感じる一番の理由は、ウエストまわりの「汗負け」がヒドいから。下着のゴムが当たるところが、赤くミミズ腫れのようになってしまって痛がゆく、見た目も痛々しい。今年けっこう太ってしまったせいで、肌の密着度が高まっているからなのか、肌そのものが過敏になっているのか、原因は特定できないのだけど。

私の代償性発汗は、結構ヒドいほうだと思う。部位としては、
●背面:レーサーバックタイプのタンクトップがあたる場所(肩甲骨の間、背中から仙骨)の中央部。
●前面:アンダーバスト、乳房の間(いわゆる谷間)からおへそくらいまで
●大腿:太ももまわりは前後左右ぐるり(5部丈のスパッツが当たる部分)
●顔面:額生え際と、いわゆるTゾーン(頬や首、頭皮はあまりかかない)

この季節、ちょっと動くだけで胴回りは滝汗。本当に、サウナに入ったみたいに汗粒が出て流れ落ちる。ぴったりしたTシャツを1枚で着たりは絶対に無理。でも、一応自分なりの対策で、たぶん、日常生活には問題ないくらいにカバーはできている。
そのコツだけ、ここに書いときます。今日みたいな酷暑でも、1日汗を忘れて生活できる。

1)用意する基本アイテム:1回分
●ユニクロの「サラファイン」カップ付きキャミソール:ワキパットがついて肩ひもが調節できるもの
●てぬぐい:私はおしゃれなてぬぐいメーカーのものをたくさん買って、ハンカチがわりにもローテーションで使ってるけど。2枚
●レーサーバックのランニングか、薄手でぴったりしたTシャツ。
●7分丈のスパッツ:黒かチャコールグレーで、股上まわりがメッシュになってるもの。そのままチュニックの下にも切られるようなタイプでもいい。

2)サラファインはブラまわりはぐるりと二重になっていて、ゴムでしっかりホールドしてくれるので、その前面と背面に、4つ折りにした(B5サイズくらい)てぬぐいをしわにならないように挟む。

3)前面はてぬぐい上端を乳頭の位置にあわせて、谷間の汗を吸えるように。てぬぐいはこの位置でもウエストラインまで来ます。

4)背面は、肩甲骨の間に上端を合わせる。腰の位置まで手ぬぐいの下端が来ます。
★私は胴の側面はほとんど汗が出ないので、ふだんはこれだけだけど、気になるときはウエストラインにてぬぐいをもう1枚広げて巻いてもいいと思う。

5)サラファインは裾が眺めなので、そのまま前後のてぬぐいを押さえるように裾を伸ばしておく。
そこに7部丈スパッツをはいて、サラファインの裾を入れるようにしてはく。

6)その上から、レーサーバックかTシャツを着て下ごしらえはおしまい。

いまだと私は、この上からマリメッコなんかの大胆な柄で白地なんかのAラインのチュニックに、下はクロップドパンツをはきます。胴回りがカバーできるし、ウエスト周りの着膨れ感もカバーできる。

あとは、プチバトーの麻のたっぷりしたランニングとプルオーバーに、下はデニムパンツとか、ZARAのたっぷりめのTシャツに麻の黒いカーデガンとか。

太もも周りは汗が目立たないおゆに、ベルメゾンの「ももはり」パンツで、ウレタンストレッチなんかの、水なじみが悪くて、厚手で、ストレッチが強いもの。型くずれもしないし、下に七部丈のスパッツをはくと完璧。このスパッツもベルメゾンで探したんだけど、もたつかなくても快適です。チャコールグレーのスパッツだと、白いクロップドパンツの下にはいても透けないし。

上半身はたっぷりめ、下半身はコンパクトというのがベストバランス。ベルメゾンの、化繊の衣類はなかなか賢いです。ほかにブランドでおすすめなのは、ZARAやマリメッコ、MUJI、プチバトー。
おしゃれをあきらめなくても、それなりにまとまります。

そういう意味では、真夏は、上記のフル装備ファンデーションの上にワンピース、というのが一番無難。

で、なにより絶対におすすめしたいのが、てぬぐい。あの薄い布を4つ折りにするだけで、それを前後身頃に挟むだけで、ものすごい給水力、しかも、洋服の外に響かない。薄いからアウターにも響かないし、ボトムのウエストに入れられる。ほんとうに、だまされたと思って、手ぬぐいパッドをお試しください。下手な厚手タオルよりも、よく吸って、すぐ乾き、響かない。

それから余談だけど、てぬぐいは、端っこをまつっていない、切りっぱなしだからこそ、速乾性にすぐれているのだとか。わたしは「かまわぬ」のかわいいのを含めて、おみやげやミュージアムショップでも買いまくって、いまや30枚近く持っているんだけど、1日中外出が続く日には、前後2枚装着のほかに、スペアを2枚もって出ます。てぬぐいはびっしょりになるけど、したたるほどじゃないし、半日に1回、帰られるようなら前後を交換すると本当に爽快。ぬれたてぬぐいもかるくすすいで絞ってジップロックに入れておくんだけど、すぐにすすげて、すぐに乾くから、夜まで持ち歩いても臭くなりません。

男性だとスポーツ用のぴったりしたタンクトップ(dry fitとかの)で前後を押さえてもいいかも。とにかくてぬぐいは必需品です。さらしでもいいです。
外出前に装備を点検/準備するのは面倒だけど、外出前にこの準備をするだけで、1日のQOLは本当に上がります。

ちなみにこの暑さで、浮腫やだるさがとれないのも、もしかしたらETSの影響かもしれないな、と思うし、からだのバランスは崩れたのかもしれないな、と思うことはあります。真冬は本当に寒いし、真夏は暑さや湿気に弱い。

それでも、個人的には、手足の発汗がとまったことで、社会生活はいたって快適。以前のストレスを考えれば、いまの不便は個人的には(あくまで個人的には)許容範囲。どちらにしても、悩み多きからだに生まれついてしまったのだから、40歳で見切ったことは半分正解だったのかもしれない。

ただし、やっぱり、我が子や他人、しかもまだまだ人生これから、なにがあるかわからない、という若い人には勧めないだろうな、と思う。手掌多汗症がどれだけ人生と人格形成に影を落とすか、そのことを痛いほどわかったうえでなお、「人魚姫の決意」と同じだけの覚悟ができて(覚悟だけでなく、その後の人生を本当に引き受けることができるかどうか)、あらゆる未知のリスクを引き受けることができる人はいない、と思うから。まだわかっていない副反応だってあるかもしれないし。

私自身はいまは多少生活上の不便があるけれど、会社努めではないし、服装や交通手段や生活スタイルについて自己の裁量でどうとでもできるからまだ、負担感もさほどでなく済んでいる。そういう点でも後悔はまったくしていないけれど、他の人に対して既知・未知の代償(汗だけでなく)を「大したことのないもの」とは言いきることができないでいる。だから、もしムスメに請われても、まずはあらゆる手だてを講じて心によりそいながらも、最終的には「子どもを産んで、人生後半にさしかかって、”この手のままなら死んだ方がまし”と本気で思えるくらいの覚悟ができるまで待ちなさい」って言うと思う。

ちなみに、夏場、合宿や旅行に行く人には、MUJIなんかの、パイル地(バスタオル製みたいなやつ)のロンパースみたいなやつがおすすめです。下にタンクトップやTシャツを来て下に短パンをはいて太ももをカバーすれば、相当汗をかいても外に響きません。花火や海辺、BBQなどにもいいかも。

それから、汗を大量に書くのでついつい冷たい飲み物でからだを冷やそうとしてしまいますが、できれば体を冷やさないように、生姜ものとかでからだを温めるといいです。

いろいろお尋ねをいただくので、そんなわけで夏の暑さ&汗対策。

2011年6月 3日 (金)

恥の記録|その3

そしてそのあと、一進一退ありながらも、母の三回忌をどうするか、などを話し合わなければならないと思っていた矢先、あの震災。そして、その後のもようはTwitterからもコピペしたケド。わがオットとの間に一大事変勃発。父はまた一方的に「侮辱された」と激昂。でも、秦で聞いていた身からすると、若干口調が厳しかっただけ。そして、父の痛いところを突いただけ。ふだん温厚だから余計に「飼い犬に手を噛まれた」(もちろん、飼い犬でもなんでもないけど)気分になっただけ。まあ、マスオさんが波平の不徳を指摘したら大逆鱗に触れた、というレベル。でも、こじれにこじれて、情けない。妹はひたすら「○○くん(オット)に申し訳ない…」と。私も同じく。

オットは性格上、たいていのことは一拍(というか、だいぶ間をおく)おいて眺めたり、他人に対して苦手意識を持たないタイプ。私の方が疳が強いので好き嫌いも実は激しい(口や態度には出していないつもりだけど、オットには「あからさまだ」と言われるから、きっとバレバレなんだろう)。彼は大分我慢も抑制も利くし、よほどのことがなければ見切ったり突き放したりはしない。

そのオット曰く「オレは滅多に怒らないし、見切らない。人を嫌いになることもない。そのオレを怒らせたということは、大分相手に非がある」とキッパリと。私はそこまで明言はできないけど、言ってることはわかる。そして、オットは、そのようなわけで、一度怒ったら、まず妥協による和解はしない。関係修復が不可能だとしても仕方がない、というレベルまで怒りを抑えるからだろう。22年間、私が彼を知る限り、そのような感情表出があったのは、これで2度目。きっと、父の気性を考えても二度と和解はないだろう。それならそれで。

結局、母亡きあと、父と私たち家族みんなの関係は崩れてしまっている。そのことが母には申し訳なく、情けない。いまはなんとなく小康状態を保っているかのようだけど、きっと二度ともとに戻ることはないのだろう。家族って、なんなんだろう…って、今も思っている。

-----

お父さん

先程は、思わぬ展開になりましたが、
三回忌については、きちんと話し合っておきたいと思います。

三回忌は、「お父さんが新しいステージに進む為のけじめ」ではなく
「私たちのお母さんが亡くなってようやく2年経ち、葬儀も納骨もせずに
家族だけで服喪してきた時期を、親しい方々とともに区切りをつける」
ためのセレモニーであるべきだと思っています。

お父さんは、お母さんのことも何もかも、早くケリをつけて終わりにし、
「そろそろ自分の幸せを考えてもいい頃」だと、「新しい人生」に踏み出したい
と言いました。それはそれで、お父さんの考えです。

3回忌が近づくにつれて、お父さんがたびたび電話をくれて
「ムスコの入学祝いはいつまでに何が必要なのか?」
「ムスメの誕生日には何をいつまでに送ればいいのか?」
「学資保険の件はいったいいつまで手続きを引き延ばすのか?」…
と、確認してくるたびに、私は、
「三回忌までに積み残しの用件をなるべく早く整理して、
きれいに身辺整理して、早く”次へ”駒を進めたいんだろうな」
「刻限が迫ってじれているんだろうな」とプレッシャーを感じてきました。

年度末ゆえ仕事で忙殺されるなか、
ムスコの卒園準備や入学準備に手が回らずに焦っており、
2月末には急性腸炎で家族みんながダウンするなかでの問い合わせに
「いまは余裕がないから待ってほしい」と何度も頼んだと思います。

そして11日の地震、その後の余震や放射性物質関連の混乱で
子どもはもちろん、私たち親も消耗しきっています。
そのうえムスコはインフルエンザに、ムスメもストレスで体調不良に。
私たちも11日以降は余震や仕事でベッドで4時間以上安眠できていませんし、
長引く緊張状態で、心身ともにヘトヘトです。

周囲の親たちも、子どもたちも、心身症状が表れていて大変です。
お父さんには想像もつかないでしょうが、本当に極限状態に近いなかで
なんとか子どもたちの健康と、経済活動を維持しようと誰もが必死なのです。

お父さんも、地震でさまざまに思うところはあったのでしょう。
先を急ぐ気持ちもわからないではありません。
もはや結婚に反対してどうにかなるとも思っていませんし、
あきらめきっていますので、邪魔立てしたり、回避するつもりもありません。

しかし、「お父さんのこれからの幸せ」については、
大変申し訳ない言い方ですが、私にとっては最優先事項ではない。

私にとっていま喫緊の問題は、子どもたちとこの家庭生活を
なんとか「安定させ、なるべく元通りに」してやることなのです。
食事や睡眠の確保、通学通園の安全、安心して過ごせる環境の死守です。

そういうなかにあっても、お父さんは
「あの問題は?」「なぜ連絡してこない?」といらだちを隠そうとしません。

それどころか、勝手にこちらの状況を憶測し、気分を害して、
わざわざ○○(オット)に口止めをするようなことをして、
私が電話に出てみれば最初からケンカ腰でなじります。
理由を尋ねても、「別に。だから? それは悪うございました」と
子どものようなすね方で取りつく島もない。

私からすれば、こちらの事情を知ろうともせずに、その時々に
自分の都合や感情をぶつけてくるお父さんの心中がわかりません。

「三回忌が過ぎたらあらためて身の振り方を考える」というはずだったのが、
「3月中か、4月中旬までには、後添えと面談の機会をもって話してほしい」という
お父さんの考えにも、だから、二の句が継げませんでした。

ぎりぎりの状態で、入学準備もしなければならない。
子どもたちの飲み水や食べ物の心配もしなければならない。
子どもたちを日中ひとりで家に残さないために、日程の調整もしなければならない。
そんななかで、子どもも私たちも体調を崩して身動きがとれない。
余震も社会情勢も予断を許さず、いつ落ち着くのかも見えない。

そういう中で、新生活をはじめなければならないこの時期に、
お父さんの新生活スタートのために割ける心身の余裕などまったくありません。
三回忌をなんとかつつがなく執り行って、お母さんの供養を
きちんとしてあげることだけでも、精一杯なんです。

そういうことを、どうしてわかってくれないんだろう…。お父さんなのに…。
なんで勝手に怒って、そのくせ「こういう話はもううんざりなんだ」と、
まるで一人だけ被害を被っているような言い方をするんだろう…。
感情をぶつけるだけぶつけて、聞く耳は持たない、と言い放つんだろう。

そう思ったら、何も言えなくなってしまったところを、
○○(オット)がとうとう見かねて受話器をとりあげたのです。

お父さんも知っている通り、関は決して他人に対して感情をあらわにしたり、
声を荒げたりするタイプではないです。
お母さんの終末期に、私がお父さんにどんなに抗議をしても、
私の心中をよくよくわかっていながらも、同調せずに、客観的に、中立的に
「自分が感情的になったら最後だ」という立場を崩さなかった。
所詮は他人だから、という遠慮もあったと思います。

お父さんが再婚する、という話を持ち出したときも、唖然とはしていたけれど、
敢えてノータッチを貫いて来たんです。彼なりの理性的な判断として、です。
彼自身、誰よりもお母さんを大切に思って来たからこそ、
いろいろ思うことはあったと思うけれど、これ以上お母さんを悲しませたくないと、
あえて自分の価値や判断はさしはさまずに、黙って見守って来たんです。

だけど、お父さんや、各方面との度重なるやりとりのなかで、私が何度も泣き、
電話口のお父さんの物言いを聞いていたムスメが泣き、ムスコが不安になるのを
何度も見ながら、どこまで不干渉を貫けばよいのか、悩んでいました。

現在の私たちのこの緊張状態が、引き金になったのかもしれないけど、
彼は相当の覚悟をして、お父さんにあのように言ったのだと思います。

ただお父さんに、その時々の感情に任せて私たちに接するのではなく、
父親として、私や■■と、相応の順序で話し合い、手続きや気持ちを整理したうえで、
自分の「次」を考えてほしかったのだと思います。

そして、小さいこどもたちの父親として、かれらが陥っている混乱と不安について、
誰も悪者にせずに理解してもらえるよう、骨を折って来た彼にしてみれば
どんなに心を砕いても、なかなかお父さんに思いを酌んでもらえない状況に、
もう限界だと判断したのだろうと思います。
それでも「侮辱だ」と言うほどのひどいことを、ひどい言葉や語調で言ったでしょうか?
それはあまりに被害妄想的で一方的な怒りです。

長くなりましたが、お母さんの三回忌は、お母さんのためのセレモニーです。
そして、65年間、一生懸命生きたおかあさんというひとりの社会人と、
それから関係を築いて来たひとたちにとっての、ほんとうのお別れのセレモニーです。
私たち家族の事情や、お父さんの新しい人生をリスタートするためのピリオドじゃありません。

だから、どんなことがあっても、三回忌と納骨は再婚話の前提としてではなく、
お母さんのために、きちんと済ませたいのです。

それから先の話は、もう、お父さんの好きなようにされたらいいと思う。
どっちにしても、お父さんの言うように「私たちには関係のない話」なのですから。
新しい配偶者の方と、あの家で、お友達に支えられて、新しい生活を大事にされたらいい。

私には守るべき家族があり、守るべき生活があり、どんなことをしても生きて行きますが、
■■にはその再婚で、もう戻る家も、家族もなくなってしまう。そのことだけが気がかりです。
だから、■■が一生懸命築こうとしている新生活の保証となるよう、
彼女が本来お母さんから相続すべきだった最低限の遺産相当分は、きちんと渡してやってください。

子宮筋腫や体調不良を抱えながら、人の力を借りずに生きようとしていることを知ってください。
お父さんが、自分の望む通りの幸せを、なんとしても貫く人間であることは知ってます。
であるなら、せめて、■■にも、これからの幸せのために、体調を整え、一息つけるだけの
せめてもの準備をさせてやってください。体を休める実家にも戻れなくなるのですから、
それだけは、どうか、どうかよろしくお願いします。

●本来の意味での「おかあさんの三回忌」をきちんと行う為の準備をすること。
(あちら(オット)の両親にも、お母さんのために揃って出てもらいたいので。)

●三回忌後、新生活の算段の前に、■■の今後を支える備えを助けてやってほしいこと。
(今後、相続のことなどを話さなくて済むように。彼女が療養や新生活に専念できるように。)

この2つだけを、お願いしたいです。
再婚については、お互いのためにもう話さなくてよいと思います。

いまは感情の揺れも大きいと思いますが、とにかく必要な話を、きちんとしたいです。
どうか、よろしくお願いします。

●●

恥の記録|その2

自活を希望する父の意思を尊重して、遠隔の見守りと情報共有をしてきた自治体の包括支援センター(ケアマネ)と、訪問看護センター(看護師長)との、難度かのやりとりを経て、父に対して再度送った11月18日のメール。こののち、「ちゃんと話し合おう」と約束したこの日時は、父から一方的にキャンセルされた。職場で窮地に立たされた彼女が、職を辞さざるを得なくなり、そのことで父が激怒して抗議したとのこと。また、その発端を作った私に対しても敵対姿勢を明らかにし、当の看護士本人を職権を傘に来て辞職に追い込んだとのことで、知人の弁護士に頼んで、看護師長とケアマネを「パワハラ」で告訴するつもりであることを宣言された。それに対しての、私の返事。(恥)

----
お返事ありがとうございます。

28日は、■■(妹)も参加したいと言っています。お昼頃伺います。
個人的には、■■が感情的にならずに話ができるのかどうか、
いささかの不安はありますが、本人の強い希望もありますから。

それから、昨夜は電話では話にならなかったので、少し長いですが。
「話し合っても意味がない」ということだったので、
一方的にですけれど、私の思っていることを書きます。

正確に伝わるかどうかわかりませんが。

当初はカウンターショックのために拒絶反応も強かったけれど
うちで時間を過ごし、○○(オット)や私と話を重ねることで
■■のやりばのない気持ちは大分ほぐれてきているとは思います。
彼女は、おかあさんへの思いもひとしおですから、特に。

先に伝えておきますが、しのも私も、再婚自体に反対なわけではありません。
正直言って、おとうさんの今後を考えれば、独居で余生をすごしていいはずも
ないわけですし、本来ならば、歓迎すべきことだと思っています。

しかし、特に■■にとっては、相手が自分と同い年であること。
しかも相手が相応の社会経験を積んだ医療従事者であったことは
心情的にも強い拒否反応を示さざるを得なかった点であると思います。

それは私にとってもおおいに引っかかる点で、
彼女自身が非常にまじめで誠実であるということは大きいと思いますし、
福祉介護職に連なる者として、■■がことのほか職務倫理を大事にしていることで
(介護現場での個人情報をともなう話はいっさい私にも明かしませんから)
「40歳にもなって、社会人としても、医療者としても、相応の経験を重ね、
社会通念上も、人格的にも、ある程度の配慮ができてよいはずの人が、
なぜ情にまかせてこのような事態を招き、看過しているのか」
ということについての疑問を抱いたのだ、ということを理解してほしいと思います。

ほんとうなら、もっと自然なかたちで、「そろそろおとうさんも自分の幸せを」
という流れで運べたらよかったのに、と残念でなりません。
人の気持ちや関係が築き上げられるためには、やはり時間が必要でした。

こうなった以上、感情的なわだかまりは完全には解消しないと思いますが、
なぜこうこじれたのか、という点について私の心中を考察しておきます。

ちょっと余談のようになりますが、私が心理職のキャリアアップを
現時点であきらめざるを得なかった理由のひとつに、
臨床職実習のガイドラインの問題があります。

「親しい身内と死別して3年以内の人間は、
大きなライフステージの変化から間もなく、心身の動揺もあり、
根本的に、本質的な心身のケアにあたることは不可能。
本人の無意識の精神的不安定さが、本来ケアすべき相手との間に
共依存的、相互影響的な好ましくない関係を生ずる恐れがあるため」
というものです。

病院での傾聴ボランティアを、と考えたこともありましたが、
上記と同様の理由により応募対象外となっています。
自分自身では、すっかり立ち直っていると思いたくともまだ「ふつう」ではないから。
医療や対人対応の世界では、ある程度の常識になっているものと思います。

ですから今は、海外の医療情報の論文を配信する団体のボランティアで、
自分の気持ちの持って行き場を確保しているわけです。

誤解しないでほしいのですが、上記の「3年は不安定」というのは
おとうさんが「正常でない心理状態」だといいたいわけではありません。

しかし、その人が、経験のある医療者なのであれば、
お互いの気持ちはほんものであり、結婚というかたちで
いずれ成就させたいと思っているとしても、
「お互いの気持ちが確かなものであることを慎重に確認し、
家族の心情や人間関係、自身の社会的・職業的責任に立ち戻って、
冷静さを保とう」と促すべき、相互に自制すべきだったのではないか?

それができないほど、お互いの感情に浮かされて、
おとうさんに進め方を一任した結果があれだとすれば
そのことのほうが問題だったのではないか、と思うのです。

少なくとも、私がその人に対して「おとうさんの人生」を
心から託す気持ちに簡単にはなれないのは、そういう理由です。
まあ、人生を託すなどという権利は私にはないわけですけれど…。

たとえば(例です)、ムスメが高校生くらいになって、学校の先生と恋愛したとします。
私は、個人的には「人間だから、そういう恋愛は当然あるだろう、
社会規範をこえているからといって、不純とは限らないだろう」
と考えることができる人間です。男女の間のことはしかたない、と考える。

しかし、親子、家族という立場になってみれば、穏やかではいられません。
人文主義的な自由恋愛観と、肉親の情は相容れないものです。
とはいえ人の感情を遮り、管理することは不可能ですから、
そうした恋愛関係を破壊し阻害することはできないでしょう。
心情的に認めがたくても、うけいれざるを得ないと思います。

それでもその場合、相手の教師も、自らの「純愛」を貫く場合には
相応の社会的・道義的責任を負わざるを得ないのではないですか。
愛を貫くなら、それが真の愛情だと示すのならば、
職務倫理的な(触法ではなくともモラルとして)けじめはつけなければ
おさまらないのが道理というものではないでしょうか。

看護センターの上長にしてみれば、
公的サービスとして、家族にかわって看護士を派遣し管理するという
職業上の責任があるはずです。
男女の感情に介入はできないが、職務倫理を踏まえてなお
お互いの思いを大事にするのであれば、管理者として、
社会的に対しての信頼や、職場に対しての秩序を保つために
断腸の思いで判断しなければならないこともあったのではないでしょうか。

ケアマネの▲▲さんにしても、同様だと思います。
独居を貫きたいというおとうさんの気持ちを尊重して、
公的サービスの可能な範囲で生活を支援したい。
離れて暮らす家族(妹や私)の不安もとりのぞくように
「万一のときにも安全を預かる」気持ちで配慮したい、
と、細やかに気にかけてくれていましたね。

彼らにしてみれば、サービスを提供する相手はおとうさんですが、
私たちもクライアントの一部であったわけです。
「知らないうちにこうなっていた」ということでは
申し開きができない、と思うのも自然なことではないでしょうか。

センター長も▲▲さんも、決しておとうさんとその人の間柄を
どうこうしようと考えているわけではない。
うちの家族の問題として、介入などできないこともわきまえています。
けれども、公的サービス提供の場でおきたこととしては
少なくとも、その範囲内での「けじめ」をつけざるをえないのだと思います。

ですから、これまで尽力してくれた▲▲さんや、看護センター長に対して
職権によるハラスメント、というような観点で抗議をしないでほしいと思います。

相手の方が、職場で困難な立場に立たされていること、
おとうさんの訪問看護サービスが打ち切られたことなど
詳しい状況はわかりませんが、そこをどうカバーするのかは
おふたりでよく話し合っていただきたいと思います。
そのうえで、やはり必要があれば、包括支援センターに
あらためて支援をお願いするしかないのではないですか?
それについては、必要があれば私も連絡します。

それから、相手の方と話す必要があれば、私はその準備はできています。
相手の方も、今度のことについて、私に言いたいこともあるでしょう。
それはだいぶ先の話になるのかもしれませんが、
そういう意志があることだけは、お伝えしておきたいと思います。


私がわが家で学んだ大事なことのひとつは、
「感情的には相容れなくても、話のすじみちを整理して、
”あなたの考えはそうなのですね””わたしの考えはこうです”
”相容れることはありませんが、理解はします”と
理性的に着地点を見つけよう」という態度です。
困難ばかりのわが家の歴史のなかで得た、大事な教訓です。

着地点をみつけるための具体策を講じるにも、
感情に振り回されずに、合理的態度に務めたいと思います。
■■にも、それはよく言い含めてあります。

28日には、お互いの思いもあるでしょうが、
おかあさんの前ですから、取り乱さずに話せるよう■■にも伝えます。

ちょうどよいので、学資保健や相続書類も持参します。

どうぞよろしくお願いします。

●●

恥の記録|その1

最近は、このブログが「記録用」に終始するようになってしまってちょっと残念。仕事も忙しさもさることながら、父との一件の重圧がすごくて、気持ちのゆとりをもって過ごせないでいる。私自身の健康にも不安があって、にわかに「生きた証」的な記録の色合いが濃くなっているんだけど、それはそれで、私のリアルな心中や暮らしぶりの記録ということで、よしとしようかと…。PCが潰れる前に、一連のやりとりも上げておこう。しかし、激昂している自分の心情があらわになって、今見ても恥ずかしいし、悲しくなるよ(みっともなくて)。

去年2010年の10月31日に端を発した事件に対して、私から父に送ったメール。
--------
と、感情的なメールを送ってしましました。ごめんなさい。
いまはとにかく動揺していて、自分でもどうしてよいかわかりません。
ただひとつだけ、自分たちだけの心にまかせて早まらないでほしい。
ただそれだけです。

本来、時間をかけて対話し、お互いの思いを理解し尊重しあい、
信頼関係を築きながら共有していくべきはずのことが、
あまりに突発的に、まるで事故のように襲ってきたことで
大変傷ついています。そのことはわかってください。

とにかく、先走らないで、きちんと整理してすすめていってください。
どうか、どうか、よろしくお願いします。

●●(私)

---(先に送っておいたメール)

On 10/11/01 15:11, ●● wrote:

お父さん

話が変な風に回ると嫌なので、先に報告しておきます。
今日、包括支援センターに問い合わせをして、
昨日聞いた話の事実関係について確認させていただきました。

申し訳ないけれど、昨日聞いただけでは、どうしても現実味がなさ過ぎて、
考えれば考えるほど得心がいかないことが出て来るからです。
けれども、やはり先方も、お認めになったそうです。

昨日は、私は一睡もできませんでした。
■■(妹)とは、夕食を一緒にとるつもりだったけれど、
彼女は具合が悪く寝込んでしまいました。

冷静になろう、大人になろう、理解しようと努力すればするほど、苦しくなるのです。
あまりにやりきれなく、受け入れがたいのです。
わたしたちの家族って、なんだったんでしょうか。
結局、おとうさんが「俺はこういう人間だから」と押し通した
すべてのことで、わたしたちの家族のすべては決まったんですね。
まるで、幻のようです。

■■もわたしも、お父さんのしあわせを願ってきました。
だから、どんなことも、最終的には何もかも、お父さんの考えを尊重してきました。

からだの自由が失われて苦悩するおかあさんを受け止めきれないときも、
おかあさんと一緒に暮らすのは限界だというときにも、
すべての家族の事情をおかあさんに引き受けてもらって、
ひとりガマンしてホームに入ってもらって。

最後、あれほどまでに帰りたかった家に一瞬戻してあげて、
それでも私はずっとずっとずっと苦しかった。

おかあさんは、いつでも、最後まで、お父さんを配偶者として求め、
それが適わなかったことを嘆き、悔いていました。
私自身が、その機会をおかあさんから奪うイニシアチブをとって、
したり顔をして世話を焼いてきたことを、
お母さんが逝ってしまってからずっと悔いてきました。

おとうさんも、ひとり残されてやっと、お母さんとの対話ができるようになった。
だからこそ、おかあさんの遺産も、お父さんが自活したい思いも、
すべてお父さんの意志を尊重して、思うようにすればよいと思ってきました。

その結果が、これでしたけれど。家族って、なんだったんでしょうね。

ともかく、いくつかお願いがあります。

納骨について。
再婚を前提にした●●家の墓へのお母さんの納骨は反対です。あんまりです。
いきなり「寂しいけど先に納骨して待っててもらって、あとで一緒に」って。
お父さん、新しい配偶者もうちの墓に入れるつもりなんですか?ありえない。
おかあさんというひとは、私たちのおかあさんでもあるんです。
お母さんのお骨も、存在も、私物化しないでください。

入籍について。
法的にも入籍は自由ですけれど、
きちんとしかるべき整理をしてからにしてください。

お父さんに何かあったとき、どんなに風にみとるのか?
お母さんの遺志は? 家族の時間や記憶の詰まったこの家は?
昨日今日登場したひとが、それらをすべて
自然な風を装って、メンバーとして担っていくのですか?

いまのままでは、ひどすぎる。つらすぎる。
申し訳ありませんが、新しいその方は、お父さんの配偶者ではあるでしょうが、
私たちの「家族」にはなりえません。それが人情というものです。

わたしたちの家族は、おかあさんだけです。
その方と、新しく生きていくのであれば、
しかるべき精算をして、幸せになってください。
そうでなければ、こどもたちにも、何も説明できません。

学資保険について。
こうしたなりゆきを運ぶための申し出とは、夢にも思いませんでした。
どんな顔で受け止めればよいのかわからず
途方に暮れています。どう対処していいのかわかりません。

おかあさんの遺産相続手続きも同じです。
こんな事態になることを想定して、
東奔西走して、あらゆる手続きをお父さんのためにしてきたわけではありません。
何を信じ、どう振る舞えばいいのか、私にはもうわかりません。
ともかく必要な書類を、■■と私のぶんだけ作成して渡しますので
お父さんの必要な箇所に記入をして、その方か、
ヘルパーの方に投函でもしてもらってください。また連絡します。

■■は、私のたった一人の、血を分けた妹です。
私は、あの子のためならなんでもします。
たとえ一生独り身だとしても、私たちの家族ですから。

「いつでも帰れる家は、もう私にはない」と彼女は昨日号泣しました。
同じ台詞を、ホームでおかあさんも繰り返して泣きましたね。
おかあさん同様、■■の悲しみも、私が引き受けます。

いまはまだ、混乱がひどい。

私も同じです。言葉がつたないところは許してください。
やりきれなくて、やさしいことが言えません。
でも、お父さんが新しい家族を選ぶなら、きちんと精算しましょう。
■■の分も、おかあさんの分も、今後は冷静に、事務的に対処するつもりです。

ひとまず、変な根回しをしている、と思われるのは嫌なので
ケアマネの▲▲さんに相談したことだけは、きちんと報告しておきますね。

●●


« 2011年5月 | トップページ | 2011年8月 »

フォト
2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

tweet

無料ブログはココログ