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2011年3月14日 (月)

命と、家族と、これからのこと。

3月11日14時46分。

前週の体調不良で押しに押した仕事の始末に追われた先週。なんとか乗り切って、翌日に控えたムスコの卒園式に向けてラストスパート!と、最後の打ち合わせに出かけようとしていた。

自転車で15分ほどの打ち合わせ先へダッシュしようと、ラックから自転車を降ろした次の瞬間、舟底で揺られたような感覚に。前週、めまいに悩まされたばかりなので、「また再発?」と思ったが、犬の悲鳴にびっくり。

降ろしたばかりのロードバイクが横転して、その下に妹犬がいる。幸い、転倒の勢いもなく、計量のボディだったので、犬にけがはなかった。

けど、急激に大きくなった揺れが、家中、いや、マンション中をきしませている。どんどん大きくなり続ける。弾丸スピードでテラスへ出る吐き出し窓を全開にし、玄関ドアも開け放つ。一瞬、小やみになるのを待ってみたが、すぐに「これは無理だ!」と思って、ガス栓を確かめにキッチンへすっとんで、操作パネルをOFFに。うちはガスの元栓が室内になく、キッチンと湯沸かしのみがガスを使用している。おそらく、震度センサーで自動的にガスが停止するだろう、と思う。

リフォームした壁面収納から食器や鍋が飛び出してこないように、引き戸を締め切る。万一扉が外れても、少なくともガラスがいきなり飛び出すことはないつくりになっている。扉の天高があるので、倒れても、キッチンでストップすることにもなっているので、とりあえず閉めちゃえ、と思って。

でも、揺れはひどくなる一方で、みしみし、ぎしぎし、ゴオッと、ものすごい音とともに、マンション中が底揺れしている。ものすごい恐怖だ。目の前の保育園からは、小さいこどもが泣き叫ぶ声と、保育士の悲鳴に近い指示が漏れ聞こえてくる。

うちには犬が2匹いるから、なんとしても連れ出さなければ、と思うのだけれど、自転車の直撃を植えた妹犬は、完全にフリーズしてしまって、呼び戻しが全く聞かない。目も耳もダメな姉犬は、自分のハウスで気づくこともなく熟睡している。揺れと音がひどくなる恐怖のなかで、巨体の岩犬と、盲聾の老犬は、離れた場所から動かない。

まったくやむ様子がないため、犬はいざというときはついてくるだろう、と考えてベランダの手すりを乗り越えて緑地帯へ。マンションと、目の前の保育園と、電柱が同調もせずにバラバラに、揺れに揺れている。すごい音が鳴り響く。犬はテラスまで出て来たが、やはり頭の中が真っ白のようだ。

少し揺れが収まったところで、家の中に入り、テレビをつける。「余震に注意」のアナウンスを聞いて、犬たちにリードをつけて引き歩く準備。区立小学校では、災害緊急時には一斉配信メールで指示がくることになっている。が、待てども待てども、完全に通信環境がマヒしている。固定電話の連絡編がまわってくるか、と固定電話の子機も持ち歩くが、音沙汰なし。

いつでも電話に出られるように、子機と携帯を手に、犬たちの外出準備をして待機。でも、連絡はなし。そう思っているうちに、再び揺れが来た。そのまま犬を連れて外に飛び出し、崩落や転倒でも影響のなさそうな外壁にリードをつなぐ。最悪のケースを考えて、当座必要なものだけを放り込んだダッフルバックをとりに、いったん家に戻る。敷地内の立体駐車場が、悲鳴のようなきしみ音を発する。生きた心地がしない。

大人ひとりの私が、これほど恐怖するんだから、学校で、保育園で、いま子どもたちはどうしているんだろうと思うと、胸がつぶれそうに心配。結局、30分たっても一切の連絡がないので、犬を伴って、集団下校のルートを通って学校へ。案の定、児童は校庭に避難していて、保護者の引き取りをまっている。犬をつないで、ムスメのいる列へ急ぐと、青ざめたムスメが。眼があったとたんに、顔をくしゃくしゃにして泣き、抱きついてくる。どんなに怖かったんだろうか!

先生と引き渡しの手続きをして帰ろうとすると、同じマンションの、仲良しの家の子が私を見ている。ケロッとした明るい子なのに、眼が泳いでいる。ママは週に何日か近くでアルバイトしているはずだが、ここまで連絡系統がマヒすると、いつ連絡がついて、いつ迎えにこられるかわからない。

毎日一緒に登校していること、家族ぐるみでつきあいがあることなどを先生に告げて、一緒に連れ帰り、責任をもって親に引き渡すことを告げると、先生も快諾。ふだんなら、保護者の同意なしに子どもを託すことはできないはずなのだが、緊急事態にあっては別のようだ。融通がきいて安心した。

二人を連れて校庭を去ろうとしたその時、視界にもうひとりの女の子が。ムスメの保育園時代の一級上の子で、ママはシングルのフリーランサー。もう4年生なので、放課後は塾に行ってから帰宅し、ママの帰りを待つ。ママが遅いときはヘルパーさんの支援を受ける。が、この日はたまたま、夜遅くまでひとりで留守番の予定だったらしく、ママは遠方にロケだという。置いてはいけない。すぐに、担当の先生に状況を伝えて、一緒に引き取らせてもらう。これもOKが出た。よかった。

ただでさえ、学校の授業中に、あれだけの長く大きな地震を経験して身も心も消耗している。ましてや、自分はともかく、家族が無事なのかどうか、小学生には客観的な判断はまだつかないだろう。ひとり、またひとりと、親が迎えに来て帰って行くなかで、「今日はすぐには迎えに来られない」と判っている子たちにとっては、どうにも心細く、不安と緊張が膨らむ時間のはず。「うちにおいで」というと、むしゃぶりつくように「うん!」とうなづく。いつもは少し遠慮がちなのに、その屈託のなさがかえって切ない。どれだけ怖かったんだろう。

「すぐには届かないけど、ママにはメールしておくからね」「戻ってくるまでみんなとうちにいたらいいよ」というと、心底ほっとした顔をする。偶然にも、間を置かずに「少しの間頼みます。いま戻ってます」という返信が。それを伝えると、本当に安堵したのか、表情もゆるんで「一緒に遊んで待ってようね」とムスメに言う。ムスメももう表情はゆるんで、笑顔になっている。同じマンションの子も、一泊遅れて、たまたま近隣地区にいたパパが自転車で駆けつけ、みんなで一緒に帰る。

私は、ムスコのことが気がかりですぐにでも保育園に駆けつけたかったのだが、犬2匹と子ども3人を連れ歩くわけにもいかず、このパパに、子ども3人と犬2匹を預けて、自転車を飛ばして線路向こうの保育園へ。やっとオットとメールが通じた。オットが保育園に連絡を入れていたらしいが、時間差が読めないので「私が迎えに行く」とだけ打って送る。キーステーションである最寄り駅周辺は、待機救急車や、白へルの避難者軍団でごったがえしている。自転車で縫うように保育園へ。

妹と父からも「大丈夫」メールが届いてまずは一安心。(のちにオットの両親の無事も確認)

恐怖と不安で阿鼻叫喚状態だった小学校に比べると、保育園はすっかりふだんの落ち着きを取り戻していた。小さい子どものほうが、具体的恐怖を感じにくいのかもしれないが、よい意味で拍子抜け。ちょうど午後のおやつを食べ終わりかけていたムスコが、私の顔を見て「え〜早い〜もう帰るの〜?」と軽く抗議。その感じにほっとする。

「●●さんちで、おねーちゃんと犬たちが待ってるから、急いで帰ろう?」と言うと、「わーい、●●ちゃんちで遊べる!」と、何を勘違いしているのか、ウキウキ気分。なんだか、恐怖中枢が壊れているのか?と思ったが、帰り道、彼はずーっとずーーーーっとしゃべりっぱなしだった。壊れたみたいに、眼につくもの、頭に浮かぶことを片っ端からしゃべり続けている。まるで、こちらが聞いていなくてもいいみたいに。でも、つないだ手は、痛いくらいにぎゅっと握りしめている。「ああ、彼なりの感じ方で怖かったし、彼なりの方法で緊張を吐き出しているんだな」と思う。切なくてかわいい。

マンションにつくと、オットも仕事先から戻って来ていた。このときすでに16時すぎ。ムスコは●●家へまっしぐら。私は荷物をおいて、●●家へ。こどもたちは犬の子のようにみっしりくっついてビデオをみておやつを食べており、「これは当分解散できないな」と覚悟。ママもタッチの差で戻って来た。フリーランサーのママも、ほぼ同時に到着。うちのオットも揃ったところで、ここのパパに「気付けにビール飲みませんか?」と誘われ、なんだか心底ほっとしたのもあって、ご相伴にあずかる。

みんなでニュースを見て、緊急時の備えが足りなかったこと、今回はうまく機転をきかせて、子どもたちへのダメージを最小限に抑えられたこと。ふだんからの交流がものをいったこと。でも、通信状況がこれほどダメになるとは思っておらず、予測が甘かったこと。今後は、早い人がとにかく同様の引き取りに行き、被災状況などに応じて段階的な避難のパターンを決めておくこと。携帯や通話以外の通信手段を用意しておくことなどを、ビールを飲みながら話し合う。

実は、2度目の地震が来る前に、犬を外につないで様子をうかがっていたときに、同じマンションに最近転居してきた若いママが、バギーを押して帰って来た。地震が恐くて、子どもをバギーに乗せて道をうろうろしていたのだという。彼女の子どもはダウンちゃん。日中は母子だけで過ごしていることもあり、どうしてよいかわからないようだった。ずっと、気になっていたこともあって、「越して来たばかりだし、あかちゃんも小さくて大変だから、よかったらみんなで集まって様子をみているので、000号室の●●さん宅へ来て一緒に様子みませんか?」と声をかけてみた。遠慮して即答はしなかったが、その彼女が訪ねて来た。(ほっとした。来てくれて)

子どもたちも、小さい子どもが来てくれて大喜び。特にうちのムスコは。ママと、わたしたちとで、マンションのことや、地域の小学校のようすなど、質問に答えながら談笑する。この間かなり大きな余震が続いたので、子どもたちはそのたびに旋律していたが、みんなで過ごしていると、不安も和らぐものだ。途中からは「また地震か…」と、スルーできるくらいになっていた。

そうこうするうちに、隣の区にある公立の中高一貫校に通う●●家の長女から、やっと連絡が入る。18時すぎ。中学生なので、余震の状況をみるために2時間学校に留め置かれ、リリースされて、1時間ちかく歩いて帰って来たそうだ。みんな、「おっきいおねーちゃん、連絡がとれない」と気をもんでいたので、これでほんとうに安堵する。

流れで、おかずを持ち寄ったりしてご飯を食べる。ビールだけのはずが、いつのまにかワインに。最近、完全に酒に飲まれてしまっているオットに「明日卒園式だから!」と牽制するが、ぱかぱかグラスをあける。知らんぞ。完全にべろべろになってしまったどうしようもない体たらくで、なんとか家に戻って、ベッドに倒れ込んだ。

ムスコは、疲れと緊張が一気に放出されたからか、非常に期限の悪い状態でおいとましてきた。あんまりにもかんしゃくや狼藉がひどいので、おもわず怒鳴りつけてしまったが、これには本当に後悔した。だって、それだけ大変な一日だったのだろうし、多めに見てもよかったのだから。私のほうも神経が高ぶっていたのかも。卒園式を翌日に控えて、後味の悪い夜の幕引き。

翌日は、危ぶまれた卒園式も決行。父母のなかには、明け方4時に歩いてきたくし、へろへろのまま着替えて式に臨んだひとも多かった。みんな眼が充血しているか、しょぼしょぼ。足が痛い、ここが痛い、と前日の大事のことで話はもちきり。なんとか式が始まって、みな一家族ずつ、卒園児が入場して挨拶する。だいたいここで、親は万感胸に迫って、泣く。「こんなに大きくなって、胸がいっぱいです」ということを、エピソードを交えて発表するのだ。

私は、ことムスコの子育てについては言葉でうまく言えるかどうか、本当に自信がなかったので、前日のこと(上記)を簡単に話した。

「家庭の事情や仕事の都合、教育方針(子どもに何をしてあげたくて、何をしたくないか)」という基本方針がわかっている仲間は、保育園時代に必死で子育てや仕事などに取り組んだからこそ、できるもの。いわば「同士」。小学校に入ると、家庭の事情に立ち入らない。立ち入らなくてもやっていける、という関係になるからこそ、保育園時代を共有した仲間は貴重。うちはいろいろ大変で保育園の親の交流にさほど深く関われなかったけど、最後の1年だけでも、心を通わせられる経験ができてよかった。父母会などを義務と考えず、そういう関係づくりのよい機会として楽しんでほしい。

保育園では、ムスメも含めていろんなことをまなんだ。子どもだけでなく、親としても育てていただいた。親の不安や緊張、子どもに対するある種の後ろめたさから、園で起こるさまざまなトラブルの原因を、園の運営方法や、他の親の不見識のせいにする傾向はつねにある。モンペアとまでは言わないが、たかだか3〜4歳の子ども同士のケンカを、「性格異常児をなんとかせよ」的に問責するひとは実際にいる。それでも園は、拙速に答えや対処策を提示したり、簡単に原因を分析したりせずに、「一緒に様子をみましょう」と言い続けた。それが物足りない、手ぬるいと感じる向きはあるけれど、それがよかった。少なくとも私たちにとっては、一度事態を客観的に眺める機会をもらったと思っている。簡単に原因を分析し、対処策を提示されていたら、本質を感じ取る機会を奪われていたかもしれないから。

保育園で造形を指導してくれているアーティストの方が、送辞がわりに歌をうたってくれる。これがダメ。涙腺決壊。スピーチは全然いいんだけど、歌はだめ。その方が「昨日の地震は、家族についていろんなことを考えさせてくれましたね」と仰っていて、心から共感した。

「無事でいて!」「どうか心細くて泣いていないように」「早く顔を見て抱きしめたい」と気が急く思い。これは、ムスメやムスコが生まれてくるときに、一も二もなく願ったこと。祈ったこと。「元気でいてくれさえすれば」それでいい、という根源的な願い。ついつい忘れてしまうこと。

もっとテキパキ身の回りのことをやりなさい。お行儀が悪い。言葉づかいが悪い。勉強をわからないままにしていいのか。そんなことを、日々小言のように言って求めてしまうけれど、親となったときに、子を授かったときに持っていた、ただただ「元気で、笑顔で」と願った思いを、もう一度噛み締める。

ムスコが、小学生になる。もう、チビちゃんじゃない。この6年間には本当にいろんなことがありすぎて、ゆったり振り返っている間もなかった。慌ただしさの陰で、怒濤の日々に、ムスコのいろんな思いがかき消されてしまったことだろう。悔しさ、淋しさ、いろんな思いが、ムスコのなかでないまぜになって、あまのじゃくでかんしゃくもち(でも憎めない愛嬌者だけど)になってしまったのだろう。

ついつい、後回しになってしまう彼。本当は繊細な心の持ち主なのに、キャラクターが邪魔して「ギャング」になってしまう彼。

その彼がかわいくてしかたないのに、生意気に当てられて涙を飲むことが多いムスメ。でも、地震でまっさきに安否を心配していたのは彼のことだった。

停電やら、物資不足(なんでみんな、東京にいるのに商品の買い込みに躍起になるんだ?)やらで不安が煽られたとしても、今回のことでわかったことはひとつ。「家族が元気でいてくれれば、笑顔でいてくれれば、ほかのことは後からでもなんとでもなる」「こどもが大人になるまでは、ほんとうのことはわからない。だから、ただただ元気で」

まだまだ子どもたちの気持ちは不安定さが見える。それほど恐怖の影響は深い。それでも、保育園が、学校が楽しみだという彼らはたくましい。とにかく、元気でさえいてくれれば。これからも。

●●くん、卒園おめでとう。いままで元気で、ありがとう。これからも元気で。
●●ちゃん、来週はお誕生日だね。いままで元気で、ありがとう。これからも元気で。

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