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2009年7月27日 (月)

メモランダム

安定していたはず、と思っていたことが揺らぎはじめたこの1か月。苦しい日々が続いている。どう苦しいか、を言葉にするのは難しく。そもそも何が苦しいのか、も不鮮明。なんだけど、絶望的なものでもなく。

いまの雑然とした、渾然一体となったどうしようもない状況というのは、一度全部棚卸というか、総ざらいしたから乱雑な状態なのだけれど、悲観的な混乱ではないような気もしている。そこが一縷の希望でもある。根拠はないのだけれど、「息ごらえしていれば、そのうち浮上するんじゃないか」というような、どこか楽観的な苦しさ。

整理すると意味が変わりそうだから、いま頭のなかにある大事なこと、ランダムでメモのみ。

「ひとは12歳でひとくぎりの成熟をみる」の説。私の精神的成熟は15歳で止まった気がするから、てっきり母のことが原因かと思いこんでいた節があるが、すでに15歳では「ある程度確立していた」と考える方が自然。だとすると、自分でかなりの前提条件を作り込んでしまっていた部分があるかも。

HSP(Highly Sensitive Person)という概念を改めて読み深め、いろいろ考える。ラベリングには一長一短あるが、慎重に適用することは有効じゃないかな、と思う。定義が重要なのではなく、そうした考え方を受け入れることは大事だ。

以前とはまったく違った意味において、実家と精神的距離をとる。心のなかで気に掛け、どうしているかな、とは思いながらも「囚われない」よう意図的に。我が子に。親に。自分の過去に。いろいろなかかわりを絶って生きていくことはできないので、何に対しても行き過ぎたな後ろめたさや後悔、自責の念を持ちすぎずに(自分の限界を知ることでもある)生きていけるように、整理整頓するため。

他(ひとやものごと)をコントロールしようと考える自分の無意識の恐ろしさを、かなりの程度で自覚しつつある。自分の中には、本質的に「ひとやものごとを思い通りに動かしたい」と強く願うモンスターがいる。絶対にいる。そういう悪魔的な願望を、母とか、妻とか、そういう立場の権力を駆使して行使しようとする自分を認めざるをえない。それが社会的特性として発揮される場合には、仕事の管理能力とか交渉技術とかになるけれど、「愛情」という関係のなかで行使される場合にはよほどの慎重さが必要。これまでが無自覚過ぎた。

自分のなかには、少しの刺激で痛みを感じたり、感情を逆なでされたりするような、神経むき出しの幼い心が潜んでいる。うまく飼いならして、大人の皮を被って、決して表に出さないように巧妙にしまっておいている「弱み」だけれど、ふとした時に図星を指されると逆上するような、どうしようもない痛点とも言うべきものが明らかにある。臭いものにふたをすると発酵ガスが生まれるように、古傷が膿んでいたことを認めざるをえない。

そういうことの苦しさが、オットに対する苛立ちになって、いまは大変な迷惑をかけている。長年にわたるオットとの関係をさかのぼって、自分の至らなさや未成熟さに対する不快感の咎をオットに向けたり。また、これまでオットに肩代わりさせたり、逆にオット自身の課題を私自身が隠ぺいしてきたところなど、「なかったことにしていた」点について、今さらながらに「目覚めて」しまったことで、迷惑千万なとばっちりをくらわせていることになって。

しかしこれも、本質的な人間関係が揺らいでいるというよりは、立て直しというか、「なかったことにしていた」ことを、きちんと認めたうえで「もう一度築きなおし」する過程であると思うので、悲嘆せずに逃げずに向き合おうとは思っている。結局、誰が悪いのでもなくて、私が自分の問題として受け止められることが大事なのであって。それはいま取組中。

家庭の経済基盤が揺らぐことへの不安が、小競り合いの原因かと思いこんでいたが、それだけにあらず。自分のなかの「抵抗勢力」が変化に抵抗しているようにも思う。安易な行動変革(自己変容とは似て非なるもの)ならしないほうがいいので、踏ん張りどころ。

余談。

先日、出先で時間つぶしをした小公園のビオトープに落ち、頭から泥まみれになって号泣したムスコ。水深30cm程度の池なのに、なぜ頭のてっぺんから藻やら黒い「タレ」が垂れ落ちているのか、ほんのわずかな一瞬の間の出来事だけれど、ダイブの瞬間を見逃した私には謎が多い様相だったが、本人いわく「池のあめんぼと遊びたかったのに、逃げるから、待って!と言ったら水に落ちた。見ずに落ちたら、カメとワニが襲ってきて怖かった」

カメもワニも、小さなその池にはいないと思われるが、きっとムスコには見えたのだろう。そして、恐ろしい思いをしたのであろう。先週末、2重の素晴らしい虹が空にかかったときも、「俺が出した虹だぜ」と、見ず知らずの方に自慢していた…。偉大な能力だ。

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2009年7月25日 (土)

「変える」のは、大変なこと。

働き方を変え、生活様式を変え、これまでの人生における優先事項を変え…。

そのことは、これまで自分が必死になって支えてきたもろもろを、根底から覆すことにもなっている。

一見すると安定していたように見えたいろんなことが、ぐらつく。

たとえば、必死に働いて、忙しいながらも、家庭運営はオットにゆだねていて。「夫婦経営」とはいえど、会社の稼ぎ頭はあくまでも私であり、よって家庭の経済的大黒柱も私であり。決してダブルインカムにはなっていなかったけれど、それでも家庭は安定していた。

お財布が安定すれば、気持ちも安定する。悲しいけれど、これは事実だ。

貧すれば鈍す。これも、ある意味、真実。

私が大学院に行こうと決意した時点で、我が社我が家が大幅な減収を余儀なくされることは火を見るより明らかだった。それは覚悟していた。

だから、抜本的な倹約だとか、安定的な収入源の確保だとかを画策したのだけれど、ことはそんなに甘くなく。大学院の学費も、在学中の時間的やりくりも確保はできそうだけれど、要は、日々の私の「稼働」は、絶対的に減ってしまう。

もし、私に扶養(養育が必要な)家族がいなくて、24時間を、仕事と学問に投入できる立場だったなら、あんまり心配がいらなかったこと。だけど、いまは子どもから目も手も離すことはできない時期。ついつい「全部完璧にやって乗り切らなきゃ」と思ってしまいそうになるのだけれど、それだと、結局元の木阿弥。

自己変容が必要だ、と思っていろんなことを変えていこうと決意したのだから、日々の事情に引っ張られて元にもどるくらいなら、「変えよう」などと思うべきじゃなかったはず。

それでもなー。やっぱり、過渡期の今は、いろいろしんどい。思ったように仕事の調整や、安定的収入の確保策が進まなくて。変な話、たとえば、の話だけれど、必死に頑張って月100万円稼いでいたものを、そこそこ働いて50万円にできたらな、というのは大変甘い話で。「そこそこ」働くなら、30万円程度が関の山だったり、もし50万以上確保するなら、やっぱりほぼ100%エネルギーを注がないと難しかったりする。

「ほどほど」ほど贅沢な働き方はないのかも。

うまく進みかけていた仕事の話が頓挫したりすると、やっぱり落ち込むし、あせる。

かといって、今までの仕事に戻るのは、きっと自分のなかの何かが破たんするし。

いろんな思いが堂々めぐりする。迷っているのは、あんまりいいことじゃない。もう船は出帆しているわけだし、とにかく、家族を乗せたちっぽけな船を御しながら、なんとか目的地に着かなければ。

なんか。うまくまとまらないんだけど。40歳になって「何かを始めよう」そのために「これまでのありようを変えよう」と思うということは、やっぱり大変なリスクを背負うことなんだなーと、他人ごとのように思う。

でも、今しかなかったんだもの。たとえ家族に迷惑をかけても(路頭に迷わせることは絶対にしないが)、「お母さんの選択は間違っていなかった」というところへ、こぎつけなきゃ。

ああ。しかし、3億円宝くじでもあたったら、もう言うことないんだけどな。なんて思ったりして。いかん。ぐちっぽくなるので今日は終わり。

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2009年7月21日 (火)

夏休みが始まって…

1学期の終了間際になって、ムスメの気持ちは少しずつ上向いて、笑顔が多くなり、学校にも渋らずに行くようになった。もちろん、寝る前や、起きる前のベッドのなかでは「学校行きたくない~」「めんどくさい~」と、口ではこぼすけれども、「そうだよね~いやだよね~」と言うと、それでおしまいになる。「学校には行けそうもなかったら、はっきり言うんだよ」と言うと、「いや、それほどでもない。」と自分からゴネゴネに幕引きするようになった。

「愛情不足です」事件から10日あまり。意識的に自分たちの言動に留意するようになったわけなので、ある程度は効果が出ているものと思うけれど、夏休みまでカウントダウンに入った高揚感などもあるだろうし、これで万事解決とはいかないと思ってます。

基本的に、私自身の中にある狭量さとか、ある種の呪縛みたいなものが作用していると思うので(根拠はないけど、確信があるので)、こうしたムスメの変化に因らず、カウンセリングは受けてみた。

都内某私立大学院附属心理相談室でインテーク面接。はじめてのカウンセリング体験。

まずはムスメの生育歴や、私の子育てにおける心理的エピソードの確認。90分、みっちりと記憶をさかのぼる作業というのは、本当に心身を消耗するんだな、ということがわかった。とにかくくたびれた。しかし、記憶の狭間に埋もれていた(埋葬していた)いろんな出来事に気づく経過は、意味のあるものだった。

これは初回面談で、ここから今後の方向を探っていくものだったので、ほんとのイントロダクションというか、概括という感じだったのにもかかわらず。濃い。だからしんどい。たぶん、面談に向かう相談者(この場合私)の気持ちのありかとか、強さによるんだろうが。

で、概括の結論=方向づけからすると、やっぱり私の予感は当たっていて、自分のなかにある何らかの不安が、他に比して非常に感受性の強いムスメとの共鳴を起こしていて、その娘の素直な反応を見た私が、自分自身のなかにある「認めがたい何か」を刺激されることで、またネガティブな反応(態度とか、感情とか)を誘発されている、という悪循環に陥り始めている可能性が高い、と。

不安の強い母と、感受性の強い娘との構造から生まれる、望ましくない相互反応の環。だから、その都度、自分の態度やムスメの反応に心を痛め、反省をしながらも、時間が経つと、異相同根の葛藤となって表に出てしまうのではないか。それはある意味不幸(=そういう言葉は使わなかったが、お互いの愛情が交換できていないという意味)で、早めに、私自身が気持の整理をつけて、「私は私。ムスメはムスメ。自分の人生は自分のもの。(ムスメ以外の)他人の人生は他人のもの。」というふっ切り方ができないといけないそうだ。

「しんどい作業ですね。覚悟してはいたけど、自分の見たくない部分を直視しなければいけないっていうのは、辛い。でも、このままだと子どもの人格や人生をゆがめてしまうのでは、と思うともっと怖い。」

と、担当カウンセラーに正直に不安を打ち明けると、

「それでも、●●さん(私)のレベルの内的葛藤っていうのは、通常の大人なら、”なかったこと”にする程度のレベルです。そこに眼をそむけないで、(眼をそむけることは、子どものためにならないと覚悟を決めて)わざわざ自分から心理室に足を運ぶ、というのは、私は大変勇気があることだと思うし、敬意も感じます。時間をかけてもいいので、ご自身で、御自身の理解が深まり、腑に落ちるところまで、気が済むまで向き合っていいと思います。それに耐えるだけの力が●●さんには、あると思います。全力で支援します。」と。

そう言っていただいて、ちょっと勇気づけられた。

これから継続的に通うことになるのだけれど、これは、大学院に進む選択の上でも重要な経験だと思う。自分自身の内面にきちんと整理をつけたうえで、”他”のことを考えるのでなければ、結局、自分の葛藤や不安の解消先を、他の対象にすりかえるだけになってしまうし、それはある意味不純でもあると思うし。

しばらくは、カウンセリングの内容については日記に書かないで(公開しないで)おこうと思う。面接を受けた自分自身の変化や感想は記録しておきたいけれど、そのことで、カウンセリングの内容そのものが変質してしまうのが嫌だから。カウンセラーに守秘義務があり、面接室の限られた時間と空間の中だけで、私と対峙することに集中するの同じように、私はクライエントになるわけだけど、簡単に口外したり、総括したりすることで、意味を捻じ曲げてしまうのが怖い。どんなことも、言語化すると意味が変わる。それが整理や浄化になることもあれば、簡単に整理や浄化してはいけないこともあるだろうと思う。

1回1回を大切に。でも、全体をもっと大切に。

夏休みは、特に大きな予定を入れていない。

隔年開催される、ムスメのバレエの発表会の表年なので、ピンポイントでレッスンが入ってしまうこともあるし、いろんなことがあった今年の1学期の疲れを、ほんとうの意味で癒したり、リフレッシュしたりすることに集中したいから、2泊3日の海水浴とか、祖父母宅への子供だけでのお泊りとか、その程度の予定に終始。

武士マニアであるムスコのために、オットが探してきた隣接区の剣道クラブに、ムスコもついに通い始めたわけだが、たまたま見学に行ったムスメも大変なはまりようで。(体験稽古をつけてくださった年配の男性との相性がよかったりとか、道着や防具がカッコイイとか、りりしい女の子が多かったとか、理由はいろいろだが)何より、お作法がしっかりしていて、優雅で厳粛なムードがあるところや、発声や勢いのある踏み込みが必要な「発散系」であることが魅力だったみたいだ。

ムスコは「やっとできたオレの世界に、ねーちゃんが入ってくるな!」と憤懣やるかたない顔だったものの、実際に稽古が始まると、ねーちゃんばかりお手本にしてやっている。今はもう文句は言わない。しかし、所詮4歳半のチビなので、竹刀が上がらなくなってくると座り込むshock。竹刀で師範に浣腸をするcrying。隣で居合の練習が始まると、自分の稽古そっちのけで(仲間にお尻を向けて)そちらに釘付けになるsad

そんな姉弟を見た先生方は、ムスメとムスコそれぞれにサシで稽古をつけてくれた。ムスメには、基本の型や仕草をていねいに教えたあと、大きな声を出して打ち込む練習を。(いきない面や小手を打たせるのには驚いた。ムスメもかなりテンションが上がっていた)礼に始まり、礼に終わる。美しい所作は、すべての基本。…的な仕込み方は、ちょっとバレエの世界にも通ずるものがあるのか、かなり気分は女剣士な感じだった。声も出ていたし、飲みこみも速くて、練習が終わると頬を紅潮させて意気揚々と戻ってきた。

ムスコはといえば、どんなに無礼なことをしようが「お前~やったな~」と笑って許してくれる先生方に気に入られ、可愛がられて、やる気をそがれず、しかし、決めるところはきちんとやれ、と指導されて、彼なりについていこうと頑張っていた。うまくいくと、こちらをちらっと見てはにやりとする。やっぱり、親の目は気になるらしい。うるさいことを言わなくても、自分と同い年の子や女の子が、一心不乱に稽古しているのを見るのは刺激になるようで、おふざけの深追いもしないのが不思議だ。末っ子らしく甘やかされて、愛称で呼ばれていた世界(保育園でも一緒)から、苗字で「●●クン」と呼ばれる緊張感もいいらしい。

「剣道の稽古は決して面白いもんじゃないので、とにかく、毎回道場に来る(来たいと思う)ことが大事ですよ」というポリシーのもとで指導をして下さっているそうだ。なるほど。

そういえばバレエも「発表会がなければ、モチベーションが保てません。バレエは本質的に自分を追い込む世界なので、日常のお稽古に意味を持たせるためにも発表会は必要なんです」といわれたことがあった。

今やっていることの積み重ねの先にあるものを想像する力は、まだ子供のときは弱いと思うから、先生方の言っていることは正しいと思う。「やっていたら、いつの間にか続いていた」という風に付き合えるようなおけいこが、子どもにはちょうどいいのだろう。

夏休み、二人にはこんな風にして、「やってみたら面白い」「がんばってみたらできた」「自分には意外にこんな力があった」ということをちょっとずつ発見して行ってもらえたらいいなと思う。別にお稽古ごとでなくて構わないので、プールで一緒に泳いでみるとか、料理をひとつ覚えてみるとか、夏休みの目当て(目標)を完遂してみるとか。

ふだん時間や、他人のリズムに追われている生活だから、9月に戻せないほど崩すのはご法度だけど、少しくらい「時計やチャイム、アラームのない生活」を味あわせてやりたいと思う。家族との時間にケチにならないように、ということも大事かなと思う。

子どもが自信を取り戻して、気力に満ちて2学期を迎えられるようにすることと、親自身も、自分たちの内面に整理をつけて、すっきりと暮らしに迎えるようにすること。

今年の夏休みの目標は、そういう整理整頓と、活力充電に充てたいと思う。

#ETSの術後2週間を過ごして、の結果は以下の感じ。

○代償性発汗は、やっぱりアンダーバストから鼠頸部にかけては、この暑さだと結構多いかな。一番多いのは、胴周り。これは、35度近くになると、おなかと背中の中央部にハンドタオルをはさむか、チューブトップを1枚プラスしないとまかなえないくらい、汗をかく。脇腹は大したことなし。どっちにしても、ぴったりした服は危険だけど、別に以前からそうした衣服は着ないし、チュニックや麻素材のトップスにすれば大丈夫。

腿の裏は、若干汗ばむけれど、淡色の麻で速乾性のある素材か、濃い目のデニム素材、あるいはフレアースカートなどを履いていれば、汗染みが出るようなことはない。

首筋はうっすら汗ばむけれど、べたついたり、玉の汗が流れ落ちるようなことはない。

顔は、中心部(毛穴が多いところ)と眉毛、生え際は多少汗ばむけれど、以前に比べれば雲泥の差。頭皮は汗はほとんどかかないかな。

脇の下、デコルテ、腕も掌もまったく汗をかかないので、ノースリーブやストラップショルダーは問題なし。(胸の谷間と、ブラのバックホックのあたりはうっすら汗ばむ)

足の裏も、まったく汗をかかないことはないけれど、汗で滑ってサンダルやミュールが履けないようなことはない。

そんなわけで、QOLというか、社会生活上から考えると不自由はほとんどないといえる。心配された上半身の火照りやうつ熱も気にならない(たぶん、うっすらと汗をかくからか)。

足のむくみはまだ気になる(もともとむくみやすい体質が進んでいる気がする)。特に、昼間ビールを飲んだりするとてきめん。朝起きると、二の腕にシーツのあとがついている。すぐとれるけれど、水分代謝機能が落ちているのかな。トイレも若干近くなった気が。前が間隔をあけ過ぎていたのだけど。食欲や便通は問題も変化もなし。むしろ、やたらと鳴っていた胃腸の機能亢進が落ち着いて、快調。これは因果関係不明ですが。

体質的には、お酒に弱くなった(おいしくなくなったので、飲みたくなくなる)。お酒を飲むとむくみやすくなるし、ビールをコップに1杯で十分。

味覚も少し変った。前はあまり好きじゃなかった麦茶や創健美茶みたいな「ゆるーい」味がおいしく感じる。でも食生活は前と変えていない。

自転車での移動など、日常的な運動でも問題や不快は感じていない。

いまのところ、一番不快・不便を感じているのは、右腋窩周辺のしびれというか、痛みというか。一昨日までは、乳房(乳腺)と乳頭の痛みがずっと続いていて、自転車など震動が響くと痛かったのだけど、月経開始とともに消えた。これは、黄体ホルモン期の痛みと同質のもので、時期も重なっていたから、きっとそのせいだろうと思っていたので、時期が来るのを待っていたし、不快だけど心配ではなかった。

背中の痛みも先週からほとんどなくなった。たまーに、角度によって、筋肉痛みたいな感覚はあるが、気にならない。でも、右脇の下から肩甲骨にかけては、局部的に皮膚感覚が鈍くて(若干軽快しているものの)、右乳腺も手で軽く触れると痛い感じがある。洋服の「アームホール」にあたるエリアは全体に、痛いような、しびれているような、つれているような不快感が残っている。

なんとなく、「このまま」という感じはしないのと、ゆっくりながらよくなっているので、時間の問題かなとは思うけど。

日常生活に支障はないし、全体として満足度は今のところ高い。さらに観察継続。

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2009年7月13日 (月)

「愛情不足です」

先週水曜、ムスメの小学校のスクールカウンセラーと面談してきた。はじめての、スクールカウンセラー体験。

ムスメはいま、いわゆる「保健室登校」というか、「行き渋り」というか。学校に行く時間になると、あるいは学校に行くと、心身症的な症状が出てくるらしい。

発端は、6月のリンゴ病。家族全員持ち回りで移し移され、アンカーが娘(と私)だった。それぞれに症状のバリエーションが違ったため、病状の正確な把握が遅れたり、あらぬ疑いをかけたり、と後味の悪い体験だったのだが、どうもそのあたりから保健室登校が目立つようになったらしい。

とはいえ、登校停止になる病気でも泣く、かといって辛いものを無理やり登校させるのもどうかと思うし、詰まってきた仕事のスケジュールが脳裏にあったものだから、「ほんとに具合悪いの?」という視線や態度を暗に投げかけてしまっていたのはこちらの責任。

そういうことに敏なタイプだから、ごまかすことはできないし、「迷惑顔」の私たちの真意はお見通しだったと思う。どうも、そのあたりから、ムスメのコンディションが不安定になってきた。考えてみれば、GW前に母が亡くなって、連休は葬儀だなんだと行きつく暇もなく、連休明けは運動会の練習で心身ともにくたくたになる毎日(ムスメはリレーの選手なので、特別練習も連日あった)。そして直後に遠足。やっと日常に戻れる、と思ったら、6月からは学習指導要領改定の移行措置として、連日6時間授業に。このあたりで、疲れもあってりんご病勃発。あとは、坂を転がり落ちるように、がたがたと崩れ始めた。

ちょうどそのころ、実家の父の容体が急変したということで、父本人からと、救急隊、そして自治体の包括支援センターのケアマネ(訪問看護ステーションのナース経由)から、私の携帯に緊急通報が入り、とるものもとりあえず家を飛び出した。その時も、ものわかりのよいムスメにしては珍しく、大泣きしながら「お母さん、いかないで!」とダダこねられたっけ。

それからしばらくは、父や妹にも事情を話して、しばらくは子どもたちのメンタルケアを優先したい、と断りを入れておいたのに…。

7月に入って、楽しみにしていたプールが始まって、少し持ち直したかに見えたが、週末に転んでひざを打撲しては「痛くて学校に行けない」と言い、整形外科を受診して遅刻登校させれば、「お母さんと離れたくない」と玄関で泣いて座り込み。

保健室の先生には「無理して登校させなくても」とか、「お母さんのことがとっても好きなんだけど、とても気を使ってますよね」「お母さんのことを思い出すと涙がこみ上げちゃうみたいですね」とか言われて、なんと答えてよいものか迷っていると、ムスメがその私を見て、あとから「ごめんね。お母さんが困るようなことになって…」という。

明らかな分離不安。それも、私との。自己嫌悪だ。子どもに二重三重に気を使わせて。

ETSの手術入院も、そんなことがあったから、「1泊2日の検査入院(人間ドック)」だと伝えて不安にさせないようにしていたつもりが、まったく効果なかった。ムスメは、ただの検査入院ではないことを察知していて、それでも何も問いたださずに、同じマンションのお友達のおうちへ、喜んで(居るように見えたが)お泊りに行った。

だけど、先日、夜入眠する際の読み聞かせのあとに、しくしく泣き始めるムスメに「学校が嫌なの?」と聞くと、「ちがう。お母さんも、病気なの?」と尋ねられた。予想もしない質問にぽかんとしていると、「ここのところ、お母さん、毎日、検査とか病院とか言っているから、悪い病気なんでしょ?」と。唖然。

4月で40歳になったために、区の40歳検診の受診表の数々が送られてきていて、時間のある今のうちに受けておこうと、乳がん(マンモも)、子宮がん、胃がん、大腸がん、その他ペプシノゲンがどうとか、肝炎がなんだとか(歯科も)、とにかくありとあらゆるオプションもつけて、検査を受けていたのだった。それは、前のエントリにも書いたとおり。

大人にとっては、ふつうの「検診」でも、感受性が高く(心は幼い)ムスメにとっては、大変な負担だったみたいだ。見込みが甘かったし、悪いことをした。配慮が足りなかった。

そんなことがあった矢先に、スクールカウンセラーと面談を申し込んでいたので、いろいろと状況を話し、ムスメの現状について進言を仰いだ。結果の要点は以下のとおり。

●3歳頃から「死」についての関心が高かったこと、7歳の現在でも、「死」についての観念的な話が、大人との間で成立していることを考えると、本来的な特質として、知能も感受性も高いのだけれど、実際には、感受した情報(感情や知識)を適切に処理できるまで、知的能力が成熟していない。

●3月生まれの子供には、一般論として、「INPUT勝ち」になりやすい傾向がある。自ら能動的に自信をもって動く遅生まれの子供たちに比べて、周囲の動向を観察し、安全を確認してから見よう見まねで倣う、という行動パターンが小学校3年生くらいまでは支配的。

●娘の場合は、生来的な感受性の高さと、生まれもった個性(生育環境など後天的なものも含め)のバランスから、「たくさん見聞きし、受け取っているけれど、いっぱいいっぱい」な状態が続いている。

●同じクラスの友達と親しく遊べず、年上の女の子とばかり遊びたがる傾向があることについては「同じ年の子には、意地やプライド、力関係もあって、甘えたり、大目に見てもらうことができないが、たとえ1学年で会っても、上級生なら安心してわがままが言え、”妹”に徹することができるのではないか。心が疲れている時には、同じ年の友達と拮抗するパワーが残っていないものなので、そうした逃避・安楽に傾くことが多い。

●祖母のこと、その祖母に向かう母の姿を具に見続けてきたこと。両親(私たち)が自宅で仕事をしているために、「大人の世界」の事情を肌で感じざるを得ないこと。自分の感情を抑え、わきまえることで認めてもらおうとするが、まだ心が幼いので無理が生じていること。弟は天真爛漫に両親に甘えや欲求を出せるが、先を越されると自制してしまう傾向があるのではないか。

などなど、指摘していただいたところで、とどめの一言。

「要するに、はっきりしていることは、お母さんの愛情不足ですね」。

これ、文字面にするとかなり厳しい一撃ではあるし、実際「やっぱ、そうだよね…。うすうすそうだとは思っていたんだけど、やっぱり面と向かって言われるとしんどいわ…」と、内心つぶやいてしまったんだけど、カウンセラーの方はとても真摯に、いたわりをもって言ってくれた。次のようなフォローとともに。

「誤解しないんでほしいんですけど、お母さんが愛情をかけてない、ということではなくて。お母さんが注いでいる愛情が、●●(ムスメ)ちゃんの欲求とかみ合っていない、双方向でない、という意味なんです。愛情不足、というのは、あくまでも●●ちゃんの側からみた場合に、お母さんの何かに対して渇望している、という意味です」と。

ありがたい配慮ではあったけれど、結局おなじことではある。とんちんかん、ってこと。

それで、そのあと、自分なりによーく考えてみた。正確には、ずっと、心のどこかにくすぶっていたこと。それは、「私はなぜ、ムスメのすべてを、ありのままに受け入れてやることができないのか」ということだ。

ムスコが、たいていのことを「にこっ」とか「にやっ」とか、バリエーション豊かな笑顔と、愛嬌のあるしぐさでいなす(大人はそれを許容する)のに対して、ムスメは、そもそもが愛嬌のあるタイプではないこともあるし、感情表出が「素直」ではないこともあるのかもしれないけれど、2歳以降、「ニコッ」で済ませた試しがない。どちらかというと、シリアスなんだ。

もって生まれた性格の違いもあるのかもしれないが、要は、こちらの許容度の問題でもあるように思う。その意味では、ムスメは非常に損をしているし、私のなかに、(ムスメをとても愛しているにも関わらず)どこかで「無条件に愛し受け入れる」ことを許さない、わだかまりというか、ひっかかりというか、何かがあるのではないか、と考えた。

はっきり言って、ムスメに原因があるのではなく、私の深層心理に「何か」があって、それがムスメと私との、スムースで自然な感情の交流を妨げているような気がしてならなくなってきた。だって、「どうすればいいか」「何が問題か」はわかっているのに、「自然にそれをできない」のだから。その障壁になっているのは、明らかに私の心の中の問題だと思う。

そう思うと、スクールカウンセラーの指摘はもっともなことばかりで、真摯に耳を傾けねばならないことばかりだったけれど、「知る」と「やる」の間のギャップを本質的に埋めるためには、自分自身と向き合わないと話にならない、と思った次第。

そういうことで、今週、心理相談室にカウンセリングを受けに行くことにした。

結局、ムスメがメンタルのコンディションを崩してしまう大きなきっかけを作ってしまったのは、私自身の「グリーフワーク」と称して、私が、こどものケアよりも、自分のエネルギーのやり場を確保することに躍起になってしまった結果ともいえるし。

子どもたちのことを何より優先して、子ども孝行をして、なんて行ってたくせに、結局利己的な悲嘆解消策に没頭してしまったということでもあり。そうやって、どこかで「こどものことを一番に考えている振りをしながら、自分かわいさナンバーワン」みたいなところに眼をそむけてきた結果ともいえるわけで。

「パンドラの箱」を開けることになるのかもしれないが、自分の本質を知る以外に、子どもと本当にどう向き合うのか、道筋をつけることができない気がしている。

「愛情不足です」なんて、自分が言われるとは思っていなかった。

だからよけいに、堪える。堪えると、ますます子供に対するゆとりがなくなるみたいで、いちいち動揺する。その動揺が、また子供にお見通しなんだろう。

あんまり悪循環がひどくならないうちに、きちんと自分と向き合わないと。

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2009年7月10日 (金)

ETS術後1週間

術後1週間がすぎた。なんだか強烈な背中と脇の痛みが続いている。一昨日からずっと。皮膚は「日焼け」したあとみたいな、衣ずれだけで痛むような、触覚的な痛み。

これはまあ、不快ではあるけど、気の持ちようで乗り切れる程度のもの。問題は、深呼吸して肺を膨らませたり、椅子の背もたれに寄りかかって伸びをしたりすると、背骨周辺部、および肋骨・肋間がきしむような、ミシミシとひび割れるような痛みに襲われること。

肺(背中)の痛みは1か月ほど続く、とは退院時に予告されていたけれど、これって、その痛みなのかな…。昔、肋間神経痛というのに悩まされたことがあるけれど、その時の痛みによく似ている。重くて鈍くて厭な痛み。あと、バストアップのために鍛える筋肉(脇の下から乳房にかけての筋肉)と脇の下に、筋肉痛様の痛みもある。痛みの百貨店。

気になってサイトで調べると、出てくる出てくる、「ETS後遺症被害者連絡会」とか、「後遺症に悩む人の~」とか。自律神経を意図的に傷つけたことで、二度と取り返しのつかない苦痛を負うことになった人の苦悩と怨恨が匂い立つよう。思わず、見るのをやめた。

代償性発汗でQOLが術前より著しく下がり、自律神経失調症の諸症状で心身の健康を害し、後悔してもしきれない、という思いが立ちあがって、こちらも具合が悪くなりそう。

正直、こういう情報は手術を受ける前にさんざん読んだから、今さら何かの影響を受けるわけでも、戻れるわけでもないのだけれど、この痛みや不調で不安が高まっている時期にあえて読むのはやめたほうがいいと思ったから。

結局、アンデルセン「人魚姫」のようなもので、人間の足を手に入れるために、声を失い、都度激痛の走る「歩み」を手に入れた人魚姫のようなもので、「こんなに痛いと知っていたらやめればよかった」「ちっとも報われないなら愚かな選択だった」と思うか。「それでも私は、これを選んだだろう」「これでいいのだ」と思って受け入れるか。そのどちらかだもの。

デコルテの痛みやしびれはかなり軽減されてきた。傷口もほぼ完治。

そういえば、昨日は蒸し暑い中を午後半日打ち合わせやら何やらで歩きまわって、一人、神田神保町の「新世界飯店」にて、辛子そばも昼食にとってきた。代償性発汗に備えて、キャミソールの上から、スリップを重ね着。白い麻の薄手のチュニックに、黒いカルソン、ウェッジソールのハイヒールのエスパドリーユといういでたち。

脇の下も、首も胸も背中上半分も汗はほとんどかかず。

一番汗をかいたのは、アンダーバストからパンティラインまで。でも、「バケツで水をかぶったよう」にはならず、電車のシートにも30分近く座っていられたし、1時間程度の打ち合わせも問題なし。若干、太ももの裏が湿っぽいかな、とか、背中が汗ばんでいるのを自覚はしたけれど、外見的にも意識面でも問題なし。

顔面にまったく汗をかかないかと思ったら、鼻の頭と下、小鼻の脇から頬内側にかけてと、下唇の下にはかなり玉の汗をかいた。でも、ミニタオルで都度押さえればすむ程度。他の人も暑そうだったから、許容範囲。首や後頭部も、発汗後のようにひんやりしていたので、熱発散はそれなりにできていたみたい。ただし、デコルテと二の腕は少し熱っていたが。

酸辣湯麺を食べて、これまた鼻と口の周りには玉の汗がでたけど、まあ、一般的なレベル。腿の裏と背中は少し汗ばんだけど、これもびっしょりにはならなかった。

帰宅後、こどもたちを迎えに自転車で2km弱走ったけれど、ここでは鼻と口以外に、額にうっすらと玉の汗がにじんだ。でも皮膚を伝って流れるほどじゃない。結露くらい。これもちょっと安心。この程度にかいてくれるなら。

夜、入浴したが、子どもたちを先に洗っている間、鏡を見ると額にはびっしり玉の汗。デコルテにもうっすらと汗がにじんでいる。長めにお風呂に入っても気分悪くはなっていない。(出てから熱がとれるまでの時間が、若干長いかもしれない。扇風機にあたれば大丈夫)

気になっているのは、むくみ。夜になると足全体が重くなるし、脛は結構むくんでいる。朝起きると腕もむくんで、シーツの跡がついている。まだ術後一週間だから、水分代謝とかいろんな機能が混乱しているのかな、とも思う。トイレは近くなった。が、もともと間隔が長いので、やっと人並みになった感じか。疲れやすくなったかな、とも思うが、術後1週間、ほとんど家で過ごしてきたし、本格的に日中活動したのはこれが初めてだったので、そういう疲れはあるかもしれない。

昨夜は、疲れてそのままごろんとして眠ってしまった。が、3時頃体が痛くて痛くて、目が覚めた。とにかく背中が割れそうに痛い。最初に書いた痛みが倍増している感じで、再入眠しようとしても、目がさえて眠れない。仕方なく起きて、アスピリンを飲み、効いてくるまでネットで「ETS、術後、背中の痛み」を検索。いくつかヒットしたが、やはり人によっては数週間から、長くて半年くらい、背中の鈍い痛みが続く場合があるみたい。

ただ、時間の経過とともに直っていくみたいなので、ちょっと安心。そう思っていたら、だんだん薬が効いてきて、また眠れた。朝目が覚めると、まだ少し痛いけれど、動いた方が楽みたいだ。どうやら、長時間同じ姿勢をとっていると(たとえ眠っていても)、背中が痛むように思う。ストレッチをしたり、意識的に深呼吸したり、家事をやって体を動かすと軽快する。

あんまり長引いたり、悪化するようなら、外来受診しようと思うが、もう少しなだめつつ様子を見ようかな。なんというか、痛みに弱い自分の性格上、ふだんだったらとてもほっておけないレベルの痛みであるにも関わらず、あまり心の負担になっていないのは、手掌多汗症で抱き続けてきた苦しみとのトレードオフ、と考えれば「安い買い物」と思っているところがあるからだろう。

決してだれにとってもベストな選択ではないのだろうが、少なくとも自分にとっては「生きなおし」ができるような気持ちを与えてくれてはいる。少しずつ、体が慣れて行ってくれるのを、あせらずに待ちたい。

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2009年7月 8日 (水)

ETS術後4日目

本当はこんなにこまめに術後経過を記録しておくつもりはなかったのだけど、日々刻々と様子が変わるので、そしてそれにつれて気持ちのありようも微妙に変わるので、これはちょっと書き留めておこうかと。

術後3日目にあたる昨日は、まだ咳をすると肺(後背部)がきしむように痛むし、挿管のせいで喉が腫れて痛かったし、なんだかひどい風邪をひいたあとのようだった。が、両腕はかなり可動域が広がったし、日常生活への支障もなくなっていた。

ただし、いくつか気づいてしまってから、気になっていることが出てきた。

まず、顔面の火照りと頬の赤み。おてもやんみたいに、ほっぺの真ん中だけ赤く、日灼けした当夜みたいに鬱熱している。とにかく暑い。熱い。頭に血が上っているみたいで、頭痛頭重もあるし。首もデコルテも熱い。熱がこもっている感じ。もちろん、汗はほとんどかかかない。汗をかかないということは、当然熱が発散されないわけで、しかしそれがこんなにしんどいとは思わなかった。保冷剤で両頬をくーリングして若干軽快するも、「これがずっと続くのか…」と思うとちょっとユウウツ。

あと、鬱熱でいうと、両上腕部(いわゆる二の腕ですな)も、同じように熱い。赤くなっているのがわかる。ここも日焼けした夜みたい。皮膚の表面がピリピリと、痛痒いような妙な感覚あり。

その際に、ちょっと気になることも。肩から二の腕につながる肩甲骨と脇の間(タンクトップを着た時の背中側の襟ぐりのあたり)が、局部麻酔したみたいに感覚がない。ちょうど歯医者で歯茎に麻酔をかけ、その余波で下唇がマヒしているみたいな、気持ち悪い感触。左右ともにあるけれど、右が特にひどい。

それから、左右時間差はあるけれど、ほっぺたやうなじ、頭皮や腕などの毛穴が「総毛立つ(毛穴が収縮する)」ような間隔が不定期かつ断続的にやってくるのも気になる。

交感神経を遮断したことが、発汗現象のみならず、温度や感覚といった体感機能や体温調節機能を狂わせ迷わせているみたい。ある意味当然のことなんだけど、実際にこの身に起こってみると、やはりちょっと怖い。

術後の副作用というと、代償性発汗のことだけに話題が集中しがちだけれど、実際にはこんなに微細で多様な副反応があらわれるとは思わなかった。まあ、それでも自分自身の決断や、これまでとこれからのQOLに対する意識に揺らぎはないけれど。(よほどこれらの副反応がひどくなったり、新たな問題が発生しなければ)

いまのところ、代償性発汗と思われる現象は、アンダーバストからパンティラインまでの「体幹部の下半分」が著しいかな。でもこれは、チューブトップやキャミソールをこまめに着替えれば不自由がない程度。太ももとひざ裏の発汗もあるにはあるけれど、真夏にぴったりとしたパンツをはかない限りは、さほど問題もなさそうな気配。

ただし、両足のむくみ(特に夜)はひどいし、ちょっと辛い。

ただし、手術当日は気になった足の裏の汗は、ほとんど問題がないほどに解消された。また、同様に当日は気になった両掌のむくみや火照りも今はほとんどない。先に書いた頬の火照りと赤みも、術後4日目の今日はかなり改善されてきている。頭痛やのぼせといった症状も落ち着いた。

サイトなどで調べると、両肩(脇背面)の麻痺も、数週間から数か月で元に戻るらしい。

ついでに4日目の今日は、そうした不快なしびれが、左乳房の表面にも出てきた。乳房の麻痺は、肩とは反対に左側の方がひどい。

脇の下から内視鏡とメスを挿入した傷口は、今日、縫合代わりのシールが外れた。傷は本当に3~4ミリの長さで、言われなければわからないほど小さい。

しかし実は、傷口の治り自体は順調だし、痛みも化膿もないのだけれど、脇の下の内奥部(器具が通過したあたり)は確実にまだ炎症を起こしているもよう。圧迫すると痛いし、日中、少し活動量が上がって体温が上がると(脇の下に汗をかいていないにもかかわらず)傷口がしみるような、炎症を刺激しているような、厭な痛みがある。

チビたちに授乳していたころ、おっぱいが張ってくると、まずカチコチに固くなった乳腺のあたりまで痛みがある。乳房の下からも器具を挿入しているし、(関係ないかもしれないが)私は副乳があるので、乳腺にもなんらか影響が行っていなければいいのだけれど。

ひとつの症状が軽快したかと思うと、こんどは違うところに不具合や不快が生じて、なかなかすっきりとはいかないものだな、と思う。

また、局部的な鬱熱や赤みの激しさを目の当たりにすると、今さらながら、人間の体というのは、自律神経によって非常にデリケートに均衡を保っているもので、一部に手を加えて「断絶」させるということは、その均衡を崩すことなのだということへの理解と覚悟が必要だよな、と思った。

いまいろいろ出ている症状が、病院で説明を受けたような「術後すぐの不安定な時期特有のエピソード」であることを祈るけれども、もしこれが永続したとしても、また、違う症状が出てきたとしても、それはそれで覚悟をしていなければいけないな、とは思う。いまの状態が固定的なものだと思いこまないようにすることは、今後起こりうることに対しても、冷静に受け止めるために必要な心の準備だろう。

しかし、この数日で、めまぐるしく軽減・消失したり、微妙に増悪、または新たに発現する症状がいろいろあることを考えると、ひとつひとつに一喜一憂しないほうがいいな、とも思う。少なくとも今の私は、対人的・社会的に重すぎた頸木が外れたことだけでも、十分な価値に値する成果を手にしているわけだしな。

これから夏本番で、もともと汗かきの私には厳しい季節だし、体が、一度崩れた均衡を取り戻そうと頑張って、なんとかリカバリするには短くても3か月、長く見積もって半年~1年くらいは猶予をみたほうがいいだろう。

状態の変化とか、気持ちの揺れを記録しておくことは、いずれ自分以外の誰かに勧めるなり、止めるなりする際にも大事な情報にはなると信じて。

どこか、いいリンパドレナージュを受けられるところを探さなきゃ。

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2009年7月 6日 (月)

ETS術後2日目

昨日は日がな一日、脇の下と背中(胸)の痛みでどうにも自由が利かず、ただ時間の過ぎゆくのをじっと待つような土曜日だった。

なるべく咳をしないように。大きな声を出さないように(ちびたちを目の前にして、これは難だった)。笑わないように(これも同じく)。両腕を少しでも上げて脇が空くと(肘を軸にした可動範囲なら問題なし)、傷口が引き連れて痛いので、脇の下にボールを挟んで歩いているみたいな、ペンギン見たいな妙な歩き方で過ごす。歩行の振動も響いていたいので、すり足で。あほみたいだ。

今回の手術への決意とか、術前の緊張、術後の苦痛、そういうこと全般に「鈍」なオットは、特に入院前には病気にも手術にも関心を示さず、退院後も心配やら労いもなく。

まあ、そこが彼のいいところでもあるわけだが、あまりに「意識スルー」な振る舞いに、若干切れてしまった私。そして訳のわからない(見当がつかない)怒りに、逆切れしたオット。

昨日の夜は、広くない家のなかで、しばしの間冷たい火花が散って、チビたちは(いつものように茶化した仲裁をすることすらなく)自分たちのコーナーに退散して、災禍が過ぎゆくのを待っていた。寝る時も無言のまま、「痛いから(無神経にベッドを)揺らして床に着くんじゃねぇ」「そんなに痛ぇなら、あっちでてめえ独りで寝やがれ」みたいな、寒々しくも程度の低い空気のなか消灯した。

体を完全にフラットにして眠ると、肺の痛みが強まる(一所懸命呼吸しないと苦しい)感じがするので、上体をかなり起こした感じになるように、クッションをたくさん並べ重ねて眠る。ムスメが乳児のころ、ぜんそく発作を起こすと仰臥していられなくて、ベッドの上にちょこんと座って、肩で息をしていたことを思い出す。大人でもこれだけ苦痛を感じるのだから、あんなに小さいからだで、苦しかっただろうな、と思いながら眠る。

今朝はだいぶ痛みが軽快していた。まだ、胸は痛いけれど、肩甲骨の間のいやな痛みはかなりよくなっていた。起きぬけは痰がらみの咳がでるのだけれど、昨日よりだいぶまし。

脇の下は熱を持っているけれど、良腕を肩と水平になるくらいまでは持ち上げられるようにはなっていた。ただし、重いものを持とうとすると痛い。肩より上に腕を上げようとすると、やはり脇の下が引きつれて痛い。髪の毛を洗おうと思ったが、顔を洗うので精いっぱいだった。

今日わかったこと。

掌は、完全に汗をかかなくなった。どんなに熱くても、手先に集中しても、若干温かくなることはあっても、汗ばんだりはしない。むくみも昨日より改善。

ちなみに、脇の下も、熱っぽさはなくなっていないけれど、汗は書いていない。さらさら。

それから、懸念された顔(特に額)や頭皮の汗も一切なし。

その代り、これは明らかに代償性発汗だと思うけれど、乳房の下(いわゆるブラのアンダーバストの部分)から下、おなかとせなか。それから鼠頸部(パンティライン)は汗いっぱい。あと、太ももやひざの裏も、若干多め。

ただし、これらはどこも、従来も夏場は結構汗をかいた部分だから、今回特別に、急激にひどくなったという気持ちはしない。「変わらない」という感じか。いや、むしろ、びっしょりで始末に負えないほどではないので、多少改善された、と思ってもいいかも。

とはいえ、今はまだ術後すぐで、状態も安定しているわけではないから、いまいい状態のものが悪化する場合も、その反対もありうるということで、しばらくは様子見。

で、気づいたことがある。

手に汗をかかなくなると、手相が変わるみたい。

いままで出ていなかった線が出てくるし、これまでぼんやりしていた線が鮮明になる。汗が出なくなってしわが多くなっているせいもあるのかな。

これだけさらさら、かさかさしていると、冬場は確かに手あれが気になるかもしれない。

でも、べとべとよりは、かさかさのほうがましだ。私には。

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2009年7月 4日 (土)

ETS手術を受けました

ついに、内視鏡外科手術(ETS手術)を受けた。昨日入院して、今日退院。1泊2日のプチ手術入院。

手掌多汗症とつきあって(自覚してから)36年。以来ずっと「触れ合い」だの「手の温もり」だのってものとは無縁の人生。齢40にして、やっと「掌」を意識せずに生活できる。

自分史上5指に入る出来事といってもいいくらいの出来事。オット以外にはだれにも知らせず、「検査入院(人間ドック)」と偽っての入院。ムスコは保育園のお泊り会。ムスメは同じマンションのお友達のうちにお泊り。

手術時間は片方ずつ10分程度、前後の麻酔処置時間を加えてても1時間程度。念のため当夜は入院するよう指示されているけれど、翌日からは日常生活をしていいそうだ。

実際には、説明されたとおりの手術・入院内容で、あっさり、さっぱり。

しかし、実は外科手術は生まれて初めての経験なもので、なにしろ怖い。歯医者でブルっちゃうくらいの恐怖症だし。手術室まで自分で歩いていくし、手術台にも自分で乗るし。

笑気麻酔が効いてくる間の変な感覚も覚えてるし、術後の気管抜去の感覚も覚えてる。できることなら、外科手術はもう二度としたくない。

「翌日からふつうに生活できる」とは聞かされたけれど、実際にはそうもいかず。

麻酔が覚めてからは、とにかく肺と背骨が痛い。脇の下も痛い。(片肺の空気を抜いて、しぼませて空間を作ってから、内視鏡と電気メスで、脊椎脇の交感神経を焼き切るらしいので)、術後の肺の痛みの方が辛いみたいだ。咳をしたり、深呼吸をすると、背中が「バリバリ」って破れそう。脇の下と乳房の下にできた、内視鏡の挿入口の傷も、3ミリ程度らしいけど、皮膚の下が炎症を起こしているみたいで痛い。

気管挿入のせいだかで、喉は痛いし、胸やけもしている。

なんにしても「簡単な外科手術」なんてものはないんだな、と実感。甘く見てはいけない。

代償性発汗は覚悟の上。足の裏と、ひざの裏はやや汗ばんでいる感じだけど、掌も顔も脇の下も、ほてってはいるものの、まったくのさらさら。驚異的だ。普通の人には、当たり前すぎて意味すらわからないだろうけれど、これまでの30年以上の悩みはなんだった?

退院直前検査のレントゲン室の前で、同じ症状で手術入院していた48歳(と言っていた)の女性と目があい、軽く会話した。彼女も「ネットで情報を得るまで、こういう病気があることも、手術(根治)方法があることも知らなくて、ずっと一人で悩んでいた」と。「私もですよ。40歳になるまで、こういう選択ができる日が来るなんて考えたことなかった」と答える。

名前も何も知らない人なのに、お互いにちょっと涙ぐんで言葉に詰まってしまった。「大変でしたよね…」という共感と労いが、言外に漂った、よい時間だった。これからは、彼女も私も(代償性発汗の不便はありながらも)、我が子や、仕事や、日常のあらゆる場面で、手の汗を気にせずに暮らしていけるのだと思うと、感慨深いものがあった。よく考えてみれば、手掌多汗症の人と、面と向かって思いを共有した(告白した)のも始めてだった。

手はまだほてって、若干むくんだ感じもあり、決して快適爽快とはいかないけれど、気持ちはすがすがしい。脇の下の引きつれも、肺の割れるような痛みも、かなり辛いけれど、時間がたてば治るだろう。

保険は適用されるし、経済的・身体的・社会的負担も最小限だ。医学の進歩とはすごい。

次回外来は9月。

その時には、「子どもの場合、いくつから受けられるのか」を聞いておこうと思う。子どもたちにも、明らかに症状が遺伝してしまっている場合には、「体の準備が整ったら、ちゃんと治せるよ」と希望を示してやりたいから。15歳すぎないときびしいのではないか、と個人的には思うけれど、それでも年頃になった時に、臆することなく「触れ合い」「手のぬくもり」を感じられる人生は約束してやりたいと思う。

しかし、痛いなー。

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