« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月27日 (土)

「私は母を金で捨てた。」

のっけから強烈なフレーズだけれど、佐野洋子の言葉を借りれば、今の自分の心境はこれに尽きる。(「シズコさん」より)

年末ぎりぎりまで、コンペが重なってひいひい言いながら今日を迎えた。仕事納めが例年にくらべて数日早いから、その分追い込みも厳しく感じる。景況に予断を許さないいま、来年のスタートを少しでも気安く切りたい、という思いから、少し無理をしてコンペ仕事を引き受けた。

時間を十分刻みでやりくりしながら、数本走らせる切羽詰った状況のなか、実家の父からはSOSのメールや電話が相次ぐようになった。

入居を間近に控えた母の心身のコンディションがかなり悪化しているという。「早く入所したい」と泣いてみたり、数十分するとケロリと忘れたり。かと思えば「あなたは厄介払いするのね」と父を1時間にわたって詰問するらしい。夜の粗相や見当職障害もひどくなっているらしい。「俺のほうがおかしくなりそうだ」という悲鳴にも似た訴え。

状況を察して、施設担当者には無理を言い、年末の忙しい時期にアセスメントをしてもらい、すぐにでも入居に入れるように算段したのだけれど、それも待てないほど切迫しているようだ。本当は、私が駆けつけて母とゆっくり話をするか、引き取って、家で不安を和らげてあげるのが一番いいことはよーくわかっている。

それなのに、今自分が置かれている状況と、母の状態を考えると、それはほとんど不可能だ。コンペをあきらめ、来年のことはいったん置いておくなら話は別。子育てに介護が加わったことで、いったん引き受けた仕事を断るという選択をすることの代償は小さくない。ましてやこのご時世。「できることはやっておく」という姿勢を崩す勇気がない。仕事のよしあしではなく、所詮、自分も自転車家業の事業主でしかないのだから。

でも。

心臓病に苦しみながら、認知症の母を介護する父の苦しみも、母の不安を緩和してやることよりも、自分たちの日銭を稼ぐことに腐心する自分の姿を客観的に思うと、「なにやってんだ」と思う。

自宅で仕事に追われている時なら、いったん仕事の手をとめて、PCのキーボードを叩いて、母をなだめる手紙を特大のフォントサイズで出力し、実家にFAXを送る。これでも多少は気持ちを切り替える効果はあるらしいから。気休めだとしても、何もしないよりはまし。

ところは今週は、プロポーザルを徹夜で仕上げて朦朧としている朝方や、プレゼンに向かう電車のなかでも、時と場所にかかわらずメールや電話が来る。父ももう疲労困憊なのか、かなり混乱している。「おまえたちに迷惑をかけたくない」とは言うけれど、行動は裏腹だ。当たり前だけど。

かと思えば、クリスマスの夜は、母とひさしぶりに語らったもようを伝えたくて、電話してきた。以下、抄録。

父「クリスマス、おめでとう」

母「おめでとう」

父「今年ももうすぐ終わりだね。年があけたら入所するけど、申し訳ない。俺も長くないから、先に逝ったらあなたを迎えに来るから寂しくないからね」

母「迎えにって、どこに迎えにくるの?」

父「(苦笑)まあ、いいや。じゃあ、もし次に生まれ変わっても俺と結婚したいと思うかい?」

母「(にやりと笑って)しょうがないわよねぇ。ほかに一緒になれる人いないじゃない」

みたいなことだったそうだ。父は話しながら笑いながら泣き、私も黙って聞きながら笑い、泣く。少し前までは、こんな話を父から聞くのは我慢ならなかったのに。

今は、少しずついろいろ忘れ、モザイクのような時間と記憶のなかで不安におびえ、時々ほほえましいほど可愛くなる母を見つめながら、体と心の葛藤に苦しむ父の苦しみをも思い、一緒に泣くしかないんだということを身をもって知った。その思いを、こんどは妹に話す。妹もやはり、同じところで笑い、泣く。一緒に泣くしかできない、暖かい痛み。それは明らかに苦しみではあるのだけれど、話の最後は「こういう家族でなかったら、耐え難く、乗り越えられない悲しみだけれど、少なくともこの家族でよかった」という思いで満たされる種類の、奇妙な悲しさだ。

心が千々に乱れる日々。それらをなんとか取りまとめて、「自分の生活」を守る推進力に変えようとする試み。40歳を目前にした中年の私には、やってできない課題ではないけれど、それでも、ときどき、たまらなくなるのだ。たまらなくて、夜中、布団のなかでだけ泣く。涙は感情の排泄なのか、泣くと少しだけ、気持ちが落ち着いて、あとは眠れる。

普通の生活を崩さずにいようとする自分が。自分の暮らしかただけは守ろうとする自分が。平気な顔で仕事相手と談笑し、明日の飯の種を獲得するために、苦しむ親のケアを後回しにする自分。わが子のクリスマスを祝うために、実家に緊急ヘルパーを送り込む算段をする自分が。偽善的で、酷薄な自分の本性がどこまでも追いかけてくる。

夫や妹、夫の母や親しい友人はみな、誰もが「施設に入れることを後ろめたく思う必要はない」と言ってくれる。「仕方がないんだ」とも。実際問題、私が母をひきとって、在宅介護をしながら働いていくことはきわめて難しい。あれこれもっともらしい理由をつけなくても、無理は無理だ。

だけど、それが何だというのか。私は金輪際、誰に責められることがなくても、自分の心を知っている。私は母を引き取って看取るつもりがない人間だってことを。「こどもにだけは迷惑をかけたくない」という親の意思に乗じて、わが子のためには仕事も暮らしも変えることができるのに、自分の親のためにはする気がないってことを。

あんなにも大好きな親だったのに。あんなにも愛しんでもらったのに。

「私は親を金で捨てた」という、佐野洋子の言葉が胸に刺さる。自虐的な意味ではなく、親を人の手にゆだねざるを得なかった経験のある人、親の介護に直面することができなかった人は、大なり小なり、胸に抱えて生きている思いだろうと思う。どんなに奇麗事を言っても、本質は変わらない。真実はひとつだから。その痛みを抱えて生きていかねば。母一人だけが、周囲の都合に押しやられて生きていくなんて変だもの。

クリスマスプレゼントに、母に「ちいさなあなたへ」という絵本を贈った。

文章の少ない、翻訳ものの絵本。偶然、町の本屋で立ち読みして、不覚にもボロ泣きしてしまった本。いま、私が、母に届けたい思いがすべてがつまっている本。目も耳もだめになり、言語コミュニケーションの力が極端に低下している母だけれど、だめな娘の私が、精一杯の思いで言いたいこと、「お母さんの子供でよかった」「この家族に生まれ育ってよかった」という思いだけは伝わって、と祈りながら。

もうすぐ、父のことも、妹のことも、私のことも、わからなくなる日が来るだろう。その日が来る前に、間に合うならば、許されるならば、「非道い娘だけれど、それでもお母さんを心から愛しています」と言ってもよいだろうか。こんな私が、許される日が来るんだろうか。

そんなことを思いながら私は毎日、飯の種を手に入れるために、携帯に送られてくるメールに目を通し、携帯を閉じて家を出、移動中に電話尾かけ、くたびれ果てて帰宅し、子供に夕食を食べさせ、夜半まで仕事をし、泥のように眠り、朝の戦争に臨む。助けを待ちわびる父母の長い1日と、私の短い短い1日はこうして軋みながら過ぎていく。

後ろめたい気持ちに蓋をして、今年1年の仕事が終わった。

1月3日、母は施設に入る。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年12月21日 (日)

落日と朝日。

今年も残すところあと10日あまり。

恒例「わが家の10大ニュース」ログだけど、今年はあまりにもいろんなことがあり過ぎて、安易にランキングができない。「どっちが1位かなぁ」と考え始めたのだけど、かなり根源的な選択を迫られるんだ。

できごとの重大性に順位をつけるということができないっていうこと。

よくよく考えれば、人生のほとんどには「順位」がつけられないことばかり。一番大切なものとか、一番好きな人とか、わりと安易に使うけれど。

「同点一位」というのも、世間一般ではよく使われる。便利な概念だけど、なんだかご都合主義的で潔くないな、と思うことが多い。でも、ほとんどの場合は「同点=判定不可能」だよな。

でも、とにかく忘れえぬ2008年ということで、以下に列記。

1位:ムスメが小学入学=保育園卒業

1位:母が認知症に

3位:自宅のリフォーム

4位:長女犬の病気

5位:不況

6位:ムスコの手術入院

7位:ビジネス・リストラクション

8位:でぶ

9位:バレエ三昧

10位:和解

結局、同点1位にした。衝撃度や深刻度、影響力から言えば、圧倒的に打ちのめされ、翻弄されたのは母の認知症だ。心情に素直に従えば、1位は圧倒的に母のほう。

それでも、「私の人生」ということを考えたとき、何を「1位」に置きたいかと思えば、ムスメの成長の節目のほうだ。

親の老いと、子供の成長。

どちらも秤にかけて重要性の高低を測るものではない。それはわかっている。老いが悲しみや苦しみで、成長が喜びや楽しみだなんて短絡的な決め付けはできない。

それでも、眼差しは、次世代の成長に向けていたい。現実には老いの悲しみに暮れ、飲み込まれそうになるほうが大きいけれど。それでも2008年の印象を決定づける最大要因を、子供の方に求めたくなるのは、私の精神力の弱さによるのか。

黄昏の、落日の美しさよりも、暁の、朝日の清清しさに心洗われたい。

夕闇直前の美しさは、心そのものが活力と希望に満ちているときに感じることができものだと思う。今の私には、暮れゆくものよりも、昇る朝日の元気さ無邪気さがありがたい。

そんなわけで、今年の1位は朝日のほう。でも、落日を2位にする勇気なく。「ご都合主義的同点一位」にしてしまいました。

犬の病気もリフォームも不況も、どれも一気にかすんでしまった(犬はえらい回復して、ぴんぴんして「あれはいったいなんだったの?」って感じですが)。

でも、自分の一生を考えると前半生の精算と、後半生へのターニングポイントとなった、紛れもなく忘れえぬ1年であったことは確か。

2009年は、いよいよ40歳だ。よそじ。

母が発病した年齢。あの頃私はもう15歳だったが、ムスメはまだ7歳、ムスコも4歳になるかならないか。石にしがみついてでもサバイバルしなければ、と決意する。

いいことが劇的に増えるとは思わない。わるいことも劇的に減るとは思わない。それでも、トントンくらいであればいいなと思う。

って、片付けモードに入ってるけど、今年もまだ何かあるかもしれないけど。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年12月17日 (水)

一生のうちにどれくらい楽しい食事ができるか。

近所の、親しい友人の夫は、12月に入って役員を努めていた会社が倒産したそうだ。小さいながらも堅実な商売だと思っていたけれど、この秋で状況が一変したらしい。とても他人事とは思えない。

多額の債務を抱え、友人のほうも病弱に心労が重なって倒れてしまった。これまで、周りの働く母親たちを支えてきた立場だったから、みんなが知ったら動揺することだろう。言うに言えない状況だと思うと、本当に気の毒だ。

そのうえ、地方にいる実母は肺がんが発覚、実父はどうやら認知症の疑いがあるとか。ひとの人生の明暗はわからないものだ。いままで穏やかな生活をしてきた人ほど、暗転の衝撃は大きいと思う。朗らかな人が打ちのめされていることと思うと、本当に胸が痛む。

じぶんだって、人のこと心配している場合じゃないんだけどね。でも、いてもたってもいられなくて、来週のクリスマス(終業式のあとでもあるので)は、子供もいっしょにご飯を食べようと誘う。翌日も、わがやでいっしょに子供を預かるよ、と申し出る。

何かをして上げられるほどたいそうな身分ではないけれど、苦境にあるときほど、人の気持ちの温かさ、差し伸べてもらう手のありがたさ、心砕いてくれる人がそばにいることの心強さを実感するもの。この10月からこちら、そういう思いは身に沁みているから。困難は自分で切り抜けるしか、あるいはうまく飼いならしていくしかないのだけれど、孤独ではないということが、つまりは最大の救い。

そういう意味では、ちょっと、一瞬だけでも肩の荷を降ろしたいときに、緊急避難的な場所があることは、何より大事なことだ。もしかしたら貯金よりも、仕事のクチよりも、大事かもしれない。と思うことすらある。

いっときの憩いでしかないとしても、恥ずかしくなく泣き言を言いながらお酒が飲めて、こどもを寂しい思いをさせずに預けあえて。いっしょにごはんを食べるのが楽しい関係があるなら、それでかなり人生は豊か。とにかく、笑ってご飯が食べられるなら、たとえどんなに質素な食事でも、美味しくないものであっても、それで幸せだ。

家族だっておなじこと。

一生のうちで、いっしょに食卓を囲める食事の回数は多くない。いつも笑って、とはいかないかもしれないけれど、ぶーぶー文句を言いながら、ごはんのナカミにケチをつけながらでも、とにかく、顔をあわせ、言葉を交わして、いっしょにご飯が食べられるのなら、ちゃんと家族なんだと思う。

一生のうちに、どれくらい楽しい食事ができるか。

私の思う幸せの指標は、これかなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年12月15日 (月)

2008年冬。これでいいのだ。

母は、独りでホームに入居することになりそうだ。

認知症状が発現した10月。

入院し、現実を受け入れざるを得なかった10、11月。

「母と添い遂げる」という父の決断に従い、覚悟をもって退院し、ふたたび自宅での夫婦2人の生活に戻った12月。

3週間たった今、父の心身の負荷は限界に達している。

そして日々刻々衰退していく自分のADLと、父に負荷をかけている現時を認識している母の悲しみも限界だ。

12月上旬にうちで預かった2日間。不覚ながら私もギブアップした。

トイレに立つ度に、仕事を中断してトイレに誘導する。何かを思い立って立ち上がる母の姿に驚いて飛んで来、「何をしたいか?」を聞き出して(たいていは特に意味のない行動=見当職)なだめ、座らせる。

夜は20分に1回トイレに起きる母を、トイレへ誘導・介助する。普段はポータブルで自立排泄できる母も、さすがに私のところでは緊張するのか、トイレに気をとられてろくすっぽ睡眠がとれないようで、お互いに疲弊。

聴覚・視覚・平衡感覚が×であるがゆえに、徘徊できないけれど見当職で立ち上がり、転倒するかもしれない不安にさいなまれる。2日ともたなかった。

思った以上にひどく、思ったよりも早く、認知症は進行している。

これまで結局、私は、この痛み重みを実感することなく、ひたすら父の責任と愛情不足を責め続けてきたけれど、大馬鹿者だった。父は、心臓に爆弾を抱えながら、限界を超えて、できるかぎり尽くしてきたと思う。それでもあふれて余りあるやりきれなさを私に「ただ聞いてほしくて」持ち込んだだけだったのに、私は突っぱねてきた。よくやっていたのだと思う。自分の無理解と、親への甘えを恥じる。

母を実家に送って行った日。母は、玄関をくぐると同時に性格を豹変させた。元気で、明るく、自尊心に満ちて、私たちを気遣う母は鳴りを潜め、陰鬱で、父に感情のはけ口を求める、理不尽な母になっていた。

びっくりする私に父は「いつもこんな感じだよ?」と怪訝そうな顔。私は、現実のなにほどを見てきたのか、と思った瞬間だった。

理性が飛んで小さな駄々っ子のように理不尽な要求や主張を通す母。それを黙って聞く父。黙っていることをまた責める母。納得するまで対応しようとする父。そのうち被害妄想的な発現が増えて逆切れに近くなる母。最期は、ひとしきり泣いて、泣き終わると何事もなかったかのようにケロリとして機嫌がよくなる。

母が父を求め、夫婦で添い遂げたいと思ってきたことにウソはないだろうが、夫婦で甘えや素が顔を出す(よくいえば気の置けない)関係だからこそ、のエピソードだとは思う。それでも、実家に戻った瞬間に表情がうつろになり、悲しいことだけを考え、口にし、同じ話のループにはまる母を見ていると、「夫婦ふたりで添い遂げる」ことを優先したことに疑問を感じるようになる。

「添い遂げる」というのは、素敵なことばだ。それでも、私たちが母と父のそういう決意を尊重したのは、私が勝手に作り上げたファンタジーだったのだと思った。

父の心身の負荷を取り除かねば。母の心の苦しみを軽減させることと背反すると思っていたけれど、それはちがった。父を楽にしてやることが、母を楽にしてやることにもなる。独りでホームの個室で長い時間をすごすことになったとしても。

いまの父と母の2人の生活は、「寄り添い、添い遂げ、自力で生きていこうとする夫婦の尊厳を守る」風でいながら、醒めて見てみれば、ひとつの狂気であった。どうにもしようのない、苦しみ悲しみに、涙を流しながら、食卓に座ったまま一日が過ぎていく、ゆったりとした悲しい狂気。

もう、十分がんばった。できることは十分やった。そのように、父に言ってあげなければ、と思った。

どうしても自宅を離れたくない父が、母の生活介助をだれかに預けられて、かつ毎日気兼ねなく会いに行ってあげられるホームを。

そして、その必要性を、いまのうちに母に打診しなければ。

12月はこの不況で仕事もかなりシビアな状況になってきているけれど、仕事の合間を縫ってホームの見学に奔走した。

今日、大手教育産業の新設ホームの入居説明会に行き、決心した。その帰りに実家によって、父に報告をし、「実家のそばで、母だけ入居、手厚く、ケアにも事業基盤にも信頼がおけ、他拠点展開でグループ内移動も可能」なところだ。

母は「私もホームに独りで入ろうと思っていた」と言って泣き、自分の心身の限界と、母にそれを言わせたことの情けなさを思って、父も泣いた。夫婦として、同士としてすごしてきた自分たちを思ったのだろう。自分の思うが侭に生き、母をその選択につき合わせてきた父からすれば、最後まで妻の面倒を自力で見られないという自分への無力感はいかばかりか。夫婦の来し方を思って、万感胸に迫るものがあったのだろうと思う。

それで十分じゃないか。と私は思う。

憎しみあって別れる夫婦もいれば、別れないけれど、相手を罵り、侮って生きていく夫婦もいる。父母は、心ならずも夫婦だけで自立して人生を全うすることができなかったけれど、それは形式だけのこと。

面倒を見てやれなくて申し訳ない、情けない。

相手の負担になって申し訳ない、情けない。

こどもたちに負担をかけて申し訳ない、情けない。

そうやって相手のために涙を流せる夫婦で、子供のために泣ける親でよかったじゃないか。と私は思う。

できないことより、できることを。という思いは今も変わらない。

こんなはずではなかった、と思うよりも、まだ恵まれている、と思って生きて生きたい。得がたく尊い親の姿を、10年以上遠回りしたけれども、知ることができたのだし。

激しい慟哭のなかに、人生の美しさを感じられるか。ということかな。

ひどく遠回りで非効率な道のりを経て、涙を流しながらも「ギブアップ」という結果にいたったのは、必要なプロセスだったのだ。と心から思う。

これでいいのだ。これ「が」いいのだ、とはいえないが、これ「で」いい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 3日 (水)

できないことより、できることを。

今日から2日間、母を預かることにした。退院して初めて。実に2ヶ月ぶりの来宅になる。ちょうど2ヶ月前の今日、認知症の症状が著しくなった母の入院検査を控えて、我が家で家族会議をしたのだった。

2ヶ月の入院生活は、下肢の機能をかなり弱めてしまったみたいだ。

病室では、車椅子を使うように指示された。平衡感覚と視覚に障害があるので、転倒や事故を予防するためなのだけれど、そのせいで足腰の筋肉が相当に落ちて、つかまり歩きもおぼつかなくなっている。

病院は、介護施設ではないので、入院中の間接事故は絶対避けたいわけだから、仕方がないのだけれど、2ヶ月は長すぎた。人間のからだって、使わないと覿面に駄目になっていくものなんだな。

実家での在宅介護生活はちょうど1週間。予測されたことだけれど、父には身体的な、母には心理的な負荷がかかっているようだ。いつまでこの暮らしが維持できるのか、時間の問題だとは思う。

父の健康状態がもつか。母の認知能力が失われるか。

「最悪のこと」を考えて、心と体勢の準備をしておく必要があるのだけれど、正直、「二人で在宅で」という選択を受け入れた時点で、「最悪のこと」の想定は予想以上に広がってしまった。

夜間、母の見当職がひどくなり、そのケアで疲労困憊した父が、心筋梗塞や脳梗塞で倒れる。救急の通報をすることができない。母は、父がどうなっているのかが見えず、聞こえず、当然のことながら通報もできない。

運良く、父自身が救急車か私たち姉妹を呼べたとして、昏睡状態や重度の後遺症が残るかもしれない。

いまは父が母の面倒を見ていけることを前提に選んだ生活だ。

だけど、まっとうな感覚の持ち主ならば、生活負荷をかけてはいけない重病の心疾患患者である父が、重度の身体障害と、認知症をもっている母の面倒をみていくなんて、ありえない話だ。

紆余曲折経て、父の翻意を改めるよう説得することを断念した私たちだけれど、こんな超リスキーな状態を受け入れるなんて、正気の沙汰じゃないと、いまでも思っている。「これでいいのか?後悔しないか?」と、自問自答している。答えを出すことは私自身には許されていないけど。

ますますできないことが増えている母を預かると、わかってはいても、心の中で暗い思いが頭をもたげる。

母自身も、日によってコンディションに波があることを自覚していて、ここ数日は視覚認知能力がかなり落ちていることを気にしている。本人は「見えにくい」というのだけれど、筆談ができることを考えると、視力が落ちているのではなく、「見たものを認知する力」が衰えているようだ。要は、「見えるけど、なんだかわかんない」状態ってこと。

そのことも含め、生活自立ができなくなっていることの情けなさ、父に負荷がかかっていることへの申し訳なさで、今日はかなり凹んでいた。珍しく泣きが入っている。状況を考えれば、泣かないほうが不思議。

家に預かってからは、妹も含めてゆっくり話す時間があったのと、心理的にも安心したのだろうが、いつものお母さんに戻っていた。やっぱり、不安とストレスが、コンディションに色濃く影響してしまうのだな。

今朝は、「ババに来てほしくない」「お顔が変だから」と、来宅に抵抗したムスコだったが、保育園から帰ってきて、母に挨拶させると、「やっぱりババ泊まっていいよ」とご機嫌が直った。

4歳のこどもにしてみれば、からだも言語も不自由な母は、奇怪な存在に映るのかもしれない。こどもは正直だし、ある意味残酷だから。「そんなこと言うもんじゃありません」とは言いにくいものだ。言論統制には何の意味もない。感じることは仕方ないんだから。

6歳のムスメは、倫理的に「そんなことは言ってはいけない」ということはわかっているから、お姉さんらしくムスコを諭し、たしなめる。そのようすに、頼もしさを感じる半面、「そんなに無理しなくてもいいよ」と、内心思う。「言ってもいい」とは言えないものの、まだ理解できなくて当然。

そいでも、会えば、多少ヘンな行動はあったとしても、いつものババとして受け入れられるのだから、子供にヘンな小理屈は不要なのだ。異質なものでも、慣れれば受け入れることができる。

それから、もうひとつの発見。

大人は「できないこと」「できなくなってしまったこと」に眼と気持ちを奪われるが、こどもは「できること」にしか興味がないということ。チビたちは、最初から多くを期待しないから、ろくに文字が読めないと思っていた母と筆談ができることを素直に喜び、「なんだ、ババ、ちゃんと字読めるじゃん」と褒める。

食事の作法が乱れることを恥じる母に、(聞こえないことは忘れているが)「上手に食べられてるよ」と声をかけるムスメ・ムスコに、深謝。こどものほうが、眼が開かれているのかも。

オットは、わざとなのか、それとも最初から視界に入っていないのか、自分からは母に話しかけることはしない。もしかしたら、「家に連れておいで」というのが精一杯の思いやりで、本当は、どう接していいのか一番わからないのがオットなのかも。そう思うと心中複雑だ。

母を一時的に預かることで、父の心身の負荷も軽減されるし、母も少しリフレッシュできると思っている。この暮らしを少しでも続けさせてあげるには、必要なサポートだと思っている。

が、本当の本当の正直な気持ちを書くと、少なくとも、この綱渡りの生活を続けていくことは、私のなかで潜在的な「緊張感」がずーっと続くことを意味する。そのことによる「疲れ」は、自覚している。

時々、ちょっとした地震みたいに、意味もなく大きな声を出して歌ったり、叫んで気持ちのバランスをとりたくなることがある。

言っても仕方のないことだけれど、屈託のない生活が恋しいな。

犬の調子が悪いからなのか、ちょっと今日は弱気の虫モード。

できないことより、できることを。

今日はこのことを胸に、おやすみなさい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年12月 1日 (月)

アドベント・カレンダー

今日から12月。は、早すぎる…。今年はいろいろ厳しい年だった。

きっと来年も何かが劇的によくなることはないだろう。それでもあんまり悲観していないのは、自分の精神が相当屈強になったせい。と思おう。

で、12月といえば「アドベント」。

ティピカル・ジャパニーズな私としては、クリスマスも花祭もいっしょくたなんですが、こどもができてからは、この「アドベント」期間は好きxmas

キリスト教でも、宗派によって「アドベント」の期間に関する定義は違うみたいだけど、「クリスマスチックなムードが好き」というレベルの私どもには、イコール、キャンペーン期間という感じですね。

去年は保育園ママ友からいただいた、モロゾフのアドベント菓子、今年は自分で買いました。いままさにオットとムスメムスコが帰宅途中で買っている頃だと思う。

2007_1209diary200710200011 これは去年の。

ランダムに配置された25コの窓を空けると、ひとつの部屋に2個ずつ、チョコかキャンディが入っていて、クリスマス当日まで毎日楽しめるというもの。こども2人の家にはちょうどいいんだな、これが。

心躍ることの少なかったこの1年を、せめて、温かく、楽しい気持ちで締めくくれるように、この1ヶ月はおおらかにすごしたいもんだ。

でも「どっちが小窓を開けるか」で毎日ひと悶着あるんだろうなぁ…coldsweats01

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »