「私は母を金で捨てた。」
のっけから強烈なフレーズだけれど、佐野洋子の言葉を借りれば、今の自分の心境はこれに尽きる。(「シズコさん」より)
年末ぎりぎりまで、コンペが重なってひいひい言いながら今日を迎えた。仕事納めが例年にくらべて数日早いから、その分追い込みも厳しく感じる。景況に予断を許さないいま、来年のスタートを少しでも気安く切りたい、という思いから、少し無理をしてコンペ仕事を引き受けた。
時間を十分刻みでやりくりしながら、数本走らせる切羽詰った状況のなか、実家の父からはSOSのメールや電話が相次ぐようになった。
入居を間近に控えた母の心身のコンディションがかなり悪化しているという。「早く入所したい」と泣いてみたり、数十分するとケロリと忘れたり。かと思えば「あなたは厄介払いするのね」と父を1時間にわたって詰問するらしい。夜の粗相や見当職障害もひどくなっているらしい。「俺のほうがおかしくなりそうだ」という悲鳴にも似た訴え。
状況を察して、施設担当者には無理を言い、年末の忙しい時期にアセスメントをしてもらい、すぐにでも入居に入れるように算段したのだけれど、それも待てないほど切迫しているようだ。本当は、私が駆けつけて母とゆっくり話をするか、引き取って、家で不安を和らげてあげるのが一番いいことはよーくわかっている。
それなのに、今自分が置かれている状況と、母の状態を考えると、それはほとんど不可能だ。コンペをあきらめ、来年のことはいったん置いておくなら話は別。子育てに介護が加わったことで、いったん引き受けた仕事を断るという選択をすることの代償は小さくない。ましてやこのご時世。「できることはやっておく」という姿勢を崩す勇気がない。仕事のよしあしではなく、所詮、自分も自転車家業の事業主でしかないのだから。
でも。
心臓病に苦しみながら、認知症の母を介護する父の苦しみも、母の不安を緩和してやることよりも、自分たちの日銭を稼ぐことに腐心する自分の姿を客観的に思うと、「なにやってんだ」と思う。
自宅で仕事に追われている時なら、いったん仕事の手をとめて、PCのキーボードを叩いて、母をなだめる手紙を特大のフォントサイズで出力し、実家にFAXを送る。これでも多少は気持ちを切り替える効果はあるらしいから。気休めだとしても、何もしないよりはまし。
ところは今週は、プロポーザルを徹夜で仕上げて朦朧としている朝方や、プレゼンに向かう電車のなかでも、時と場所にかかわらずメールや電話が来る。父ももう疲労困憊なのか、かなり混乱している。「おまえたちに迷惑をかけたくない」とは言うけれど、行動は裏腹だ。当たり前だけど。
かと思えば、クリスマスの夜は、母とひさしぶりに語らったもようを伝えたくて、電話してきた。以下、抄録。
父「クリスマス、おめでとう」
母「おめでとう」
父「今年ももうすぐ終わりだね。年があけたら入所するけど、申し訳ない。俺も長くないから、先に逝ったらあなたを迎えに来るから寂しくないからね」
母「迎えにって、どこに迎えにくるの?」
父「(苦笑)まあ、いいや。じゃあ、もし次に生まれ変わっても俺と結婚したいと思うかい?」
母「(にやりと笑って)しょうがないわよねぇ。ほかに一緒になれる人いないじゃない」
みたいなことだったそうだ。父は話しながら笑いながら泣き、私も黙って聞きながら笑い、泣く。少し前までは、こんな話を父から聞くのは我慢ならなかったのに。
今は、少しずついろいろ忘れ、モザイクのような時間と記憶のなかで不安におびえ、時々ほほえましいほど可愛くなる母を見つめながら、体と心の葛藤に苦しむ父の苦しみをも思い、一緒に泣くしかないんだということを身をもって知った。その思いを、こんどは妹に話す。妹もやはり、同じところで笑い、泣く。一緒に泣くしかできない、暖かい痛み。それは明らかに苦しみではあるのだけれど、話の最後は「こういう家族でなかったら、耐え難く、乗り越えられない悲しみだけれど、少なくともこの家族でよかった」という思いで満たされる種類の、奇妙な悲しさだ。
心が千々に乱れる日々。それらをなんとか取りまとめて、「自分の生活」を守る推進力に変えようとする試み。40歳を目前にした中年の私には、やってできない課題ではないけれど、それでも、ときどき、たまらなくなるのだ。たまらなくて、夜中、布団のなかでだけ泣く。涙は感情の排泄なのか、泣くと少しだけ、気持ちが落ち着いて、あとは眠れる。
普通の生活を崩さずにいようとする自分が。自分の暮らしかただけは守ろうとする自分が。平気な顔で仕事相手と談笑し、明日の飯の種を獲得するために、苦しむ親のケアを後回しにする自分。わが子のクリスマスを祝うために、実家に緊急ヘルパーを送り込む算段をする自分が。偽善的で、酷薄な自分の本性がどこまでも追いかけてくる。
夫や妹、夫の母や親しい友人はみな、誰もが「施設に入れることを後ろめたく思う必要はない」と言ってくれる。「仕方がないんだ」とも。実際問題、私が母をひきとって、在宅介護をしながら働いていくことはきわめて難しい。あれこれもっともらしい理由をつけなくても、無理は無理だ。
だけど、それが何だというのか。私は金輪際、誰に責められることがなくても、自分の心を知っている。私は母を引き取って看取るつもりがない人間だってことを。「こどもにだけは迷惑をかけたくない」という親の意思に乗じて、わが子のためには仕事も暮らしも変えることができるのに、自分の親のためにはする気がないってことを。
あんなにも大好きな親だったのに。あんなにも愛しんでもらったのに。
「私は親を金で捨てた」という、佐野洋子の言葉が胸に刺さる。自虐的な意味ではなく、親を人の手にゆだねざるを得なかった経験のある人、親の介護に直面することができなかった人は、大なり小なり、胸に抱えて生きている思いだろうと思う。どんなに奇麗事を言っても、本質は変わらない。真実はひとつだから。その痛みを抱えて生きていかねば。母一人だけが、周囲の都合に押しやられて生きていくなんて変だもの。
クリスマスプレゼントに、母に「ちいさなあなたへ」という絵本を贈った。
文章の少ない、翻訳ものの絵本。偶然、町の本屋で立ち読みして、不覚にもボロ泣きしてしまった本。いま、私が、母に届けたい思いがすべてがつまっている本。目も耳もだめになり、言語コミュニケーションの力が極端に低下している母だけれど、だめな娘の私が、精一杯の思いで言いたいこと、「お母さんの子供でよかった」「この家族に生まれ育ってよかった」という思いだけは伝わって、と祈りながら。
もうすぐ、父のことも、妹のことも、私のことも、わからなくなる日が来るだろう。その日が来る前に、間に合うならば、許されるならば、「非道い娘だけれど、それでもお母さんを心から愛しています」と言ってもよいだろうか。こんな私が、許される日が来るんだろうか。
そんなことを思いながら私は毎日、飯の種を手に入れるために、携帯に送られてくるメールに目を通し、携帯を閉じて家を出、移動中に電話尾かけ、くたびれ果てて帰宅し、子供に夕食を食べさせ、夜半まで仕事をし、泥のように眠り、朝の戦争に臨む。助けを待ちわびる父母の長い1日と、私の短い短い1日はこうして軋みながら過ぎていく。
後ろめたい気持ちに蓋をして、今年1年の仕事が終わった。
1月3日、母は施設に入る。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)



最近のコメント