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2008年11月28日 (金)

なぜ日常のディテイルにこだわるか。

bananaよしもとばななさんの日記が好きで、時間が許せば読んでいる。

大人になって、それも30代後半になってはじめてきちんと読んだ作家が2人。それが、村上春樹とよしもとばなな。前はどちらかというと、苦手だったかな。

相当にメジャーで今日的な作家なのに。特に心が向かなかった、というのが最大にして唯一の理由なのだけど、もしかしたら「ミーハーっぽい」というイキがった、へそ曲がり根性が、手に取るのを遠ざけさせていたのかも、と思う。

こどもを授かって、親が老いて、自分が「あたりまえ」だと思って生きて見てきた世界が一転して、というか反転したように感じることが多くなったからかなぁ。なんていったらいいんでしょうか。

生身の私も、身の回りの世界も、なにひとつ事実として変わったわけではないだろうに、私の認識というか、感覚はちがうものになった感じ。

別に、何の宗教体験も精神世界も経ていないけれど、「いままでの私の人生」が、遠いところにあるような、彼岸にあるような感じといったらいいのか…。

こうやって文字にすると、かなり神秘とかオカルト趣味っぽくなってしまうのは、文章力とか表現力の問題だな。うう、痛い。

で、そういういまの私にとっては、村上春樹やよしもとばななは、なぜかするりと飲み込めるようになった、というか、求めるようになった2大作家なのであります。

なんつうか、味覚が変わったというのか。別においしいと思わなかった「水」を、飲み物として旨いと感じるようになって、もう味つきの飲料は買わなくなった、みたいな感じだ。体感として抵抗がなくなった感じ。

それで、本題。

よしもとばななの日記をひさしぶりに読んだら、11月3日付の記事に、パトリス・ジュリアンに関する記述があって、とても面白かった。無断転載・リンク不可なので、要約のみ。詳細はご本人のサイトを見てください。

「あそこまで徹底して楽しもうとする彼の姿勢についていけなくなった人もたくさんいる。でもそのくらい根性入れて臨まないと人生は美しくない」「美しく楽しく生ことはレジスタンス」みたいな内容です。

私も彼の本を2冊だけ持っている。今でも開くのはそのうち1冊のみ。ル・クルーゼを使ったさまざまなフランス料理のレシピ本(ムック)。

「オリーブ」創刊と同時代に10代をすごした身としては、フランス人の暮らしに対する誇りと情熱(「art de vivre」 っていうんですか?)には多大な影響を受けた世代だと思う。「輸入生活雑貨ブランド」というカテゴリが勃興する時期ともリンクしていると思うし。

親も、食器や衣類、日用雑貨を「使えればなんでもいい」というタイプではなかったので(唯一例外は住居。最期まで「資産価値」という言葉を無視しつづけた)、「生活・人生における美しさの追求」という考え方そのものは肌なじみがいい。

PJ的な「素敵生活」は、若いときにはちょっとはまったこともあったのだけれど、30すぎたくらいから「私には無理」というか、「何もそこまで」というか、「まんまやったら恥ずかしいでしょ」的な感情がもたげてきて、自然と興味が薄れた。こどもができたことで、生活における「機能性」「合理性」の価値が急上昇したことなども関係しているかもしれない。

でも。

激しくお金や時間がなかったとしても、暮らしのディテイルに凝る(エネルギーを割く)ことを捨てることはないだろうと思う。

センスがいいとか、おしゃれとか、そういうことではなく。他人の眼にどう映るか、生活水準をどう高く見せるか、とかいうこととは別に、自分の暮らしに、自分の感性と技量によってどう責任をとるか、ということが重要なのだと思う。

「美しさ」や「楽しさ」という要素を、贅沢な、余剰のたまものと思うか。それとも、そういう日々の感動を、大小にかかわらず、生きていくうえで欠かすことのできないエネルギーとして考えるか。

日々をよく生きることは、人生を良く生きる情熱につながると思うから、細部をないがしろにしない(ないがしろにしたくない細部は何かについて自覚的でいる)ということは、とても重要だと思う。

って、たいそうなことを書いたのは、「こんなもの買っちゃいましたbleah」を正当化するためでス。すいません、オット。それもこれも、佳く生きるためっすよ。命の源泉。(そろそろ源泉徴収の時期だ)。人生に仕事にとがんばりますので、ひとつよろしく。

2008_1124diary200809080131 横山拓也さん作の陶器。

いびつで味があるのに洗練されている。羊羹をサイコロ形に切って少し盛ったり、イチゴを盛ったり、香の物も合う。お抹茶にも。

2008_1124diary200809080132 イイホシユミコさん作の磁器。

大中小の入れ子になっていて、写真で見るよりずっと繊細な質感。予算の都合で大・中セットで2客求めました。もうひとつは柄違いで刷毛目。こちらは飛カンナみたいな柄。刷毛目のは品切れで後送してもらいます。でも、ほんとはこっそり小もほしい。蕎麦猪口みたいでいいんだ。

この2つは、新国立美術館のミュージアムショップ併設のギャラリーで催されていた作家展にて即買いしてしまったもの。ピカソ展を見に行った帰りでした。何しにいったんだか。

なべのシーズン、取り皿にもなって、盛り鉢にもできて、ついでに茶器にもなるような(そんなもんあるかね)をずっと探していて出会った。とっても気に入っています。

2008_1124diary200809080133 こちらは到来もの。(ラッキーです)

自分で買ったものではないけど、すごく気に入っています。知人からのプレゼント。なんと「ヨーガン・レール」のもので、釉薬に銀が入っているので、この独特のやわらかい輝きになるそうです。陶器なのに薄手で、アイスの飲み物や先付のようなものにも合います。

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2008年11月27日 (木)

「あなたのために」

犬の状態が落ち着いてくれたー。

すり潰して粉末状にした消化器官修復剤を、ポカリスエットにまぜてスポイトで無理やり飲ませたり、が奏功したのかな。

深夜、仕事の会食から戻ると、表情に生気が戻っていて、体調が回復しているのがひと目でわかった。相当おなかがすいているみたい。

ためしに、スープを少し与えてみる。

連休に仕込んでおいた、畑の大根とスペアリブの塩煮の煮汁。

大根とスペアリブを塩と水で煮込んだだけのもの。一晩外においておくと、表面をぎっしり厚さ5mmの脂が覆っている。クリーム状のそれをお箸で取り除くとお茶碗一杯分にもなるけれど、スープはとてもクリアでおいしいのだ。だしがよく出て、旨みは深く、刺激がないので、体が弱っているときには最適。

ふだんは犬には塩気のあるものは与えないのだけど、大匙1杯くらいをお湯で薄めて出すと、白目をむいてぺろりと平らげた。48時間絶食状態だもの、おなかも空きますわね。

でも吐かないし、催促で眼もきらきら、じゃなかった、ギラギラしている。ほっと一安心。

そういえば、母のためにぜひ、と辰己芳子さんの「スープ」の本を買っておいたのだったと思い出す。高齢で嚥下障害を持っておられたお父上のために、丹精こめてスープを作ったというところに特に感じ入って、「あなたのために」を買ったのだった。

あ、もちろん、完全なる手抜き料理である自分のスープを並べて語るなんておこがましいことこのうえないのだけれど、消化に余分なエネルギーを使わず、食べ物の栄養とおいしさを引き出し、封じ込めたスープは、ワンコの元気までも養ってくれる。という事実に、あらためて気づかされた次第。「やっぱり、からだとこころに滋養たっぷりのスープというのは奥が深く、力強い世界だなぁ」と思った。

思えば、いきものの命をつなぐのは、なんといっても液体なのであった。母乳にはじまり、離乳食、そして病弱なときのスープやおかゆ・おもゆ、そして年老いてからの栄養食…。

母も、耳と眼がだめになったいま、嗅覚と味覚は逆に鋭くなっていて、ちょっとした匂いや味の変化にも敏になった。資格連合野の障害で、挙動の制御がうまくできず、食器から上手に食べ物をクチに運ぶのが難しかったり、嚥下障害が出始めていて、麺類をすすったり、乾いたものをクチに入れるとすぐむせてしまうのだけれど、スープならその心配も少ない。

おいしくて、栄養があって、舌も心もおなかも満足できるものを、届けたいとおもって「あなたのために」を求めたのだったけれど、犬のこともあってガゼンやるきがでちゃった。

幸い、新鮮で香り高い野菜はたくさん手に入るし、一度にたくさん作って作りおきやおすそ分けもできるから、食材も無駄にならないし。スープなら、寒い朝の朝食にも、夜食にもいいし。

「あなたのために」と願いながら、心を込めて、手をかけて、美味しいもの、温かいものを作るっていうのは、いいもんだなぁ、と思うのでした。

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2008年11月26日 (水)

こんどは老犬介護。

親、コドモと来て、こんどは犬dogの問題勃発。

上のコ(豆柴♀12歳)の心疾患が急激に悪化しつつある。

2008_1124diary200809080124 覇気のないまなざしの姉犬。

今年に入って白内障ががくんと悪化し、夏には心雑音がみつかり…。

たしかにここのところ急に老け込んできたな、とは思っていたのだけれど、この三連休を境に、格段に悪くなった。

食事をまったくうけつけず、水を飲むだけで大量の胃液を吐く。

トイレやキッチンなど、こちらが移動するたびについて回って、オドオドと寄り添う。やたら弱気。

あれだけ眼の敵にしていた妹犬に因縁をつけることもなくなり、力ない眼差しで、部屋の片隅からこちらの様子を伺っているだけだ。

2008_1124diary200809080104拍子抜け気味の妹犬。

うちの犬たちには「健康」のバロメータがあって、下のコ(甲斐♀9歳)は食欲が落ちたらかなりヤバイ状態。

それに大して姉犬のほうは、権勢欲が落ちるとかなり危険。いまは、何をしても無抵抗で、宅配便さんに吼える声にもまったくパワーなし、持続力もなし。

2008_1124diary200809080102PCに向かう私の隣で。

とにかく、水を飲んでは嘔吐。無意識のうちに失禁。果ては粘液上の便まで、無自覚に垂れ流してしまっている。じっとして動かず、息も荒い。

祖父の忘れ形見のハスキーの最期を彷彿とさせる喘ぎに、いてもたってもいられなくて、近くのかかりつけ医に駆け込む。

心臓の状態がかなり悪く、多臓器不全を起こしかけているとのこと。肝臓が腫れ、腎臓も機能しなくなっている(尿が水のように無色無臭)。

飲水に反応して嘔吐を繰り返すので、脱水症状も起こしている。

水は与えず、氷片をなめるようにして水分補給させるよう指示。

リンゲルと降圧剤を点滴され、内服薬をもらって帰宅。

帰宅後も整腸剤と胃粘膜修復剤を処方されるが、受け付けず。

私かオットのひざのうえに乗りたがってみたり、うろうろと落ち着かない。成犬になってからはついぞひざに乗りたがったりしなかったのに。不安なのだろう。

昨夜は、私たちのベッドの上で大量の失禁をしたが、本人(犬)はまったく自覚していない。

今日の午前中も来客があったけれど、その間、うたたねしながら失禁していた。嘔吐も若干あり。

内服薬は結局受け付けないままだったので、仕方なく、今日も獣医に連れて行き、背中に注射してもらう。

リンゲルに近い成分ということで、ポカリスエットを試すよう促される。

今週はオットが撮影でずっといない。幸いにも、私は在宅で済む仕事のみ(今晩だけは、商談をかねた会食があって外出するけれど)。

状態は、いつ急変してもおかしくない状態だそうだ。

血液を拍出する弁膜がイカレはじめてて、時限爆弾を抱えている状態。

状態が落ち着くまでは、長時間眼を離すわけにはいかないので、オットとシフトを組まないとだめそうだ。

犬なのだから、覚悟はしていたけれど、まさかこんなに急に、早く悪くなると思わなかったな。せめて長い苦痛を味わわせるのだけは避けてやりたい。安楽に、穏やかに。

命あるものは、いつか必ず旅立つ。そして犬は「悲しみの動物」だもの。ムスメムスコにも、どこかで覚悟をしてもらわないといけない瞬間が来るだろうと思う。親として、飼い主としての覚悟も必要だ。

なんて、まだ死ぬって決まったわけじゃないけど、「万が一の連絡体制」を先生とオットと話しあっていれば、それも仕方ないこと。

今年もあと1ヶ月と少し。まだ終わっていないけど、なんだか、急転直下、いろんなことが押し寄せてきた年だ。来年は私も四十路。

こうしていろんなことが、いろいろに起こっていく時期にさしかかったんだろうなぁ。

2008_1124diary200809080097ガンバレヨ!

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2008年11月25日 (火)

土と舌。

久しぶりに、家族そろって畑へ行きました。

最期に行ったのは、夏の収穫時期だったから、ずいぶん前のこと。

この間に、いろんなことが一変してしまった気がしたけれど、そして元通りに戻ることはできないのだけれど、とにかく今日も、私たちはあいかわらずな感じで生きている。野菜も季節を越えて、元気に育っていた。

きゅうり、トマト、ナス、ピーマン…。夏野菜はすっかり秋冬野菜に様変わり。棚がなくなった分、視界が開けて、広く感じる初冬の畑。春から飼育していた豚くんは、秋口に食肉となり、飼育小屋は空っぽだった。

2008_1124diary200809080193 見通し抜群!の冬の畑。

畑は大豊作。20畳ほどの畑では、人参、大根2種、蕪、白菜、キャベツ、水菜、小松菜、春菊、ルッコラ、カリフラワー、ブロッコリ、長ネギが収穫を待ちわびておりました。(うち、いくつかはすでに食べちゃった)

オットの野菜は、本当に天下一品の出来で、もう、どんなに高級だったり、有機栽培だったりの野菜が手に入っても、絶対にかなわない。香り、歯ごたえ、みずみずしさ、旨み、すべてがすばらしい。(キビシメに書いておくと、夫が丹精込めた成果であるだけでなく、農園主が代々天塩にかけて培ってきた土壌や、独自の農法などの賜物だろうと思います)

典型的な都会っ子のせいか、土や地虫が大の苦手だった私。「土着」とは無縁の生活。自分の手で土をいじり、虫を取り除く体験なんて、絶対ないものと思っていた。

母親がこんなありさまだから、ムスメも幼児期は、土や泥の感触を嫌がって、積極的に触れようとはしなかった。親の無言の影響って、恐ろしいけど。

ところが、去年あたりからか、とっても生き生きと楽しむようになった。作物を育て、その様を観察し、収穫していただくまでをひとつながりで体験したからかもしれない。

今じゃ、自分の手指で土を掘り返し、人参や大根を手づかみで抜き取り、農園の水道で泥を洗い落とすと、蕪や人参に皮ごとかぶりつく。

2008_1124diary200809080188 サンドイッチで休憩。

せっかく洗った野菜を、ムスコがぽとりと地面に落とすと、ささっと拾い上げて、ジーンズで土をこすり落とし、何事もなかったかのように齧る。「おー。たくましいなぁ。」と内心思いながら眺める。これ、他の人にはその変身ぶりはわからないと思うけれど、同じこどもが(そのように仕向けていないのに)こんなに変わるものなのかと驚くものなのだ。

余談だけど、私にとっても畑体験による影響と変化は相当大きい。私も素手で土いじり草むしり(苔とか虫とか、絶対触れなかったのに!)もOKに。有機野菜の宅配で、虫つきの野菜が来ると一瞬ひるむのは、今も変わらないのに、畑で、土に触れて、葉っぱや地面の虫に触れるのは気にならない。それが不思議だ。

あ、ムスコはこの場合完全に除外。オットはいわずもがな。

2008_1124diary200809080172 ただいま人参と格闘中。

「甘ーい!」「おいしい!」「これも食べてごらん!」と、熱心に味見しあうムスメムスコ。間引いたチビ人参や、チビ蕪もガリガリ、もぐもぐ。「甜(てん)」という字がふさわしいような、自然な甘み旨みは、こどもにとっても未知の味覚体験なのだと思う。そんな感じの喜び方。

農業体験が、現代っ子の鈍った感性を呼び覚ますとか、そういう直截的な「成果」の有無はよくわからないけど、少なくともうちの場合は、ちびっこたちはもちろんのこと、母親にも、大変な、うれしい心境の変化をもたらしてくれている。

この日、こどもたちはとてものびのびと、楽しそうにすごしていた。こんな表情は久しぶりだなぁ、と思った。こんなことなら、もっと連れてきてやればよかった。

2008_1124diary200809080176 立派なブロッコリ。

土の感触を手で味わい、野菜のおいしさを舌で味わい。そうしているうちに、自分もゆっくりと育まれている感じです。

ムスメのことで、ずいぶん思い悩むことが多い私(その原因はほとんど私自身に問題があることばかり)だけれど、育てよう育てよう、と気負いすぎてばっかりだったみたい。

オットいわく、「野菜は育てるもんじゃなくて、育つ手助けをするだけらしいよ(受け売り)」ということだが、言いえて妙。

手のかけすぎ、肥料のやりすぎには、くれぐれも注意せねばね。

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2008年11月21日 (金)

4歳の誕生日、おめでとう!

今日はムスコの4回目の誕生日。

4年前の朝9時に、吸引機の力を借りて「すっぽん!」と生まれた彼。

食欲たっぷり、体重たっぷり、愛嬌たっぷりの赤ちゃんだったのに、いつの間にか、りっぱな男児になろうとしています。

煩悩いっぱいの「お姉ちゃん」に比べ、かなり楽天的でお調子者の彼。

同じ親から生まれ、同じ食べ物を食べ、同じ空気を吸って育っても、ひとってこんなにキャラクターがちがうのね…と思うくらい。

彼については、ほんとに、悲しい記憶や辛い思いが少ない。楽しい思い出や笑いのほうが思い起こされる。それもこれも、親の不慣れと緊張の度合いが生んだギャップなので、ムスコのことは、素直に、言葉の本来の意味において「安心」している。気をつけないと「あなどる」「おろそかにする」ことにつながるけれど、過大な期待や気負いがない分、彼は気ままに暮らせるのでしょう。

とにかく、健康で、朝は爽快に目覚め、夜は穏やかに眠気が差し、家族と一緒にすごすのが楽しい!という日々を送ってほしい。願いはそれだけ。

ムスメにも同じことをしてやれていなかったことは、昨日の反省の通り。ムスメもムスコも、同じ親から生まれ、同じものを食べ、同じ空気を吸って育つ人間なのだから、余計なことで思い煩うことのないようにしてやりたいな、と思うのでした。

今年は、近所のベーカリーで特注動物サンドイッチ(動物を象ったカンパーニュをくりぬいたサンドイッチ)と、自家製バースデーケーキで、ささやかなバースデーパーティをする予定。ケーキのデコレーションはムスメ。プレゼントはオットが担当。プレゼントはもちろん「如意棒」。彼のヒーローは、つねに「孫悟空」なもんで…coldsweats01

探しても探しても手に入らないプレゼントは、オットがやヤフオクでなんとか手に入れました。安上がりな子だね。パーティは明日。今日はいろんな仕込。

でも、とにかく、この1年間の彼の歩みを、写真とともに記録!

2008_0119diary200710200007_2 2008年1月、読書。

2008_0203diary200710200078 2008年2月、雪の日の「五郎さん」

2008_0328diary200710200013 2008年3月、保育園児として最後の日曜をふたりで。

2008_0709diary200710200089 2008年4月、初ターザン!

2008_0709diary200710200182 2008年5月、セルフポートレート…。

2008_0709diary200710200246 2008年6月、洗濯物干し、やる気満々手伝い中crying

2008_0803diary200710200006 2008年7月、炎天下、2人で図面書き…。

2008_0907diary200809080008 2008年8月、侍は「ベルばら」大好き。アンドレの最期…。

2008_0907diary200809080203 2008年9月、仮装じゃないよ、マジ小松帯刀です…shine

2008_1005diary200809080017 2008年10月、馬事公苑「愛馬の日」、一人で騎乗horse

2008_1005diary200809080053そして、2008年11月。全員集合の足。

彼の人となりを記すには、写真が一番。絵にならない、じゃなくて文にならない人なんだなぁ。そんなところも、ムスメとムスコは正反対。

でも、結局仲良しだ。いい姉弟。ずっと仲良くね。きょうだいのいる心強さ、頼もしさは、きっと大人になった頃にわかることでしょう。

本好き、孫悟空好き、歌舞伎(侍)好き、歌好き、ビデオ好き、甘いもの好き、梅干好き、刀好きの●●くん、お誕生日おめでとう。birthday

いつも笑わせてくれて、楽しませてくれてありがとう。

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2008年11月20日 (木)

「反応ではなく存在によって人生を出発できること」

親のことに気をとられているうちに、子どもは苦しんでいた。

学校公開週間だった先週、ムスメの授業参観に行った。忙しかったが、ピンポイントで選んだ授業には目的があった。算数の授業のようすを伺うためだ。

最近、家でゆっくり学あ習のおさらいやケアをしてやれていないこともあって、学校から持ち帰る宿題プリントをチェックするだけだった。学童から帰宅するとクタクタになっていて、集中して学習できないこともあり、「なるべく学童で宿題済ませてきてね」と言い渡してあったこともあり、額をつき合わせて勉強するというよりは、やってきたものを確認する程度、という感じだった。だから、気づくのが遅れてしまった。

あるとき、単純な計算問題ではなく、文章題の誤りと、その修正プロセスにパターンがあることに気づいた。いくつか要素を挙げると、

●問題を最後まできちんと読んでいないため計算式化が間違う。

●計算式化できていても、出題の例示や数字が変わると間違う。

●単純計算問題を数量こなすと、最後に行くほど間違いが増える。

●それらの間違いを手ほどきしようとすると結論を急ぎ話を聞かない。

●「解らなかったら聞こうね」と注意を促すと気分を害する。

などなど。

2学期になって、くりあがりのたし算の単元に入ってからというもの、どうもムスメの表情がさえないとは思っていた。お風呂やベッドのなかでも「最近、勉強がむずかしくてつまらない」とつぶやくことが多くなっていたし。

私自身算数が苦手だったし、おとなになっても克服できないコンプレックスだけれども、その最初のつまづきは、くりさがりの引き算だったのをよく覚えている。でも、ムスメは「算数好き!」と言っていたので、「親子でも違うな」と思ってちょっと安心していたのだった。

ところが、どうも「位」という概念がよくわかっていないらしく、内容が1の位、10の位といった話に及ぶと「パタリ」と脳みその蓋が閉まる音がする。視線も泳ぐし、そわそわするのがわかる。「わかってる、わかってる」と先を急ぎ、話を満足に聞かないうちに答えを出そうとする。本当なら、わかるまでじっくり取り組まないと納得がいかない気性のはずなのに、「いちいち穿り返すな」といわんばかりに、不愉快な落ち着きのない顔をする。

いやな予感がして、これまでの課題プリントなどをめくり返してみると、やはり、計算式の原理まできちんと理解してはいないことがわかった。数字やサンプルが変わると混乱する。パターン化した流れ作業で問題を解くので、トンチンカンな数字が数式に紛れ込んだりしている。正解のほうが間違いより多いし、実際にできていることもあるので、あまり気づかなかったのだけれど、やっぱり、腑に落ちてはいないのだ。

現在の小学校の算数の教え方は、私の記憶を頼りにするかぎり、かなり進化していて、非常にロジカルに構築されていると思う。大人がみると「なるほど、これはわかりやすい」と思うし、自分の子供時代に編み出されていればよかったのにーと思うくらいだ。ただし、学校でどのように教えているのかを確認してからでないと、かえって混乱の元になると思ったので、「どんな風に教えているのか」「どんな風に解いているのか」ということと、ムスメが学校の授業をどのように受けているのかを参考にするつもりで行った。

わたしの予感は的中。

出題されて、嬉々として問題を解いては、我先にと挙手して応えようとする児童、わかっていないけれどふざけて挙手する児童、時間がかかっているのかマイペースで黙々と解き続ける児童…。そのなかで、ムスメはキョトキョト、おろおろとあたりを見回しては自分のプリントに目を落とし、最後は伸びをするように見せかけて、となりの腕白な男の子のプリントにちらと眼を見やる(後ろからちゃんと見えてるよ)。そして、自分のプリントに何かを書き付ける。その繰り返し。

ムスメのことだから、自分でも「私、わかってない」ということくらい自覚してるだろうし、「わかってないことを、知られたくない」と、必死で虚勢を張っているのが痛いほど解る。周りの子達が、すばやく、元気よく解いては挙手するようすを見ながら、きっと自分は椅子の下に沈みこんでいくような思いでいるんだろうなと思うと、切なくなる。

家では「わからない」「難しい」ということは実はめったに言わない。むしろ、私たちには自分の力不足なところや、間違いを隠そうとするところがあるから、今までも本当は、想像以上にしんどかったんじゃないだろうか。そう思うと、かわいそうでもあり、情けなくもある。きっと、学校でも自信がなかったんだろうな。

後日の面談で、先生にそのことを伝えてみた。ベテランの先生はよくお見通しで、すべてに同意してくだり、学校での様子も具に教えてくださった。いわく、

●授業中もボーっとしていることが多く、教壇から生徒みんなに呼びかけている内容も、ムスメの脳髄には届いてないだろうこと

●わからないことをわからないままにしてはいけない、ということは再三伝えているのだけれど、たぶん自分が「何について」注意されているのか、腑に落ちていないだろうこと。

●自信がないので、授業中もほとんと発言せず、解ることよりも、できない辛さが先に立って気が気でないこと

などを教えていただいた。先生はその理由を、ムスメの学齢に求める。

ムスメは3月下旬生まれ。クラスでもっとも遅い。先生の持論として、学齢期の遅れによる理解度・習熟度の影響は、早くても2年生いっぱいは無視できないとのこと。ムスメの場合は、からだの発達もよく、意思表示もわりとはっきりしているので、言うまでは3月生まれだとわからないくらいなのだが、ここにきて、その発達差が大きく現れてきているのだという。

特に、一番仲良しのおんなの子が4月生まれで、勉強も生活自立性格の面でもたいへんによくできた、とてもいい子なのであるが、その子とのギャップの開きに、焦りと不安とおもしろくなさを感じているのではないかということ。

要するに、内面がまだかなり未熟で幼いということなのだそうだ。

しかも、ムスメの挙動でずっと気になっていたこととして、お友達に非常にキツイ口調で叱責したり、誤りを指摘したり、思い通りにならないと捨て台詞を吐いて否定したりなどがあることも教えていただいた。

素直に自分の弱いところ、困っているところを認めてヘルプを求められないところ、周囲の間違いを見逃さずに高圧的に接するところを考えると、非常に自尊心が高く、自己能力に対するイメージが高い一方で、実際の能力との差を受け入れることができず、「私はこんなはずじゃない」と必死にもがいている感じか。

学齢の低さゆえ、前半期に生まれた子たち(いま7歳)よりも、情報処理能力は劣るのは仕方のないことで、ある程度まではまってやるしかない。それまで「自分は自分」と思えるような見守りがあれば、自然と内的な葛藤は解消されていくはず、というふうに先生はおっしゃっていた。

情報処理能力の幼さに比して、感受性が鋭すぎるアンバランスさが、みんなとの歴然とした差はわかっているのに、自分の能力の実際に対する認識が足りないゆがみを生み、「こんなはずではない」という焦りや不安につながっているのではないか、というのが先生の分析だ。私もかなり的を射た指摘だと思って聞き入った。

「まずは、精一杯に虚勢を張っていないと崩れそうになるくらい気持ちがいっぱいいっぱいだということを理解して、ほかの子より半周遅れているんだという気持ちを、親ももつことで、少しずつ気持ちにゆとりができてくるのでは?」「それでいい、できなくても、失敗してもいいという雰囲気を作りつつ、できないことにはあまり触れないという配慮も必要では」ということだった。

先生の話を聞き、私の頭にたくさんの心当たりがフラッシュバックする。

ムスメは、ちょっとした失敗や失言の時、私たちの顔色をうかがう。取り繕おうとして隠したりうそをつくこともある。私がちょっとシリアスな顔で考え事をしていると「怒ってる?」と聞いてくるし、どこかに出かけた帰り道は「いい子だった?」とたずねてくる。

一方で、怒りに限らず感情表出のしかたがとても下手で、うれしいと必要以上にはしゃいで浮き足立って、親に無断でお友達に大盤振る舞いしてみたり、自分の父親を「たたいてもけってもいいよ」と友達の前に差し出してみたり。

意地悪や嫌なことをされたときに、ふつうに「やめて」と言うことができず、じっと我慢していて、突然「いやだってば!」と睨んだり…。小さい頃から保育園に通い、社会性も身につけてきていると思ったのに、なぜ?なんて思っていたけれど、原因はひとつだ。

私たちは、ムスメかわいさのあまり、過大な期待をかけ、心配をして、ムスメの一挙手一投足に注目し続けてきた。気をつけなければ、と思いながらも、とても厳しく接してきたんだと思う。一方で、がんばって何かを達成したとき、分担した役割を立派に果たした時には「さすが」と言ってはほめて。

ほめるのはかまわないけれど、きっとムスメは「失敗したら怒られる」「がんばったらほめられる」「がっかりさせないようにしなきゃ」と、必死でがんばってきたんだろうと思う。

がんばりやのムスメはかわいいけど、結果を出せないムスメはかわいくない。

そんなこと考えたことなんてこれっぽっちもなかったけど、きっと、私たちの「もっとできるはず」「がんばりやだねー」「えらいねー」という褒め言葉は、ムスメにとっては自力で降りられない樹上へ追いやるものだったろう。「できない」「まちがえた」「もういや」と泣き言を言わず、必死でがんばっているムスメの心中をわかってやることもなく、「もっと、もっと」と追い詰めてしまったんだろう。

家では「お姉ちゃん」。学校に行くと、みんなにどんどん水を開けられていく「3月生まれ」。そのギャップに、必死で持ちこたえようとしていた娘のことを思うと、本当に申し訳なさでいっぱいになった。

毎日、小さな体(家で見ていると大きな体に見える)に、大きなランドセルを背負い、教科書をぎっしりと詰め、たくさんの持ち物を両手にして「行って来ます」と出かけるムスメが、外でどんな思いをして生活しているのか、もうちょっとわかってやればよかった。

先生はきっと言外に「お母さん、お父さんも、少しゆったり待ってあげて」ということをおっしゃりたかったのではないかと思う。子供の口調は、そのまま親のコピーなのだから、そんなのお見通しだろう。

保育園の年長時代に、ムスメのしんどさに気づいて対処し、やっと自信を持ち始めた矢先だったのに、小学校に入ったとたん、また大人扱いしてしまった。勝手な親だ。かわいそうなムスメだ。

昔学んだ、精神分析家のウィニコットの言葉を改めて思い出す。

人間は、「反応ではなく存在によって人生を出発することができる」ことが大事なのだ。

それと意識しなくても、条件によってではなく、居るだけでいい、元気なだけでいいと願った、親になった最初の日のことを思い出さねば。手遅れになる前に。私たちがどれだけムスメのことを愛しているか、感じてもらえるように。

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「灰になるまで燃え尽きる」

大変な修羅場を経て、介護施設への入居は見送りになった。

「自分はなんとしても自宅に残る。母が拒むなら、単身入居でもなんでも好きにすればいい」という父の言葉で、すべての努力が瓦解した。

二転三転、紆余曲折、右往左往、七転八倒…。土壇場になって、入居に抵抗を示した父の翻意に翻弄され、いわれのない不信感でひどい言葉を言われ、私も妹も「売り言葉に買い言葉」で全人格を否定するような、痛烈極まりない批判をし。ふつうの人間関係ならとっくに絶交、どころか訴訟とか、悪くすれば刃傷沙汰になってもおかしくないくらいの険悪なムードに。

10月頭の認知症騒動に端を発した、この入院生活+入居先探しの2ヶ月。緊張と疲労もすでに極限状態にあった。日がな一日病室で、ただひとり車椅子に座ってすごすしかない母。身の振り方が決められなくて、完全に冷静な判断力を失ってしまった父。転職間もない仕事に追われ、心身ともに疲労困憊の妹。そして、調整に次ぐ調整で東奔西走するも報われず、むしろ老親を施設に押し込む策士として反感を買う私。ストレスで緊張が高まるこどもたち。もはや限界でした。

絶縁状にもちかい内容の手紙を父に送った私たちは、その勢いのまま、母を近所の施設にひきとって2人で面倒を見ていくことまで決意し、施設も見学までした。その結果、「理想的な施設」は見つかったけれど、そこではたと気づいたことがあった。

「聞こえない、見えない、歩けない(けど、まだ頭はしっかりしている)」母は、どんなに近くて、よい環境の施設に入ろうと、24時間のほとんどを音も会話もない状態で、孤独のうちにすごすしかない。私たちとの同居は最後まで拒み(自尊心が強い。それだけで生きている人だから)、一人で大丈夫だと言い張るけれど、きっと、あっという間におかしくなってしまう。

理性的な判断を欠き、煮え切らないまま事態を引き伸ばし、最後は逆切れしてしまった父への、母の怒り、落胆、失望は大きい。私たちも同じく、疲れ、気力が萎える。

が、勢いに任せて「母の単身入居」という選択肢をとってしまって、本当にいいのか。意地で断絶して、本当にいいのか。それで、母の余生は幸せになるのか。よくよく考える。

すると、これまで、父の苦労や努力をまったくねぎらってこなかったことい思い当たる。スーパーストロングな、気丈な母の立ち居振る舞いは、本当なら家族みんなから労わられてもおかしくないほど、大変な苦痛をしょっている心臓患いの父の辛さをかき消してしまう。

私たちも、父に「たいへんだね」「よくやっているね」と労いの言葉をかけることなどついぞなく、「お母さんに甘えている」「自分だけ大変だと思っている」などと心無い評価をしてきた。母の余生のために、父の余生を犠牲にしても当然、という物言いしかしてこなかった。

残り少ない時間を、自宅で、娘に迷惑をかけずに限界まで維持するにはどうしたらいいか、なんとか模索したかった父。

父とふたりでの暮らしをしたかった。それだけの母。

その思いを両立できる方法を、手っ取り早く「施設への夫婦入所」というかたちでまとめようとしていた私。在宅で、2人で、限界までがんばる、という思いを尊重し、支援しようという選択をハナから考えていなかった。自分の暮らしを変えずにバックアップできる自信がなかったから。

それが、今回の入院看護と、施設探しに没頭したことで、大事なことがわかった。

ひとつは、結局ひとの心は道理だけ、正論では動かせないということ。そこにはその人の思いがあり、その軽重は他人には計れないこと。

もうひとつは、人間は、生活利便や安全、快適さだけで生きていけるわけではなく、住み慣れた場所や、暮らし慣れた人の匂いや気配とともに生きている生き物だということ。言語的コミュニケーションのすべを失われても、いや、失われたからこそ、「用が足りる」だけの快適さを強いたら、精神的に死んでしまうのだということを知った。

私は、合理性や実効性を重視するあまり、あやうく「精神的死」を両親に強いるところだった。そう思って、母には父の思いを伝えてとりなし、父にも母の言いたかったことを伝え、最終的に2人で暮らす方法を選んだほうがいいこと。限界がきたら素直に認めることで合意し、決着した。

父母が、在宅介護生活を選択した以上、私たちにできる物理的なサポートの範囲は限られる。が、今回のことでわかったとおり、精神的な支援は離れていてもできる。家族にしかできない。コミュニケーションのサポートや、溜まってしまう不満や不安の澱を、ときどき吐き出させて掃除してあげるだけでも、きっとこれまでとは違うはず。

とにかく、来週母は退院し、家に戻る。父も喜んで、あれほどしんどそうだった在宅介護を心待ちにしている風なのが不思議だ。

これからどうなるのかわからない。多分、それほど長くない将来に、母は認知症が進行して、もう私たちのこともわからなくなるだろう。そのときまでは、父の「楽して無為に長生きするより、燃え尽きて終わるほうがいい」という言葉を信じて、見守るしかなさそうだ。

灰になるまで、燃え尽きる生き方も、それはそれであるのだろうと思う。

たとえ娘であっても侵すことのできない、両親の尊厳というか。

しかし、疲れたな。

自分の未熟さ醜さにも直面せねばならず、しんどかった。

少し、休もう。っていうか、ふつうの生活に戻らなきゃ。

というか、父母のメンタルサポートを含めた「ふつうの生活」のリズムを立て直さなきゃ。

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2008年11月13日 (木)

ふたつよいこと さてないものよ

せっかく決まりかけた介護施設への入居話に暗雲が。

資産管理と最終的な意思決定権を握っている父が渋り始めた。経営母体の財務体質が、万が一の場合の入居者保護の不備が、自分の入居後のQOL低下が、とかとか。あれこれ不安や不満が出てくる出てくる。これまでなんども行きつ戻りつしながら、情報を集め、整理し、検証して進めてきた話だけれど、いまは私に対する不信感も言葉の端々にちらほら見える。

「娘の都合でホームに押し込まれる」ということだろう。私だって、要領よく算段しようとすればするほど、「姥捨て山」か「親の余生の金勘定をする酷薄な娘か」「命の値段を時間で切り売りするセールスレディか」というむなしい気分に襲われるんだから。妹や母自身や、夫に励まされながら、なんとか気を取り直しているくらいなんだから。

たしかに重大な人生の決断だし、父の迷いも不安もよくわかる。重篤な心臓疾患に苦しむ身で、意地を張りながらも母を介助してきたという自負心もあるだろうし、何より、元来筋金入りの頑固者だ。そう簡単に自分の人生の舵とりを他人に任せるなんてこと、できるわけない。

QOLという言葉でくくってしまえば呆気ないことだけれど、暮らしの細部に対する個人の拘りこそが、人生の価値だとすれば、介護施設への入居生活は、そこがどんなにラグジュアリーだとしても、「生活・人生の質へのあきらめ」を意味することは間違いない。それもわかっている。

それでも。

母は、これまで、そんな頑固で意地っ張りな父の、どんな意向も、わがままも、振る舞いも許容してきた。余命ン年という重病にあっても、その後遺症でどんな苦しい障碍を負おうとも、自分の権利や利便、快適は脇においておいても、いつも家族や父のことを考えてきたはず。

いま、残り少ないとわかっている「私たちのお母さん」でいられる時間に、そんな母に対して、「生きてきてよかった」「この人生でよかった」と思ってもらえるように心を尽くすか。それが最優先なはずだ。

父の迷いはよーくわかる。母の苦しみは、すべてではないけど想像することはできる。妹だって、自分の人生のある部分を家族に捧げている。私は、これまでのツケを払う意味も込めて、いま踏ん張るしかないが、そのしわ寄せは如実に小さな子供たちに及んでいる。みんな瀬戸際の時間のなかで生きている。

60代半ばの初老期に、すべてをあきらめて施設に入らなければならないことは、不本意きわまりないだろう。だけど、母の運命の理不尽さを思えば、誰もが少しずつ「不本意」を呑むしかしかない。

この1ヶ月半、いや、この10年ちかく、父は自分の不遇を嘆きながらも、決して自分の生き方、暮らし方は変えずにきた。今度は、少しくらい母に捧げてもいいだろう、と私はつい思ってしまう。

せっかく祖母からのギフトとして、遺産や義兄弟との絆の再生があったのだから、それを「生きたもの」にするには、いまのこの家族の窮地に、父がどのように対処するかで決まる。

それなのに、あいも変わらず迷っている。

そんな先行きの見えない優柔不断さに、母も「迷っていることに酔っている」「なまじお金があるせいで、お父さんの判断力は狂ってしまった」「あんなひとではなかったのに」「いつまで私は、ここ(病院)で待てばいいのか」と舌鋒鋭く。(認知障害のある人間とは思えないほど、キレのいい批判。御意です、母上)

私の気力もこのままでは萎えそうだ。父の迷いがわかるからこそ、プロセスを端折らずに、自分で決めたという実感が持てるように、急かさないで待ってきた。どんなに遠回りでも、納得がいくまで考えたらいいと思ってきた。

だけど、無期限の迷いは、答えを出す気のないことと同じ。迷っている間に、母や娘たちの置かれた状況がますます切迫していることに思いが及ばず、漫然と「迷い続けている」のは、みんなのことを本気で考えていないことと同じ。そんなふうに思ってしまう。

母の堪忍袋は、ついに切れた。

「これでお父さんがあれこれ難癖をつけて、迷いを正当化するのであれば。あるいは話を白紙に戻そうとするならば、私はもう、家には戻らない。お父さんとは、暮らせない。暮らさない」

と、眼を真っ赤にして、言葉を詰まらせて私に胸の内を吐露する。

どんなに苦しい人生も、父を最も信頼すべき人生のパートナーとしてがんばってきた母。ともに仕事をし、ともに子を育て、ともに病を患い。途中から父の自己愛が強くなり、自分のことしか考えられなくなった、と家族みんなが感じるようになってからも、それでも「様子を見ましょう」と淡々と生きてきた母の、最後通牒。

「眼も、耳も、歩行もだめになり、もうすぐ「正気」も失われるのに、最後にこんな切り捨て方をするなら、もういい」

そんな言葉を言わせてしまってはいけない。最後にこんな仕打ちは、絶対にしてはいけない。信仰も、心のよりどころもない母だけれど、父は同士。最後まで一緒に戦いたいのだと思う。幻想かもしれないけど、私も両親の人生は、そうあってほしい。勝手だけど、そういう両親をみて育ってきたんだから。そのためのサポートは全力でするけど、父には逃げないでほしい。

老後の選択肢はないと思ったら、祖母の遺志がギフトとして贈られ、それによって父は迷ってしまっている。

やっと次善の策として、これ以上ないくらいのタイミングと条件でホームがみつかったと思ったら、かえって父が怖気づいてしまっている。

こどもが育って、身も心も少し楽になってこれからが楽しみだと思ったら、親の老い先が現実の問題として立ちはだかる。

こんな時期でもまだなんとかやっていけるのは、いまがちょうど繁忙期の直前、閑忙の端境期だからだ。閑が続けば、経営が行き詰るから、仕事はしないと。特にこれから年末、年度末のかき入れ時になったら、私の体力も精神力も、家庭の安定ももたない。

ああ。「ふたつよいこと、さてないものよ。」河合先生の受け売り。

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2008年11月 9日 (日)

静かな雨の日曜日

ひとりきりですごす日曜日は、何年ぶりか。

この週末、子どもたちはオットの実家(祖父母宅)にお泊りに。

オットは本日畑仕事→町会の宴。

私は仕事の帳尻あわせのため家にて仕事。

隣には犬のみ。無音の日曜日。

このところのタフな状況はちびっこ達にも如実に影響している。

ムスメは心因性の視力障害。ムスコは赤ちゃん帰り。

どうがんばっても、こどもに眼と手を十分かけてやれていなかったのは事実で、オットが相当がんばってくれていたにも関わらず、のこの事態は、子供なりの私に対する配慮であり、警告なんだろうと思う。

赤ちゃん帰りできるムスコはまだいいのだけれど、年齢のわりに分別のあるムスメは、自分でも意識しないうちにストレスを溜め込んでしまったみたい。夕方帰宅すると、無意識に眼をしばたかせたり凝らしたり。板書を書き写したノートにも視覚的な誤認と思われる誤字が多く見られ、本人に正して見ると「見えにくい」という。

眼科にかかると、検査の結果器質的な問題がなければ「心因性」としか考えられないとのこと。心当たりは当然ある。「器質的な視覚障害」だけはなんとしても避けたいし、すがる思いで検査結果を待つと、案の定メンタルな原因であるとしか思えない、ということに。その結果、意識的にケアしたら自然と症状も緩和してきた。親として猛省。

なんとか独力(夫婦だけ)でこども達に不安やストレスをかけないよう努力するつもりで突っ張ってきたけれど、力及ばず。ということで、オットの両親(祖父母)にちびっこたちを預けて、羽を伸ばしてもらうことにしたのです。溺愛系の祖父母なので、しばしば私達の教育方針とに軋轢が生じることもあったのだけれど、今は緊急事態だし。祖父母に促されて1泊2日のお泊りとあいなった。

ムスコは親元を離れて泊まること自体を激しく拒否。そこまでいやなら無理して泊めなくても、と私は思ったのだけれど、あの手この手でご機嫌伺いのチャンレンジをするじじばばの努力もあって、結局預けてくることになった。

ムスメは、1泊2日のショートステイであること、つかの間の息抜きということを心得ているので、愉しみでしかたないようす。それだけでも私の気持ちはかなり楽になる。「こども自身が羽を伸ばし、しばし我がまま三昧できる」のなら、預ける意味もあるというものだ。親の目が届くところだと、気を使うことも多々あるだろうし。ほんとはそんな緊張を強いる家庭環境にはしたくないのだけど、いまはホント、仕方ないとあきらめる。

そんなわけで静かな静かな日曜日。

食事の時間も、献立も、お風呂や明日の学校の準備もしなくていい。好きなだけ仕事をし、適当におなかの足しになるものを口に入れれば済む。今日だけは、こどものことも親のことも、考えるのはお休みだ。

静かな静かな小休止。

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2008年11月 7日 (金)

それでも人生にイエスと言う。

人間はあらゆることにもかかわらず、……

人生にイエスと言うことができるのです。(V.E.フランクル)

この言葉、大好きだなぁ。というか、これを頼りに生きていけるなぁ。

存命のうちにもっと知って見ておけばよかった、と思う人はたくさんいるのだけれど、いま最も会いたい人はフランクルだ。

(あと、河合隼雄さんと手塚治虫さん。)

しばらく認知症沙汰で、落ち着いて仕事に迎えなかったツケが回ってきてて、いま死ぬ思い。親がどうなろうが、子がどうなろうが、仕事や社会は知ったこっちゃないもんなぁ。それが苦しくもあり、救われるところもあり。みんなきっと、いちいちクチには出さないけれど、何かを抱えて仕事をし、家に帰るんだろう。

ホームがなんとか決まりそうだ。ほぼ理想的な条件で。

しかし折からの金融不安で、経営母体である企業の財務状況がどうも怪しい。健全経営の企業なら、介護事業に手は出さない、というありがたい意見もいただいたことがあるけど、悩ましい。

背に腹は変えられず、リスク承知で藁をもすがりたいという思いもありながら、大金をどぶに捨てるようなまねはできないし。

麻生政権じゃ、万一の場合にも社会福祉の緊急対策に手厚く迅速に臨むとも思えず。

さてさて、伸るか反るか。

だんだん思考が博打うちみたいになってるのが自分でも怖い。冷静になって、ちゃんとリサーチしなきゃ。

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