クリスマスもラマダーンも。
毎年、息子の誕生日を過ぎると、家のなかもクリスマス・ムードへと切り替わる。私達夫婦は元来クリスマスに熱心ではなかったので(誕生日ほか、記念日そのものにあまり関心がないというか…)、たぶん同年代の子どもがいる他所の家よりは控えめな盛り上がり方だとは思うが、それでも子どもにとっては重要なイベントに違いないので、一緒に楽しむことにしている。
以前も書いたが、いまは公設保育園ではクリスマスなどの宗教行事は、園の公式行事としては行わないところが多い。宗教法人系、純粋な私立施設は別として、やはり社会の共通認識としては、宗教・信条の多様性を尊重するという考え方が浸透してきているのかも。当然、クリスマスソングもほとんど歌わないし、飾りつけもなし。
社会の全体傾向としては自然な流れだと思うし、これはこれでいいと思うんだけど、いわゆる一般ピープルな日本人としては、宗教に対する曖昧さ、いい加減さは悪いことと思わないので、ひとまず「子どもの年中行事」として家庭で楽しむことにしている。でも、同時に「クリスマスって何か」という行事由来がある程度正確にわかるように、適当な絵本や子供向けに簡易要約された聖書なんかで話しては聞かせている。
年始や節目のお宮詣ではもちろん、比較並列はできないけれど、4月の花祭は近所のお寺で甘茶をいただくし、毎年日の違うラマダーンの由来も、絵本で読み聞かせる程度のことはする。そうそう、ヒンディーの神話の絵本も、ギリシア神話ベースの星座の本もあるので、きっとうちのチビたちの頭のなかでは、いろんな神様がごっちゃになっていることだろうが。
子どもらしい無邪気さで各宗教行事をたのしむことができるのは、せいぜい小学校に上がる前の家庭の中だけ、とどこかで思っている。学童になれば、どんなに拙い理解であっても、「宗教」には、他人が侵してはならない神聖さ、厳かさがあるんだということを肌で理解してもらわなくてはならない時代だと思う。
実は、来年から、某国立大学大学院の博士課程にいるインドネシア人の若い女性に英語の家庭教師をしてもらえることになった。仕事で仲良くなった研究者が紹介してくれて、論文(おもに原書講読)とインタビューの指導を快諾してくださった。インドネシアは、大好きな国だ。結婚前、出産前の10年間で、ほぼすべての島を訪れたくらい。人も、衣食住も、あらゆるものがお国柄を物語っていて、ほかのどんな国よりも私は親近感をもてた。だからこの数年で、地震や津波、テロなどが頻発しているもようを見聞きするたびに、親戚の窮状を聞くようでいたたまれなかった。
彼女のような方は、最高レベルの高等教育を受けているわけだし、異文化圏での生活様式にも適応力が高く、それほど心を割く必要はないとは聞いているけれど、それでも「曖昧でいい加減」なりに配慮はしたいものだ。どのくらい関係が続けられるかわからないけれど、いい機会だから「浮かれ気分の多宗教行事好き」ではなく、もう少し深い理解と適正な距離感が得られるようなおつきあいができたらと思う。そういう意味でも、とっても楽しみだ。子ども達にとっても、得難い出会いになればいいな。
で、そういうことでいうと、今年は最後の「浮かれクリスマス」かも。
娘が造形教室で作ってきてくれた毛糸製のクリスマスリースは、さっそく玄関のドアに飾りました。
窓には、ずいぶん前に仕事で買い求めたデコレーションをレイアウト。シリコーンのイラストパッチはもう寿命みたいでかなり廃棄。どちらにしても今年で寿命でした。
一番のお気に入りは、高校生の頃にメキシコのお土産でもらった、アルミ缶くず製のキリスト誕生シーンの置物。素朴で、温かくて、チープで、20年来の宝物。
私が子どものころは、デパートなんかはもちろん、役所にも保育園にも、体育館にもクリスマスツリーやオーナメントがいたるところに飾ってあったけど、うちのチビたちにとっては、きっととってもあっさりした思い出でしかなくなるんだろうなぁ。
しかし、サンタクロースがプレゼントを持ってやってくる、というエピソードは、大人にとっても子どもにとってもかなりありがたい言い伝え。年に1度だけ、大人は知らんふりして、子どもが本当に欲しいモノ(親としては買い与えたくないものでも)を、節を屈することなく与えられる貴重な機会だもの。たとえば、プリキュアの●●とか、マジレンジャーの●●とか。
直接「買って」っていわれると、素直に買い与えたくなくなる代物だけど、サンタさんが願いを叶えてくれたということなら、四方丸く収まるもの。
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