豚とマクロビ
GWの一番の楽しみは、畑仕事だ。
春先に種まきをした作物のうち、はやいものならかなり育っているはずとのこと。雨であろうが、雷であろうが、ひたすら自転車で通いつめて手入れをしている夫とはちがい、私も子供たちも初めて足を運ぶ。
子供たちの通う保育園は、小さいながらも園庭に畑をこしらえている。夏野菜や豆類を育て、収穫から調理のプロセスを経て口に入れるまでを体験させてくれているらしいので、子供たちにとっては「畑・野菜・収穫・ご飯」というひとつながりは身になっているようだ。それでも、広い畑で思う存分土をいじれる機会はなかなかないので、心待ちにしている。特に下の息子は、最近「みみず」に凝っている。雨上がりの公園や園庭でみつけては、指でつまんで「冷たい」「やわらかい」と感触を楽しんでいるらしく。
こういうときに、保育園に通わせていてよかったとつくづく思う。もし家庭で育てていたなら、狭量な私は「そんなの触らないくれ~」とおびえ、払い飛ばしていたことだろう。子供の手指は私の手指ではないが、生理的には許容しにくい。息子にとってはいい迷惑だし、子供の体験や興味を殺ぐことになるけれど、園で存分にいじくりまわして満足し、手を洗ってくれるのであれば、別に動物の糞でも虫でも気の済むまでやってもらっていいいわけだから。
さて、その畑では今年も子豚を手に入れ、畑仕事とともに秋口まで飼育するとのこと。秋を迎える頃、この豚はつぶされる。つまり、肉にすることを目的とした「食べるための豚」。そして、その肉は畑仕事にかかわるみんなでいただくことになる。昨年は旅行に行ってしまったので、夫はその現場には立ち会えなかった。(おそらく屠殺する瞬間への立会いは、本人の自由意志によって決められるものと思う。しかし、解体は基本的に手作業で行う)そのことで「何かを逸した(逃れた)」と感じていたらしい夫は、今年はこの課題に正面から取り組むことにしたらしい。
「できれば、名前なんかつけないでほしいんだけどね」とつぶやく夫。
名前をつければ愛着が沸く。情も移る。鶏一羽つぶすのだって、ひよこから見守ってくれば胸が痛むだろう。ましてや豚。(いま、小説「シャーロットの贈り物」を毎晩読み聞かせているが、読んでいる私や、聞いている娘にしてみれば…)それでも、私たちは命をつぶし、口にして生きてきたし、これからもそうしていかなければならない。もちろん、娘たちが「肉は食べない」という選択をするなら、それは本人の自由だけれど。それでも私たちの体や存在自体が、肉食・雑食の履歴の上に成り立っているということは事実だから。というのが私の考え。
知人に、マクロビオティックを基盤にした日常生活を営んでいる人が何人かいる。ストリクトな人から、ゆるやかにとらえている人までさまざまだけど、みな基本的には積極的に肉食をしないようだ。私自身は、食生活は生きていくうえで欠かせないものだと思うし、健康はもちろん、おいしく、大切にいただくことが何より重要だと考えている。マクロビは、その点では共感し、勉強する点も多いのだけれど、都会で日常生活を送る身としては「コンセプトには学び、手法は現実的に」というのがしっくりくる。肉を食え、魚を食え、という肉食奨励をするためではなく、「食べるものをえり好みしすぎない」ことの大切さといおうか。
一時より少し落ち着いてきた感があるが、「スローフード」というムーブメントが地産地消という、経済活動の視点を大切にしていたことを思うと、マクロビはより個人的で内省的な色合いが強い気がする。マクロビの「身土不二」という考え方には、その土地でできたものを、その土地のやりかたでいただくことが最善、という要素も入っていると思うので、その意味ではスローフードと重なるところがあるのかもしれないが、現代日本、それも東京という場所で暮らすことについて、根源的に見直さなければ、マクロビオティックの本質には到達できないのではないか、という気がする。
マクロビのオリジンが「日本における日本食」であるならば、菜食中心で、肉・乳などを口に入れないことも理解できるし、栄養学的にも理にかなうところは大なのかもしれないが、そこには「命をいただいて生きていく」ことへの厳しさや慎みぶかさみたいなものが少し足りないように思うのは私だけだろうか。マクロビの考え方の延長線上に、循環型社会の成熟だとか、大量生産・大量消費・大量廃棄といった構造への批評精神が含まれているのかもしれないが、マクロビを実践する人の多くのゴールは、自らの健康と暮らしの浄化という内的なものにセットされているように思う。少なくとも私の知る実践者や、指導者は。
…。ちょっと話が大きくなりすぎたので、またこんど個別に整理しよう。とにかく。私も今年は、この豚ちゃんの一生をできるかぎり見届け、大切に大切にしたいとおもう。ちょっと気は重いけど、私たちはそうして生きている、おいしく食べているということの本質に触れられるよい機会だと思うから。
さて、本日の晩御飯は、
豚バラと大根の塩煮。
そして新ごぼうとセロリのきんぴら。
トマトとクレソンとパルミジャーノのサラダ。
あとは蕪の葉っぱと油揚げ、しらす、しいたけの炒め物。
(なめこと豆腐の赤だしとご飯)
品数は多く、量は少しずつ。そして残さず、捨てず。おいしく、ありがたくいただければいいのだ。
| 固定リンク


コメント
はじめまして。
私はマクロビが好きですが、それは自然の法則に合っているからです。自然の法則はバランスをとること。自然は常にバランスを取りながら動いています。食べ物のバランスを考えたとき、その土地の物が最もその環境に合っているから、それを食べたほうがいいのです。肉類は、陽性が強いので身体のバランスをくずすのです。と私は理解しています。
投稿: YingYang | 2007年4月25日 (水) 15時12分
Ying Yangさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。おそらく私のマクロビに対する理解の深さの程度によるのだと思いますし、私の周囲にいるマクロビ実践者の、さまざまな「宗派」というか、「宗旨」みたいなものから感じたことがとても限定的なのでしょうね。マクロビオティックとは本来、食養生のことだけを目的としているわけではないと思うので、奥深いものなのだと思いますし、もっと全体観を捉えて扱わないといけない、デリケートなテーマなのだと理解しています。まだ自分のなかでもうまく整理できていませんが、「おいしく食べる」ことと「ただしく食べる」ことは少し違うように感じることがあるので、そこを掘り起こして行きたいなと思っている次第です。
投稿: むこうだ | 2007年4月26日 (木) 11時41分