2009年12月21日 (月)

腹を括る

ムスコの粗相不始末にて、世間様に謝りっぱなしDAYS。

遊びに行った先のお宅の隣人の「命の次に」級の大事な外車のボンネットに乗り、近くにいながら眼を放していた父親もろとも大目玉。その場で謝るも、先様の怒り収まらず、隣人である来訪先の夫婦が3度にわたって詫びてなんとか収束したが、そちらのご夫婦にも足を向けて眠れず。

こんどは保育園で。4~5歳の男女が入り混じってのおままごと遊びから、なぜかお祭り騒ぎにエスカレートしたらしく、テンションの上がったムスコは、プラスチックのおままごと道具=ナイフで、女の子の手を刺した(突いた)ために傷がつき、その件で先方のパパが激怒。保育園に抗議した件。保育園から個別に我が家が呼び出され、「おもちゃとはいえ、刃物を友達に向けたことは看過しがたい」と注意喚起。

もちろん、その場に保育士がいなかったために事態を制止できなかったことについてはお詫びされたが、これまでも、テンションが上がったり、ダダコネが始まると、大人の話が聞けないことがあるので、今後は家庭と強調連携して、育ちを見守っていきたい、とのこと。

今回、相手となった女の子は、2~3歳の頃にも、新聞紙を丸めたチャンバラの「刀」で遊んでいるときに、眼を突いたことがあったために、先方としてはもう、「衝動性や暴力性をもった男の子にまたやられた」という思いが強まったこともあるらしく、先方のパパは「相手の親と直談判する!」と怒り心頭だったらしい。それはママが必死で制止して、なんとか保育園に仲立ちしてもらって、という流れだそうだ。

先方のパパの言い分としては、「これが初めてではない。いくら保育園での、子どもの遊びのなかでのこととはいえ、このまま放置しておいて、今後もっと(うちのムスコが大きくなったころに)取り返しのつかない重大な被害を生んだら、うちだけの問題ではなくなる。誰かがきちんと言って、対処しなければ!」ということなのだそうだ。

本人や園の話を総合すると、「つい悪乗りしてやってしまったが、相手が泣いたのを見てびっくりしてすぐに謝った」そうなので、「キレたとか、攻撃性があるとか、善悪や人の痛みがわからないということではない」そうだが、「5歳の割には感情のコントロール能力が幼く、自分の意志が通らないと手が出たり、強い口調でなじったりする」とのこと。

専門家への相談が必要だとか、発達や器質の面での心配があるわけでないが、情操の面で幼稚な面が目立ち、今後年長の1年間も見通しながら、適切な言葉や態度で仲間との関わりができるように促していきたい、というのが園の意向。そのために、家庭の様子との情報共有や協調を大事にしていきたい、と主任から話があり。

以前うちも、ムスメが年長の時に、同じクラスにいた発達障害のある女の子の暴力に悩み、園に相談と要望をもちかけたことがあったので、先方の親御さんの気持ちは痛いほどわかる。また、自分たちが謝罪する側に回るとは思っていなかった(認識が甘かった)ので、非常に気持ちが沈む。

正直、おもちゃとはいえ、ナイフで友達の手を刺す真似をするなんて、私たちだってショック。もともと自我が強く、家族のなかでもすごく甘やかされて大目に見られて育ってきたところは否めないし、気に入らないことがあると渾身の力を込めてダダをこねることもあったから、園での様子や苦労はわかる。ただしそれは「きかんぼう」「癇癪持ち」の範疇のことで、まさか人様から「野放しにしておくと将来何をされるかわからなくて心配」と言われるほど「異常」であることとは思っていなかった。もちろん、今だって思っていない。

ただ、自分の子どもがひとから「末恐ろしい」と目されるとは思っていなかったので、そのことがとても悲しく、重い。

わらべうたや素話の会に講師で来て下さっている先生には以前から、「とても繊細な子。言葉のちょっとしたニュアンスや、表情の機微を感じとるし、たくさん感じているのに、うまく表出できないから、自分でもまどろっこしかったりするのだけど、成長とともにだんだん調整能力が出てくるから大丈夫。年上と一緒に過ごすことが多いから、自分だけがうまくやれていない、と思わないように気をつけてあげれば大丈夫。お話の世界への集中力も、想像力もあるし、眼を見てきちんとお話ができてるから何も心配ない」とは言われていた。

でも、やっぱり、他人からそのように言われるのは、(実際にやったことは、それくらい、相手のパパに衝撃を与えたことだったとは思っている。まだママには理解してもらっていることが救いだけど)、本当に心が沈む。

今度のことはオットのほうがめずらしく凹んでしまって、かなり立ち直れずにいたみたい。これが本当に性別のせいなのか、先方が言うように、うちの子どもが「現代社会でよく見られる闇=病みを抱えた子どもの兆し」を見せているからなのか、それは今の立場では断言できない。私たちは、彼にいらだちや衝動性があるとするならば、それはこれまでの彼を取り囲む環境要因によるもの、特に親の養育態度によるものが大きいと思っているから、その点について真摯に向き合わなければならないと思っているが、「異常児」視されることについては、やはりひそかに否定する。(園もそれは否定していたが)

ただね。

やっぱり、親の問題だよね。とは思っている。

ムスメの学童保育の面談があった時に、男児育児の大先輩でもある職員にポロっとため息交じりの愚痴をこぼしたら、その人はカラカラっと笑って、こう言ってくれた。

「そんなのね、よくあること! うちなんていまムスコは15歳だけど、保育園の時からずっとずっと、10年間謝りっぱなしよー。本人にはそんな気がなくても、ちょっと気がせいて女の子を後ろから押しただけで、先方からねじ込まれたことだってあるし、年頃になってくると、ちょっと気になる女の子には意図的に意地悪やいたずらをすることもあるし。それが行き過ぎて痛い目に会わせちゃうこともあったわね。

そうやって、相手の反応や、引き起こした結果に対する親の対処や態度をみながら、だんだん自分のやっていることの程度を自覚していくんだと思うから、よほど悪意や意図的なもの、陰湿なことでなければ、男の子はある程度は仕方ないと思うよ。ジェンダーフリーとかで、男女の区別なく、という人は多いからあんまりおおっぴらにはいえないけど、20年近く子どもをみてきて、自分も子どもを育ててみて思うのは、やっぱり男の子は、多かれ少なかれ衝動的だから。自分のしたことの結果とか、因果関係への想像力は低い傾向がある。」

「謝って謝って謝るのが親の仕事だから。相手の言うことが理不尽だと思っても、相手の気持ちをなだめて、受け入れて、そのうえで自分の子どものことは必要以上に責めない、ということが大事ね。やったことが引き越したことは知らせるべきだけど、”けじめ”として謝る。でも、あんたの言い分もわかる。もうするなよ。それだけでいいじゃない。母親が揺れると、子どもも揺れるわよね。母子は共鳴しやすいからね。だから、おおらかにね。」

「私も子育ての先輩だった職場の同僚から教わったんだけど、お詫びには菓子折りよりも図書カードがいいらしいわよ。菓子折りだと突き返される確率が高いけれど、図書カードだと大仰にならないし、受け取ってくれる確率が高いんですって!賞味期限もないしね。1~2式、常備しておくと気がらくなんじゃない?すぐにお詫びにいけて(笑)」

学童の先生、ふだんは必要なことしか話さない間柄だから、何を考えているのかわからないところもあって、こんなに腹を割って話したことがなかったんだけど、すごく肩の荷がおりたのだった。相談するつもりじゃなかったけど、話してよかった。オットもすごく喜んでいた。気が楽になったみたい。

それでふと思い出したのが、河合雅雄さんの「少年動物誌」という本。

かの故・河合隼雄さんの兄弟で、京大霊長類研究所の所長でもあった著者が、少年時代に、ふるさとの自然を相手に「悪道」の限りをつくしながらも、感受性と冒険心を惜しみなくはたらかせて、人として成長していくかということが描かれている。河合隼雄さんが「自分の兄弟の本で恐縮だが」といいながらも、「少子化で男の子を本質に触れる経験の少ない母親が増えているなかで、男の子の持っている性のようなものについて、理解する手助けになるだろう」と推薦していた本だ。

ずいぶん前に買ったが、読まずに放置していた。

ここに出てくる主役級の子は、おそろしいほど残酷で、嗜虐的で、傲慢で、しかしやさしくて、繊細で、怖がり。命知らずなほどの冒険に引き込まれていき(本人たちはそう思っていない)ながらも、最後は痛い目に会い、たたりや罰があたり(と本人たちは思っている)、己の小ささや愚かさを体験して怖れを抱いたり、興味を失ったりして、だんだんと自然(やひと)との関わり方の按配を知っていくようだ。

となれば、いま私たちが直面しているのも、そういう「痛い目」なのだろう。それにいちいちビクビクしたり、同様するのは、オットや私が親として、大人として、自分の体面や不都合のために不安定な状態に置かれることが嫌なだけなのかもしれない。でーんと構え切れていない。ムスコの「不始末」に対する責任や非難を負わされることに腹が括れていない、ということなんだろう。

やったことを正当化することはできないから、そこは自分たちの、ムスコに対する接し方も含めて見直していかなければいけないし、園の言うように、一緒に見守って育てていく姿勢が必要だと思う。

だけど、変に「お天道様に顔向けできない」気分に陥るのはやめよう、と思った。私たちも、それなりに一生懸命やってはいる。頓珍漢だけど。これでいいとは思っていない。なんとかしたいとは思っている。だから、うつむくのはやめようと思った。

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«興味のないものを人は見ないで生きてんだよ。